月下に匂う

〜はじめのひとこと〜
私の燃料はやっぱり音楽が効く。

BGM:Il Divo Nella Fantasia
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「どうしたんですか?沖田先生」

濡れ縁に寝転がった総司が頭の後ろで手を組んで目を閉じていた。
通りすがりに手蜀の灯りを差し向けた山口に総司は目を閉じたまま答えた。

「月を眺めてるんですよ」

確かに今夜は恐ろしいくらいの満月で、月の周りには膜がかかったように黄色い輪ができていた。

「眺めてるって……、それじゃあ眺められないと思いますけど」

目を閉じたままの総司に呆れた声をあげた山口を隊部屋の中から相田が手招きした。ぽろぽろと廊下から隊部屋へと皆が戻ってきて、廊下には総司の姿だけが残る。

「おい、なんだよ?」
「馬鹿。神谷がほら……」
「ああ。そういや今日は泊りだったな」

松本への文を携えたセイが、夕刻出て行った後、松本から使いが来て、所用を頼みたいので今夜はセイを借り受けるとのことだった。相手が相手だけに、土方も二つ返事で承諾を返し、明日の昼まで戻ってこない。

セイがいない夕餉はどことなく特別で、総司は皆と冗談を交わしながらも時々、ふと箸をとめて考え込んでいた。

そんな総司をそっとしておくことは一番隊の面々にはよくあることで、総司の床は小川達がセイの代わりに敷いた。一人、また一人と床について、部屋の灯りを落としても総司は廊下に寝転がっていた。

「きれいな月だなぁ」

目を開けた総司は、輝く月を眺めていた。

どこまでも曇りなく、闇夜を照らす光にセイを想う。

「アンタにしては風流と言うべきか」

寝静まった廊下に現れる者と言えば限られる。酒を飲んで戻った斎藤は廊下で転がっている総司を見つけた。斎藤が近づいてくる気配にはとうに気づいていた総司は、口角を上げて月を指差した。

「立派なお月さまでしょう」
「なぜアンタが自慢する」
「なぜでしょうね」

上げた指の先に届きそうで届かない月を差し伸べた手で総司は包み込んだ。ふわりと吹いた風が甘い香りを運んでくる。
黙って斎藤は総司の寝転がった傍の柱に寄り掛かって座った。

「ほら、月を手に入れましたよ」

―― さしずめ、月は神谷ということか

嬉しそうに手で月を覆った総司に、斎藤がぼそりと答えた。

「されば、俺は月をとってくれとねだる子供か」

野暮天のくせに何を言っている、と思った斎藤が腕を組んで寝転んだ総司の顔へと視線を落とすと、その目はすでに笑っていなかった。
まっすぐに手の中に包み込んだ月を見つめて、何か、今にも吹き出しそうなものをため込んでいるように見えた。

「斎藤さん」
「なんだ」
「斎藤さんならどうするつもりですか?」

―― 神谷さんを手に入れられるなら

言外にそう付け加えてきた総司に、幾分驚きながらも斎藤は淡々と答えた。

「嫁にする」

―― 隊を辞めさせてな

どこに誰の耳があるか分からないので、正しく伝えるのは難しいところだが、今なら言外の意図は違えることなく伝わる気がした。
よっ、と掛け声をかけて総司が身を起こした。片膝を抱えて総司は風に乗って届く甘い香りの方へと顔を向けた。

「斎藤さん。私なら……、私は、どこまで行っても、たとえ血にまみれても、何があっても傍において、一緒に戦います」

どこまでも共に行くのだと。
言い終えてから振り返った総司は、月の灯りの下で静かに笑った。

「それが、アンタの……」

―― 心底まで惚れた女の愛し方か

凝然と身動き一つせず、斎藤の目の動きだけが総司を追いかけた。

 

月夜に浮かぶ鬼の貌を。

 

思えば、自分は唯人なのかもしれないと、斎藤は思った。
まさに自分が口にしたように、月をねだる子供のように、手に入らないものを願ってあがくだけのようだ。

本当の異形は、武士という鬼の姿をして、ここに住んでいる。

 

「さ。そろそろ寝なくちゃ。今夜は神谷さんが帰ってこないので、寝坊しちゃいけませんからね」

明日は迎えにいくんですよ、と明るく言う総司が濡れ縁から立ちあがった。踏み出した一歩の先に、斎藤の肩口を捉えた総司は、その手を乗せた。

「お休みなさい。斎藤さん」

時に惑い、臆病で情けないところばかりを見てきた総司の変貌に斎藤は心の内に重い石を抱え込んだ気がした。

―― 腹を決めたか

これからどうなろうと、決して傍から離しはしないというのは、たとえセイが誰を選んでもということでもある。
だとしても、斎藤もそれで引く気などなかった。
総司がそう来るならば、と思う。

 

どこにいても、輝く月の灯りを斎藤は複雑な思いで見上げた。そして、隣りの隊部屋のいつもの場所で眠るはずの隊士の姿を思い出して、立ち上がる。

ふわりと斎藤の鼻孔をも甘い香りがくすぐった。
セイの身につけている匂い袋に近い、甘い香り。

「月下香 月夜に匂う ……俺には文才などないらしいな」

一人呟いた斎藤は、自分の隊部屋へと戻って行った。

 

– 終 –