風天の嵐 23

〜はじめのつぶやき〜
そりゃあ、初産ですしね。

BGM:嵐 迷宮ラブソング
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「どんなきれいごとを言ったって、神谷さんだって本当は不安でたまらないんじゃないんですか?私は思いましたよ。この子が出来れば私の事を守ってく れるって思ってたのに……、身重になったらなったで、何一つ自由にならなくて、少しでも助けになればとやっていた内職も思うに任せなくなるし、実入りが減 れば責められ……」

子ができない役立たずの嫁と言われ続け、子が出来れば働かぬ不出来な嫁と言われる。いずれにしても、一家の不満のはけ口となっていたのぶには、すべてから解放されて、思うまま子を慈しめる今の方がいっそ幸せにさえ思える。
まるで、心の中に隠していた自分自身の醜い部分に支配されてしまったような言葉だった。

「駄目です。そんな風に思っては……。ややは授かりもの。おのぶさんの身の回りでは確かにひどい目に会われていらっしゃるとは思います。でも、でもそんな風に思っては駄目です!」

のぶの言葉を聞かぬよう、セイは声を大きくしてのぶの言葉を止めた。

のぶの言葉はそのまま、セイが思っていたことにどこかひどく似ていた。
総司のために子が出来ればと思い続けて、なかなかできない自分をどこかで恥じていた。だが、望んだややが出来たとわかってからは、自分でもよくわからない 体の変化に戸惑い、何かあればすぐにそんな体で何をしていると寄ってたかって叱られてしまう。それまでは、及ばずとも総司の傍で戦うことができたというの に。

「正直におっしゃいなさいよ。神谷さんだって同じでしょう?罪悪感と、本当に自分は必要とされる存在なのか、こんな自分がややなんて望んだのがいけなかったって」
「いいえ、いいえ!!」

格子に手をかけてのぶは隣の座敷牢からせいの方を覗き込んだ。繰り返し、心の弱点を引きずり出すようなのぶの言葉にセイは耳をふさいで、首を振った。

―― 違う。先生はそんな風に思ってない……。私だってそんな風に思っては……

何度でも不安は蘇り、人生の中で何度でも同じ問いに巡り合う。

「……先生、ごめんなさい」

小さくセイは呟いた。

きっと今頃、探している。寝る時間を惜しんで、身を削って。きっと。

「おのぶ様のおっしゃること、私にもよくわかります」

不意に、はるが口を開いた。それまでは、聞かない振りを貫いていたのに、何かが我慢できなくなったのか、格子の傍に姿勢よく座ったはるは、日頃から武家の妻女として過ごしてきたらしい姿を見せた。

「私は、朝倉に嫁いで三年になります。夫はとても優しくしてはくれました。義父母もとても私には優しく、心を砕いてくださった。二年が過ぎても子ができなかったけれど、私たちは仲睦まじく暮らしておりました。でも、……そんな夫に出世の話が舞い込んできたのです」

家中でもこれといったお役目についていなかった朝倉に、奥向きの御用人付きという異例の機会が巡ってきたのだ。しかしそれは、その御用人にはるが気に入られてのことだった。

まっすぐに前を向いたまま、はるは淡々と語り続けた。

「気の弱い夫には御用人様の言葉を退けることはできませんでした」
「そんな……、ご出世のためにはるさんを?!」

セイは思わず非難の声を上げてしまったが、多かれ少なかれ当たり前のように行われていることでもあった。思いの外、同情の声を上げたのはのぶだった。

「神谷さんは、さぞやおきれいに過ごしていらっしゃったんでしょうけどね。今はどこの家も、どこの藩も似たようなもんなんです。きれい事だけじゃ生きて行かれないのが人なんですよ」

同意こそしなかったが、格子に沿って座った正面をみて語っていたはるがその時だけは、セイの顔をまじまじと見ていた。
その視線に耐えられず、顔を逸らしたセイは一番奥の座敷牢にいる吉村主計の妻、万寿と目が合った。
もっとも言葉少なな万寿は、何も言わず、格子を背に座ったようだった。

「お分かりになりましたでしょ。神谷さんだって、何にもないなんて……」

セイは無意識に腹に手を当てて、自分に言い聞かせる。こんなことで迷ってはいけない。どれだけ迷っても、どれだけ不安でも、必ず戻る場所がある。

「何にもないなんて言いません。私だって、いろんなことがありましたし、望まなかった道を歩みながらも、あと少しでややに会えるというところで亡くなった方も知ってます。その方と自分を比べたら、申し訳なくなったり、不安になることだってあります。でも……」
「ほら、一緒じゃないですか。だったら」
「でも!私が未熟なのは私自身のせいであって、誰のせいでもありません。私が至らないのは私のせいであって、ほかの誰のせいでもないんです!自分の不運を嘆きたくなる気持ちはよくわかります。それでも、お腹にいるややのせいなんかじゃないです」

―― ずっと、自分で先生の傍にいるために頑張ってきたんだから

揺れる想いと不安に押しつぶされそうになりながら、無意識のうちに総司に助けを求めた。願いが届くように。

 

 

「お藤さんも同じことを言っていたんです。ご主人に、霊験あらたかな術者へ連れて行ったと」
「じゃあ、その術者をおさえりゃいいじゃねぇか」

セイが戻らないながら、警告という手段に出てきた相手に対して、腹が立った原田が膝を打った。

「でも、その術者はそこにいるわけではないそうです。町屋は連絡を取るだけの手段で、ほとんどの場合は料亭や、茶屋などで会う約束を取り付けるようです。どこにいるのか押さえてからじゃないと逃げられてしまいます。それに……」

総司が視線を落とした先には、襲撃してきた男の持ち物が並んでいた。畳の上の紙入れや懐紙には身元の分かるようなものは、何一つなかった。手掛かりになりそうなものをすべて取り去ると帰り足に番屋へと立ち寄り、男の引き取りを頼んでから屯所へと戻ってきたのだ。

手掛かりがないとはいえ、これまでの話で男がどこの家中の者なのかは推測がつく。

「そうだな。本命はこっちだからな」

そういうと土方は、文を総司へと差し出した。宛名も裏書もない文を受け取った総司は、それがなんなのか土方の顔を見た。

「これを?」
「ああ。それを届けて段取りをしてもらう」

そういうと、その先を説明するよりも先に、皆には通常通りの隊務に戻るように言った。これから、すわ乗り込むのかと意気込んでいた男達は肩透かしを食ったようで、不満そうな顔が並ぶ。

「そんな顔すんじゃねぇ。いいか。ただ、いざってときにはすぐに出られるようにしておけ」

意味ありげな土方に渋々ながら頷いて皆が副長室を後にすると、部屋に残った総司に向かって土方はある人物に届けてほしいと言い出した。

「お前にしかできねぇ」
「……本気ですか?」
「ああ。今はまたあのあたりに滞在されているらしいからな」

他に方法があるかと問われれば、ないと答えるしかない。それだけの相手ではある。
目の前の土方を見れば、その落着き様からよくよく考えての事だとは思う。だが、すぐに面会を求められる相手ではない。

「わかりました。ですが、ここに行くにはまず面会を申し込まないことにはどうにもなりませんよ」
「わかってる。今日はもう無理だろうから明日、すぐに面会を申し入れて、叶えばその日のうちに、駄目ならお前の義父の力でもなんでも借りて手筈をつけろ」
「……承知」

頷いた総司は、そのまま土方の部屋で書付をもとにあれこれと話を詰めた。

 

– 続く –

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