阿修羅の手 8

〜はじめのつぶやき〜
先生同士の差し向かい~。

BGM:嵐 Happiness
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その日の夕餉は、炊き立ての飯と、ニシンの昆布巻き、蕪の浅漬けに汁物であった。
総司の帰りを待つか、先に斉藤に食べてもらうか迷ったセイは、間もなく暮れ六つも過ぎようとしていることに気が付くと、先に斉藤の膳を用意し始めた。

まだすやすやと眠っている寿樹の様子を時々、ちらりと見ながら、お膳を先に運ぶ。お櫃と鍋は別に運んだところで、給仕についた。

「斉藤先生。どうぞ」
「いいのか?沖田さんを待たなくて」
「ええ。いずれお戻りになるでしょうし、屯所に戻られるなら先にお召し上がりいただいた方がよろしいかと」

お櫃の蓋を開けると、ふわっと湯気が上がり、その飯をよそう。屯所の飯も今は粥ではなくなった。壬生の頃は顔が映りそうなくらいの粥の日もあったが、今は違う。
しばらく、総司の家にも屯所から飯が届けられていたが、今は出来る限り、セイが作っている。寿樹の分を考えるとその方がよいのだ。

ふのりの味噌汁を口にした斉藤が、思わずうまい、と呟いた。

「よかったです」

斉藤が気に入ってくれたことが嬉しくて、セイは小さなお盆を抱えてにこりと笑った。
そこは、男手ばかりの上に、男ばかりの暑苦しい部屋で飯を食べるより、はるかに良いだろう。まるで、この家が斉藤の家で、セイが嫁で、寿樹が子供のような錯覚に陥りそうになる。

ふと、立ち上がると、セイは座布団ごと寿樹を抱えて隣の部屋へと連れて行った。襖を半分ほど開けておけば様子を見ることもできる。

「大きくなったものだ」
「もう一つになりましたから」
「そうか。そう言われるとそうだな」

自分達の感覚ではもう一年が二年でもおかしくないほど、日々、慌ただしいがそれが子供であればなおさら時間があっという間に過ぎたような気がする。

黙々と口を動かして飲み下すと、真っ白な蕪のつるりとした舌触りと塩昆布の切れ端を口に放り込む。口にする物にあれこれ言う性質ではないが、屯所の食事とは違う味付けがひどく新鮮に思えた。

「月の何日か、賄いにたったらどうだ?皆の評判もいい気がするが」
「それは褒めすぎです」
「局地的には事実だと思うが?」

からかい過ぎです、とセイが答えているところに総司が戻って来たらしい。玄関の格子を開ける音がして、セイは立ち上がった。出迎えようと、玄関に向かいかけたがすでに総司がこちらに向かってきたのを見て、先に立って奥の部屋へと入っていく。

部屋に顔を見せた総司はそこにいる斉藤におやと、眉をあげた。

「斉藤さん、珍しいですね。ああ、今日は送っていただいたんですか?」
「おかえりなさいませ。沖田先生。沖田先生はきっと今日は遅くなるだろうとおっしゃって、送ってくださったんです。そのお礼も兼ねて、夕餉を召し上がっていただいてました。沖田先生の分もすぐに」

先に奥の部屋に入ったセイは、総司に向かって話しかける。話を聞いた総司は、頷きながら斉藤に軽く頭を下げた。

腰から刀を抜いて、刀掛けに置くと羽織を脱いだ総司は、開いていた襖から隣の部屋に寝ている寿樹を覗いた。気持ちよさそうに眠っている姿を見て、ふっと口元に笑みを浮かべた総司が振り返る。

「今日は夜番でしたよね?」
「ああ。主が不在のところで先に夕餉をいただいてしまった。すまんな」
「そんなことは全く構いませんよ。むしろ一緒にいただけなくてすみません」

寿樹の眠っている奥の部屋で総司の着替えを用意したセイが、総司と入れ替わりに戻ってくる。少し温くなった鍋を手にすると台所に降りた。

着替えを手にしかけた総司は、思い直して着替えずに斉藤の目の前に腰を下ろす。そこにセイが膳を運んできて、斉藤にも飯をおかわりにとよそった。
鍋が煮立つ音を耳にして、慌てて台所から運んでくると、斉藤と総司の二人に汁をよそう。

「遠慮なく召し上がってくださいね。つい、屯所のくせが抜けなくて、今でもすごくたくさん作ってしまうんです」

確かに鍋の中は、客の斉藤が来ているにしても大人三人に子供が一人という量ではない。屯所で賄いに立っていたのは随分前だが、今でも大目に作ってしまう。
箸を手にした総司がにこにこと斉藤に向かって言った。

「この人のご飯、おいしいでしょう?だから結局たくさん食べちゃうんで、ちょうどいいんですけどね」

―― 何を惚気ているのだ。この男は……

恋心という点ではもうないが、それでも兄の心持からすると夫である総司の惚気など、面白くはない。じろりと総司を睨んだ斉藤は、黙々と箸を動かした。

「ところで斉藤さん?今日はどうしたんです?」

セイが先ほど送ってくれたのだと言っていたにも関わらず、改めて斉藤に問いかける。この忙しい男が、隊務も終わっていないのに、わざわざ足を運んだことを考えれば何かあったと思う方が正しいだろう。

にこにこといつも通りの昼行燈ではあるが、察しがいいというのか、察しがよすぎるというべきか。

「なに、つまらぬことだ。局長と副長の話を小耳に挟んだものでな」
「へぇ。どんな話です?」

ちらりとセイの顔を見ながら箸を動かしていた総司は、空になった茶碗をセイに差し出した。

「もしかしたら、神谷さんがほかの隊士のように稽古をしたり、巡察に出たいといったとか?」
「えぇっ?沖田先生?」

あの場だけの話だと思っていたことを斉藤が耳にしたという話で十分驚いていたのに、総司まで知っているのかと驚いたセイは、はっと我に返って口を押えた。あの後局長室を出てからいくらも立たないうちに斉藤が現れて、家に送ってくれたのだ。

そんな暇などなかったはずだ。ましてや、総司は自分の隊の面倒をみていたはずである。

ふぅ、と斉藤がため息をつくと、くすっと総司は笑った。

「ね?この人ってば変わらないですよねぇ。斉藤さん」

うっかり余計なことを言ってしまったのだと唇を噛みしめて、俯きそうになったセイを見た斉藤は、空になった茶碗と箸をおいた。

「神谷は鈍った腕を取り戻すことはできないが、せめて勘を取り戻したいという話をしたまでだ。それをおおっぴらにすればあんたにも迷惑がかかるだろうし、初めは物笑いの種にもなりかねん。それよりも、ひそかに稽古をしてからのほうがいいという話だ」

一息にそこまで言った斉藤は、ずずっと茶をすすると、セイの顔をまっすぐに見つめる。

「俺はその考えに賛成だ。俺でよければ稽古の相手になろう」
「斉藤先生……」

黙って話を聞いていた総司は、セイに茶碗を催促すると慌ててセイがよそった飯を受け取った。

「まあ、そう急がずにゆっくり考えましょうよ」

のんびりした口調でへらっと笑うと、膳の上に箸を伸ばした。

 

– 続く –