水の器 後編

〜はじめの一言〜
個人的には超速。表紙より。

BGM:小泉今日子 優しい雨
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食事を終えると、駕籠を呼んでもらい、セイの着物は預かってもらったままで嵯峨野へ向かった。

江戸の駕籠と違い、歩くよりは早いがゆったりと進むためにそのゆらゆらと揺れる感覚がセイには余計に現実味を薄くさせた。まさか総司と、自分がこんな姿で一緒に食事をしたりするとは思っていなかったのだ。

ゆらゆらと揺れる気色までいつもと違って見えて、普段はあまり足を向けたこともないこの辺りに目を奪われているのか、現実らしからぬ出来事に心を奪われているのか。

「じゃあ、ここで」

駕籠の外を歩いていた総司が駕籠かきへ声をかけた。セイは、揃えられた草履を履いて総司の手を借りると立ち上がった。
駕籠を返した総司がセイの手を引いてゆっくりと進む先には立派な寺があった。

「ここは?」
「二尊院といいます。由緒正しいお寺で、発遣のお釈迦様と来迎の阿弥陀様がご本尊らしいですよ」

そういうと、ゆっくりと幅の広い階段上がって門内へと足を踏み入れる。まずはご本尊にそれぞれお参りをすると、境内をゆっくりと歩いて行く。
幅広の馬場があり、木立に囲まれた奥の院の方へ向かうと一角にこれでもか、というくらい紫陽花が咲いていた。

「わ、すごい!沖田先生!見てください、紫陽花がこんなにたくさん」

もったりと重そうに頭を下げた紫陽花の間を縫っている小道を進みながらセイがその一つを両手で包みこんだ。それとほとんど同時に、ぽつぽつと降り出した雨に、総司は空を見上げた。

「神谷さん、また随分と振りそうだから、少しこちらの軒下に入って待っていらっしゃい。傘を借りてきますから」

手で雨をよけながら本堂へと駆けて行った総司が傘を借りて戻ってくると、セイは軒下ではなく、まだ紫陽花の花の中に埋もれていた。背後から傘をさしかけた総司は傘を持っていない片腕でセイの体を引き寄せた。

「沖田先生?」
「まったく、軒下に入っていなさいと言ったでしょう?濡れちゃってますよ」

背後から抱えるようにして、セイの髪や着物の露を払った。まだ両の手の間に紫陽花を包み込んでいたセイに気付いて、総司はその手を止めた。

「神谷さん?どうしました?」
「ええ。きれいだなぁって。よく、この変わっていってしまう花の色を人の気持ちに例えるじゃないですか。でも、もし一瞬でもこんなきれいな色と同じように真実が見えたらそれで十分なんじゃないかなぁと思えてしまって……」

無意識に総司を重ね、そのつかみどころのない総司の本音のほんの一瞬でも垣間見ることができたらと願ってしまうのは、セイの中の恋心ゆえだ。

きっとこんな気持など伝わるはずもないと思ってのことだったが、ふと背後の気配が変わった気がした。先程よりも近い、耳元で低い声が聞こえた。

「色は変わっても、この姿は変わらないんですよね。まるで神谷さんみたいに」

えっ、と振り返ったセイはそのまま強く抱きすくめられていた。

「雨はどんなにきれいな花であってもこうして降り注ぐことしかできないんです。その水を得て美しく咲く花という器を得てこそ、雨はこうしていくらでも降り続けられる」
「……沖田先生は、雨なんですか?」

ぽつりと問いかけたセイに、総司は目を伏せた。

「じゃあ、神谷さんは花ですね」
「私は、紫陽花みたいに、移り気じゃありません!ずっと沖田先生のお傍にっ」

紫陽花と、傘に隠されてふわりと一瞬、吐息ごと盗まれた唇の温かさにセイは言葉をなくした。

「じゃあ、神谷さんが雨かも知れませんね。こうして皆に分け隔てなく雨を注いでいる。でも私はこの紫陽花の一枝に過ぎない。雨が自分だけのために降ってくれればいいと思いながらも、譲れないものがあってそのためにはいくらでも色を変える」

抱きすくめられたまま、大きく目を見開いたセイが総司を振り返ろうとして首筋に顔を伏せた総司の前髪の辺りを視界に入れた。
頭の中ががんがんと鳴り響いて、何を言われているのかよくわからない。

「貴女が大好きです」

耳に温かな吐息とともに響く声に、セイの心が震えた。
女子姿で総司といることも、こんな風に抱きすくめられることも、そして先程から心に落ちてくる言葉も。

「……沖田先生」
「雨を独り占めにしたいと願うだけの、卑怯なただの紫陽花の一枝ですが、今だけはこうしていることを許してくれますか」

こく、とだけ頷いたセイが回された腕にそっと手を添えた。ほんの少し緩んだ間に、セイは身を捻って総司の懐にぎゅっとしがみついた。

雨の音と、虫の音にまぎれて、小さくしゃくりあげるセイの泣き声に少しだけ恥ずかしくなったのか、傘で隠すようにしながら奥の院の方を少しだけ振り返った。

ふっと微笑んだ口元だけを傘から覗かせた総司は再び傘の陰に隠れるようにセイを抱き締めて、優しくその背を撫でた。
しばらくして泣きやんだセイが気恥しそうに総司からおずおずと離れるとその手をぎゅっと握って、紫陽花の小道から歩きだした。

