残り香と折れない羽 26

〜はじめのお詫び〜
30話で収まるかなぁ……

BGM:

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小部屋の中で覚書をしまったセイは、一緒に小部屋に移動して来た後、酒を飲み始めた原田と永倉の前に座っていた。

「俺達はもう少ししたら総司と交代する」
「外は斎藤がいるからな」

そういいながら、ぐいぐい飲んでいく姿をみていると、よくそれだけ飲んでも平気でいられるものだと思う。呆れながらも自分を心配してこうして傍にいてくれるのだと思えば、ありがたくもある。

「明日は斎藤がこっちだろ?そしたら酒、このくらいじゃ足りないぞ?」
「わかりました。買い足しておきますね」

本当はその酒も二人が持ち込んでいて、明日の分だと言って別にひとつ大ぶりな酒瓶を隠しているのも分かっているが、少しでも気楽な話で和ませようという気遣いだろう。
狭い部屋なのでさすがに床はひいていない。そろそろ門限の四つを過ぎて皆が寝静まる頃だ。

行燈の枠を入れ替えて灯りを押さえた。それを合図にしたのか、床下からコツ、と音がした。
原田達が頷いて、小部屋から病間への障子を開けた。そのまま二人は隣室へと身を潜めた。さらに半刻ほどすると、隣室から総司が現れた。総司がここまで来る間は斎藤が誰にも見られないように見張りながら来ている。表向きは、総司は隊部屋にいることになっている。
さらに、入れ替わりで隊部屋に戻った原田と永倉が周囲を一回りして戻っている頃だろう。

入るなり口元に人差し指をあてて、総司はそっと様子を伺った。総司がこの部屋にいるようでは誰も近寄らない。
セイに壁際によるように手振りで指示すると、総司はセイのために床をひいた。

自分は表からの入口と病間側の隅に陣取った。セイが、傍によると小声で不満を言った。

「総司様!こんなの駄目ですってば」
「静かになさい」
「駄目です!こんなところにいたらお疲れがとれません!私だけ休むなんてできませんよ」
「貴女が起きていたらますます誰も来ませんよ。いいから静かにお休みなさい。私は昼間休みますから」

そういいながらも明日も昼間は隊務をこなしていて、きっと休んではくれないだろう、夫を思えば、セイはなかなか休む気になれずに、ぐずぐずと総司の傍にいた。そのセイを、総司はとん、と肩を押して突き放した。

「貴女のためではなく、これはもう特命なんですよ」

静かに言われた言葉に、セイは僅かに目を見開いて総司を見た。それから黙って目を伏せると、這うようにして床にもぐりこんだ。
外からは、虫の音が聞こえていた。

 

 

武田は流れ始めた噂に、浅野が自分を謀っていたのかと疑い出していた。しかし、再びセイを襲うには危険すぎる。とにかく問題の覚書を手に入れるしかない。
浅野にはなんとしてでも、覚書を手に入れるように指示をだしていた。

まさかすでに自分に対しても疑いの目がむいているとは知らない武田は、一時はどうなるかと思ったが、再び自分に対してよい方に事態が回り始めたと思っていた。

そして、浅野はもはやいつ隊を抜けるかという日を指折り数えて過ごしていたのだ。
武田が何を言おうが、もはや関係ない。覚書さえ手に入れられればいいのだ。次の約束の日は明後日に迫っている。

セイが戻った今、行動を起こすのは早い方がいい。

 

今夜は、診療所にはセイしかいないと聞いていた。総司は仕事が残っているため、隊部屋か副長室のどちらかにいるはずで、セイも屯所に留まっているとはいえ、診療所には総司はいないはずだった。

外を回って小部屋の周りを伺うと、人の気配はなく、灯りも落とされているようだった。外側から階段をそっと昇って様子を伺うが、部屋の中は静まり返っていてセイもどうやら休んでいるらしい。
息を殺して階段に這うようにして気配を探る。

何の悪戯か、月明かりが雲の切れ間から差し込んで、浅野が身を低くしているとはいえ、その影が障子に映りこんだ。

はっとして浅野は慌てて、身を引いた。こんな月明かりの中では、忍び込むのも得策ではない。静かに階段を下りると、急いで隊士棟へ戻った。監察方は隊士棟のはずれに外から出入りできる部屋をあてがわれている。

