阿修羅の手 7

〜はじめのつぶやき〜
緑の手ってあるでしょ?セイちゃんは阿修羅の手なのです

BGM:嵐 Happiness
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「いやー」
「な?痛かったか?俺も痛かった。これであいこだな。寿」

泣きながらもぶんぶん頷いた寿樹は、正一の頭に小さな手を差し出した。

「まーも」

正坊、と寿樹なりに呼んでいるのだろうが、一生懸命、小さな手を伸ばして寿樹は正一の頭を撫でた。にっと笑った正一も同じように寿樹の頭を撫でる。

「寿樹もいいこいいこな」
「あい」

にこぉっと笑った寿樹は、再びセイのほうを見上げた。その目には、また叱られるかしらという不安があったが、セイは先に正一のことをぎゅっと抱きしめた。

「正坊。ごめんね。ありがとう」
「ごめんもありがとうもいらん。俺は寿樹の兄貴分やから、弟分の面倒を見るのはあたりまえやしな」

もうずっと男っぽくなった正一は、自慢げに鼻の舌を指先でこすったが、セイに褒められてぎゅっとされたことはそれなりに嬉しかったらしい。
ぽんぽん、とその肩を叩くと、セイは軽々と寿樹を抱き上げた。ごつん、と額をつきあわせると、寿樹と目の高さがぴたりと同じになる。

「ただいまですよ。寿樹」
「あーたま!」

母様、と寿樹なりに呼んでいるらしい。ぴたぴたとセイの顔を両手で挟み込むと、お帰りなさい、とセイにだけはわかるように言った。

しばらく口を開いてまじまじとセイと一連の流れを見ていた斉藤は、ゆっくりと口を閉じて、お里がくすくすと笑いながら運んできた茶に手を伸ばした。

「お久しぶりどす。斉藤先生」
「いきなり訪ねて申し訳ない」
「とんでもない。うちはいつ屯所に戻ってもええと思ってるんやけど、おセイちゃんがこのままでっていうものやから……」

せっかく近藤や土方の配慮でお里を子守として正一と共に寿樹を屯所で見ていたのだ。お里としても、初めのうちは驚いて目をそらすことも多かったが、それにももうそろそろ慣れたところだった。

「……なるほどな」

何かほかにも思うところはあるようだったが、それだけを呟くと斉藤は再び茶をすすった。その前にお里がもらったばかりの菓子を差し出す。

―― こないに気ぃ遣うことなんてあらしまへんのに……

兄分としての斉藤にくすくすと笑いがこみあげてきて、おかしくて仕方がなかった。お里はひとしきりくすくすと笑いながら、セイと寿樹の帰り支度を手伝い始めた。
昼間の汚れ物を持って帰ろうとするセイに、にこりと首を振る。

「もう、毎日毎日、いうてるのに。ここで洗って乾かした方がいいやろ?持って帰って、これから洗いもんしてたらあっという間に真夜中ですえ?」
「でも、お里さん。申し訳ないし……」
「いいえ。申し訳ないのはうちの方や。屯所にはいかんようになってるのに、変わらずお給金もいただいてるし、朝と昼は屯所からお膳もとどけてくれはる。そやから、これはうちの仕事どすえ?」

じぃっとお里に見つめられると、セイもそれ以上は無理にできなくなって、伸ばしかけた手を引っ込める。そうなってしまえば、おもちゃも着替えもほとんどは置いて帰ることになる。
少しの荷物をまとめると、斉藤はそれを見て立ち上がった。

「じゃあ、お里さん。ありがとうね」
「うん。ほな、また明日ね」

お里と正一の見送りを受けて、斉藤と寿樹を抱いたセイはお里の家を後にした。

ゆらゆらと歩くセイに抱かれているうちに、とろとろと眠くなったのか、腕の中で寿樹は今にも眠ってしまいそうな顔をしている。荷物と寿樹を抱いているセイに合わせて、歩調を緩めた斉藤は不思議な気分で隣を歩いていた。

身内かと思うほど近しい存在でありながら、いつの間にかすっかり母の顔をしているセイがいる。

「あれは……、いつもあんな風にしているのか?」
「ああ。二人のことですか?」

くすっと笑って、軽く抱いている寿樹をゆすりあげると、頷いた。
一人っ子で、しかも総司の子ということもあって、屯所にあってもお里も、松本も、誰もが大人たちは寿樹を特別扱いをして甘やかす。それをしないのは、セイと土方くらいなのだ。

「正坊が一番の兄貴分なんです。その次が茂君でおまささんと茂君が遊びに加わったらすごいですよ。茂君は自分が負けるはずはないって、対等に戦いますから」

茂は、茂でおまさの実家では大変な可愛がられようである。今が一番、わがままが出てきた年頃ということもあって、自分よりも下のまだ赤ん坊に近い寿樹に少しでも負けるようなことは自分でも許せないらしい。

「正坊のことは、二人ともすごく慕っていて、大好きなものですから結局は、お互いに泣き出して慰め合って、正坊に褒めてもらってるみたいです」

武士の子二人が正一の弟分二人というのも不思議なものだが、セイはそれについて違和感を覚えているわけではないらしい。

ふと、自分の子供時代を思い出すと、物静かで厳しい父と、優しくて儚げだった母のもとで自分も寿樹たちのようににぎやかに育つということはなかった気がする。武士の子として、当たり前なのだといわれて育ったものだ。

「それも沖田さんやお前達流というところか?」

きょとん、と目を丸くしたセイは、少し首を傾げると、見えてきた自分達の家の格子をあけて斉藤を招き入れた。

「どうぞ。おあがりください。お時間が許すようなら夕餉もぜひ」

ほかの隊士達なら、総司の不在に家に上げることはないが、相手が斉藤であれば何の問題もない。すっかり眠ってしまった寿樹を抱いて、一足先にセイは家に上がった。

座敷に入ると、ひとまず座布団を広げて、寿樹を寝かせる。母の腕から急に離されたのがわかるのか、少しだけむずがったが、再び眠りに落ちた寿樹にほっと息を吐くと、セイはすぐに斉藤のために場所を作る。

障子を開け放って、空気を入れ替えながら、斉藤が部屋に入ると、庭先に近い場所に腰を下ろした。

「斉藤先生は、お酒のほうがよろしいですか?」
「……ほう。この家に酒の支度があるのか」
「少しは沖田先生も飲まれますし、局長や原田先生たちがいらっしゃることもありますから」
「ふむ。だが、まだ仕事もあるから茶をもらおう」

少しばかりの酒で酔っぱらう斉藤ではないが、本当にこの後、隊務はまだあるために遠慮することにしたのだ。
寿樹が生まれてすぐの頃は斉藤もこの家に足を運んでいたが、セイが仕事に戻ってからは久しく、来ていなかったような気がする。それだけにこの家にある酒にも興味が沸いたがそれはまた次の機会にすることにした。

「本当は、沖田先生は家ではほとんど飲まれませんから、あまりいらないんですけどね。その分、原田先生や永倉先生、藤堂先生が見えると、あっという間になくなっちゃいますから」

火を起こして、鉄瓶をかけると、斉藤に断りを入れて、セイは台所に立った。

 

– 続く –