風天の嵐 8

〜はじめのつぶやき〜
大変だ~大変だ~。セイちゃんがいなくなっちゃったー

BGM:土屋アンナ Voice of butterfly
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「どこへ連れて行こうというのです」
「来ればわかる」

ぐいっとセイの腕を引くと強引に土間に下ろされた。足元がふらついて倒れ掛かったセイを腕で引き起こした男達はそのままセイを連れて裏口から表へ出た。

何事もなかったように装うためなのか、裏口の戸を直して、巧みに戸締りの棒を立てかけるとセイを促してすぐそばまで呼び寄せていた駕籠に有無を言わさずに乗せた。
駕籠に乗る直前に猿ぐつわだけを噛まされたセイは密かに手に握りこんだ小さな糸切鋏を背中の帯の隙間へと押し込んだ。

手足を縛られなかったのは、セイがお腹をかばって危険なことはしないと思っているためらしい。

確かに今、不用意な行動をとっては自分だけでなく赤子も危険だと思う。その考えと行動を読んでいるということが彼らが手馴れていることを表していた。

―― 沖田先生……

自らのせいではなく、連れ去られるのだというのにセイは心の中で、ひたすら詫びていた。
ごめんなさい、と。

きっと心配かけてしまう、総司の仕事の邪魔になってしまう。足手まといになってしまう。

いつもならきっと冷静に行動できて、逃げることもできたかもしれなかった。だが、今のセイは不安に押し潰されそうになっていて、いつになく動揺していた。
今はただ。

しばらく駕籠に揺られてセイは、見知らぬ屋敷へと運ばれていった。

 

 

夜遅くに屯所に戻った総司は、セイの事を原田が送って行ったと聞いて、いくらかほっとした。屯所にいて待っていたとなれば、今日は泊まるしかないだろうが、家に戻っているのなら少しは気持ちを落ち着けているだろう。

「遅くまですまなかったな。総司」
「いえ。結局、大した情報もなくて申し訳ありません」
「あのはねっかえりは家に帰したからお前も早く帰ってやれ」
「お気遣いありがとうございます」

報告を済ませた総司は土方の部屋を出る。隊士達が遅くに戻った総司のために握り飯の包みを用意していた。

「遅くまでお疲れ様です。沖田先生」
「皆さんも、こんな時間まで起きていなくてもいいんですよ」
「そんなわけにはいきません。先生、追いたてるみたいで申し訳ないですけど、その……」

隊士達が布団を敷いて夜着を着ているのに、皆が目を覚ましていたのはもちろん総司を待っての事だが、それでも握り飯の包みを押し付けておいて言葉を濁したその先には総司も苦笑いを浮かべた。

「わかってますよ。早く帰れというのでしょう?」
「すみません。その……、つい」

照れくさそうな顔で、皆が顔を見合わせる。やはり隊医になったといっても、セイはまだ一番隊の仲間だった。
総司は隊部屋に入ることなく刀を手にしたままで握り飯の包みを受け取った。まだほんのりと温かいそれを懐に入れて、ありがとう、と軽く頭を下げた。

「皆さんにまで心配をかけてすみません。お言葉に甘えてじゃあ、帰ります」
「そうしてください。あいつ、いや、神谷は絶対起きて待ってますから、早く帰って休ませてやってください」

夫の自分と変わらないくらい、セイの事を良くわかっている言葉に総司は頷いて歩き出した。門脇の隊士が提灯に灯りを入れて差し出してくれる。

「お疲れ様でした。早くお帰りになってください」
「そんなにみんな、私を早く屯所から追い出したいんですね」
「あっ!いや、そういうわけでは」
「わかってますよ。ありがとう」

からかい交じりに門脇の隊士と言葉を交わした総司は、一人家に向かって歩き出した。
時間の経過とともに頭の冷えた総司は少しセイに冷たすぎたかと反省していたこともあり、セイが起きていたら少し話をしようと思っていた。

「ただいま……?」

からりと玄関を開けて、総司は家に入った瞬間、灯りのついた家の中がひどく静かなことを感じながら部屋を覗き込んだ。

「セイ?……おっと」

人気の無い部屋の中で行燈の芯が伸びすぎて、大きな火になっていた。駆け寄ると、刀を脇に置いて、急いで芯を切る。
台所にいるのかと振り返った総司は、鼻につく焦げ臭さに台所に下りた。竈の火を落とさなかったために釜の中で飯が焦げ付いている。

「……セイ?」

心の臓が徐々に早くなり、体温が上がる気がした。
焦げ付いた釜の蓋を放り出して、寝室や納戸を覗くがそこに求める人はいなくて、総司は雨戸を開けて庭も覗いたがそこにも人気はなかった。

もう一度台所へと降りようとして、総司はそこにある乱れたままの草履に気付いた。
部屋の中にもいない者が草履も履かずにどこかに行くはずがない。微かに残る乱れた足跡は裏口に向かっていて、その時初めて裏口の戸締りがいつもと違っていることに気付いた。表に立てかけられた心張棒のために開かない裏口を蹴って総司は表に出る。

「セイっ!!」

人影もない裏手に出た総司は、まさかという思いで唇を噛み締めた。それでも信じられなくてもう一度家の中をくまなく見て歩いた。どこかに、もしかしたら具合を悪くして蹲っているのかと、そうであってほしいと思っていた。

広げられたままの端切れの傍にセイが座っていたはずの場所。
縫いかけの端切れが針山に二本の針で縫いとめられていた。

手を伸ばした総司は指先でそれを拾い上げた。

「二本……」

掌に転がる鈴と端切れ。
何かを感じたのか、総司は火鉢の上から鉄瓶を下ろして、灰を掻き寄せると火を落とす。部屋の中を照らす唯一の行燈の火を吹き消すと、刀を手に家を出た。
指先が震える。

家の周囲を一回りすると、かっと目を見開いて全速力で走り出した。

まさかと思いたかった。
こんな遅い時間に思いつく場所と言えば、具合が悪くなって松本の元へ向かったのかもしれない。微かな望みをかけて木屋町の南部の仮寓へと向かった。

玄関先で声をかけるとすぐに奥から揺れる灯りが近づいてきて、南部が顔を見せた。
夜着を着てはいるが起きていたらしい。

「沖田先生」
「夜分に、申し訳ありません。セ……、神谷さんは来ていませんか?」
「神谷さんですか?昼過ぎにお帰りになったままですけど、何か……?」

荒い呼吸を押えて、肩で息をする総司に南部が逆に問いかける。総司の声に気付いたのか、酒気をさせて松本も顔をのぞかせた。

「おう、沖田。なんだ、夫婦喧嘩でもしたのか?」
「いえ、そうではないんですけど。わかりました。夜分に失礼しました」

ろくな挨拶もせずに、すぐ総司は身を翻して走り出した。

 

 

 

– 続く –