部屋に戻りかけた浅野の前に、新井が暗闇から滲むように姿を見せた。

ぎくり、として浅野は身構えた。物影から現れた新井は、腕を組んだまま静かに浅野に近づいた。

「こんな月明かりの夜に忍び込むのは得策じゃないですよ」
「あ、新井さん」
「覚書、でしょう?神谷さんの所にある。それなら協力しますよ。私も取り戻したいんです」

新井はあえて、噂を否定するようなことは言わずに、肯定と助力を申し出た。

「武田先生は厳しい方でいらっしゃる」

浅野が武田と繋がっていることも匂わせると、浅野はもはや言い逃れができないことを悟った。

「新井さんは私を捕まえるのではないのか」
「まさか。この期に及んで貴方に捕まられると私も困る。それよりは速やかに覚書をとり戻すことに協力する方がいい」
「新井さん、貴方は一体……」

伊東の指示で隊の内部を探索していたのではないのか。その新井がこちらに協力を申し出てくる。
そこまで考えて、はっと気がついた。噂によって覚書を取り戻したくなったが、それがうまくいかなくて自分にそれをやらせようというのか。

浅野は、落ち着きを取り戻した。もちろん、事実は違うのだが、この二人には双方の思惑は正しく知られてなどいない。それで当人たちはよかった。
どちらも覚書さえ手に入れられれば、それぞれの保身が手に入る。行動を起こすのがどちらであれ、協力者がいれば楽なのは確かだ。

「力を貸してもらえるのか」
「もちろん。神谷は沖田先生以外にも先生方に守られている。そこから覚書を奪い取るのはむずかしいですからね」

利害の一致をみた二人は、隊部屋の縁の下にあたる階段の陰で密かに会話を続けた。
覚書を奪うこと、それ以外には触れない会話はある意味的確にお互いの意思を伝え合い、効率的に奪う方法を話し合うことができた。

とにかく、セイを一人にするか、診療所から引き離すこと。それによって、無人か、セイ一人の空間を作り出して、奪い去るしかない。二人の話し合いはもうしばらく続くのだった。

 

 

小部屋の中で、眠れずに床に横になっていたセイは、月明かりに移りこんだ人影にびくっとした。斎藤だろうか。

セイの緊張が伝わったのか、目を閉じて隅に寄りかかっていた総司がぱちっと目を開いた。障子に映った影がすぐに引っ込んだのを見て、しばらくはその後をじっと見つめていた。それから、這うようにして障子の隙間を開けると、人影がないことを確かめてすいっと障子をあけて外へ出た。

階段に現れた総司に、縁の下に潜んでいた斎藤が下からこつん、と突き上げた。部屋に戻れということらしい。

部屋に戻った総司は、半身を起していたセイに頷いて見せた。ほっと、息をついたセイが、どれほど緊張していたのかを伝えてきて、総司は先ほどの場所には戻らずに、セイの床の脇に座った。

壁を背にした形で座った総司の隣に、セイは起こしていた体を寄せて座り込んだ。きちんと床に寝なさい、といいかけた総司の腕に、隣に座ったセイがぎゅっとしがみついた。

同じように壁を背にしているものの、一瞬怯えてしまった自分を隠す様に、総司の腕に顔を隠したセイは、総司の腕を抱え込むことで色々なものを押し殺しているようだった。

総司はため息をつくと、セイに掴まれた腕をそっとはずして、顔を上げたセイを抱え込むように抱き寄せた。そのまま、セイを膝の上に抱え込むと、セイも安心したのか丸くなって総司にもたれかかった。

 

だいぶ経ってから目を閉じて眠りに落ちたセイを、そうっと起こさないように床に寝かせると、再び壁を背にして座った。
今日は月明かりのために断念したなら、明日以降は昼間でも危ないかも知れない。

 

―― くるなら来てごらんなさい。

ほんのりと口元に笑みをたたえるような表情で目を閉じた総司は、鬼の空気を纏っていた。

 

 

 

– 続く –