帰り道はゆっくりと歩いて、途中で駕籠を拾うと再び昼を取った店へと向かった。昼と同じ離れに通された処で、朗らかに総司が言った。

「いやぁ~、神谷さん。ありがとうございます!実はあの奥の院には由緒正しき公家の方々がお出でになるところらしくて、そこでどこぞの公家の娘さんがいらしていたんですよ。何やら一度町で私を見かけたとかで、是非間近でお目にかかりたい、なんて言われちゃいまして」
「……こ、近藤局長から言われた、お目にかかる方って……」
「ええ!どうやって直接お会いするのを断ろうかともう悩んじゃって、悩んじゃって。神谷さんに女装して一緒に行ってもらって助かりましたよ。あれ?神谷さん?どうかしました?」

座に座る辺りからふるふると拳を握りしめていたセイが、徐々に下を向き始めた事にようやく気付いた総司は、へらぁっと笑いながらセイの顔を覗きこんだ。

 

ばちーん。

 

「いったぁぁぁぁ!!!」
「馬鹿ヒラメっ!!!」

思い切り総司の頬を張り飛ばしたセイは、涙目のまま隣の部屋へと入るとぱしーんと勢いよく襖を閉めた。
ボロボロと泣きながら髪から櫛や、簪を外すと、かもじも外して一人で元結いを結いあげた。そして荒っぽく着物を脱いで行くと、ぱっと清三郎の物を身につけてから、脱ぎ散らかした着物の残骸に視線を向ける。

苦々しく思いながらも、流石にそのままにはしておけずにキチンと畳んで乱れ箱に納めると、刀を手にして立ち上がった。

ボロボロとセイの意思とは関係なく流れる涙をぐいっと拭うと隣の襖を勢いよく開けた。

「お待たせしましたっ!!」
「かみっ」

盛大に、という言葉がぴったりくるほど盛大に涙を流しながらも目の前に座ったセイを見て、総司はどうしようもなく可愛くて、可愛くて仕方がなくなって、ずずっと膝を詰めるとセイの手を引いて懐に引き寄せた。

「何をするんですか!もうお芝居なんかっ」
「本当にお馬鹿さんですねぇ。私は、移り気な紫陽花かもしれませんし、隠し事もする卑怯な男です。それでも、貴方に嘘をついたことだけはありませんよ?」

引き寄せられた腕から抜け出そうともがいていたセイがぴたりと動きを止めた。

「貴女が女子だと知れたら一緒にいることなどできなくなる。この想いが知れれば、土方さんの衆道嫌いを思えばただでは済まなくなる。後は何事もなかったようにするしかできない、情けない私ですが」

―― 動き出してしまった想いは止められないんです

「うぐっ、ひっく」
「運命なんですかねぇ。女子など私の生きる道にはいらないと思っていたのに、貴女と出会ってしまった。こんな私が許せなかったら忘れてしまいなさい。何もなかったことにしてしまえばいい。私もそこまで貴女を縛り付けたりはしませんよ。今までどおりに」
「そんなことできるわけないじゃないですか!」

真っ赤な目をして顔を上げたセイに、にっこりと笑った総司が指先で目尻に浮かんだセイの涙をぬぐった。

「嬉しいですよ。そう言ってくれて。でも、これからも屯所では本当に今までどおりにするしかありませんよ。それでもいいんですか?」

にこっと今度はセイが微笑んで頷いた。願って、求めて、得られるはずがないと何度も心が折れた。

「沖田先生、大好きです」

正面からセイに言われて、ぶわっと真っ赤になった総司が慌ててセイから手を離してわたわたと、懐から手拭や懐紙を次々にとりだした。

「あのっ、これっ、あっ、とにかく涙を拭いてですねっ」
「ふ、ふふっ、沖田先生真っ赤です」
「あ、当たり前じゃないですかっ。私だってこんなのは初めてなんですからっ」

うろたえる総司にセイが吹き出して、そっと先程自分が平手で殴った頬に触れた。

「ごめんなさい。赤くなってしまいましたね」
「このくらい、なんでもありませんよ」

セイが触れたのと反対側のセイの頬に手を伸ばした総司と、互いに引き合うようにぎこちなく近づいた影は、舌の上で蕩けた葛のように甘やかな香りを漂わせて、幸せに包まれた二人の姿を映し出していた。

それからしばらくして、いつものように手を繫いだ二人が屯所へと歩いて行く姿を空に顔を出した月が追いかけて行った。

 

– 終わり –