残り香と折れない羽 28

〜はじめのお詫び〜
山崎さんの京都弁というか、なんちゃって大阪弁みたいな変な言葉になってしまってすみません。

BGM:

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「お願いとは何でしょう」

すぐ背後に立っていた浅野から離れて、自然に膳を回り込んで向かい合った。浅野は笑みを浮かべたままセイを見る。

「何、簡単なことですよ。新井さんから預かった覚書を渡してください」
「覚書、ですか」
「ええ。ありますでしょう?」

その顔に先ほどとは違う、ニヤリとした笑みが浮かんだ。セイは落ち着いてその場に座った。

「お好きなだけこの部屋を探されてはいかがですか?」
「何?」
「今はどの棚にも鍵はかけていませんし、お好きなだけ探してみてはいかがですか?」

セイは同じことを繰り返した。浅野は、何が何だかわからなくなった。

―― なぜだ?抵抗するでもなく、勝手に探せ?一体どういうことだ?

 

うろたえた浅野は、目の前に涼しい顔で座っているセイに向かって手を振り上げた。

 

ぱっと飛び退ったセイは、小柄を手に浅野の首筋に充てがった。

「私は逃げも隠れもしませんよ。構いませんから浅野さんがおっしゃる覚書とやらをお探し下さい」

浅野が動きを止めたことを確認して、セイは浅野から離れた。隣室には人の気配があるが、様子を見ているらしく、踏み込んでは来ない。

セイに首元をとられた浅野は、冷たい汗が背中を流れるのを感じた。
隣室へ続く襖を背に、セイは黙って立っている。
それを見て、とにかく覚書を探すことにした。片っぱしから棚をあけ、薬の薬包を引っ張り出しては部屋の中にまき散らし、次々と開ける棚の中には冊子の一冊も入っていない。
振り返った文机を乱暴に手で払いのけた。

転がった文箱の蓋が外れて、鈴の音が響いた。ばさばさと広がったのは覚書の冊子であった。
がばっと飛びついた。

「な、なんだこれは……。新井さんの手跡でもなければお前のものでもない……武田……か?!」

浅野が握りしめている冊子は、丹念にセイが武田の筆跡を真似て書き写したものだ。それを知らない浅野は、セイの筆跡でもなく、新井のものでもなく、見慣れた武田の筆跡による覚書をぶるぶると震える手で握りしめた。

「わ、私はこれを手に入れろと言われたのだ。なのに……なぜ奴の手による……」

セイは何も言わずにその浅野の姿を見ていた。

 

 

 

新井の報告を聞き終えた土方は、特に動じる風もなく、これといった下知もないまま、湯のみに手を伸ばし茶を飲み始めた。総司は何も言わずに席をたって、副長室を出て行く。

「まだ何か報告があるのか?」

黙ったままの土方を前に、下がっていいのか、下知を待てばいいのかと控えていた新井は面喰った。自分が持ち込んだ報告が、さほどの驚きもなく受け入れられるはずがないと思っていたのに、落ち着き払った土方の態度に驚いた。
次の瞬間、めまぐるしく新井の脳裏では考えが次々浮かんだ。

「あ、あの、いえこれだけです」
「そうか」

とにかく、土方の前から下がった方がいい。そう思って、新井が部屋から下がろうとしたその背後に人影が立った。

「新井はん、そういう報告は私を通してもらった方がいいかもしれまへんなぁ。変な噂流すよりよっぽど隊のためになりますやろ」

ひんやりとした気配を纏って、新井の背後に立ったのは町人姿の山崎だった。山崎の声を聞いて、振り返ることもできずに新井は頭を畳に擦り付けた。

「なんや、そんな畏まらんでもいいですよって。ただなぁ、これからはもう少し私や副長の言う通りに動いてもらわないと隊命に逆らったいうて、法度に触れるんじゃないですかねぇ」

ぽん、とその肩を掴んだ山崎の手が思いきり、肩の関節の間を掴みあげた。肩が外れるまではいかないものの、激痛が走って、新井は伏せた顔からくぐもったうめき声をあげた。
しかし、平身低頭の姿を崩さなかったのは天晴れといえるかもしれない。

新井の傍に屈みこんだ山崎は、肩を掴んだまま告げた。

「今回は見逃してくださるそうだ。それには今まで以上に色々と働いてもらうことになるが、二度とこんな真似をしてみろ。次はないぞ」
「も、申し訳もございませぬっ!!」

まだ新井には働いてもらわなければならない。これで伊東派に情報が流れる元を一つ潰したようなものだ。新井の肩を掴んでいた手を離すと、山崎は新井に監察の部屋に行くように告げた。しばらくは害にもならず、伊東一派に接触もできないような仕事を与えるつもりだった。

恐ろしさの余り、顔を上げることもできないまま、転がるように新井は副長室から飛び出して行った。一人で行かせても逃げられるわけはない。浅野が去った後に座り、山崎が手をついた。

「まったくもって、配下の者が不始末をしでかしまして申し訳もございません」
「まあ、監察は仕方がねえ。あちこちに散らばっていて、その仕事も一歩も二歩も間違い易いからな」
「とんでもございません。一人ならばまだしも二人も揃ってですから」
「そういうな。片や仮にも組長だぞ」

そう言うと、苦虫を噛み潰したような顔で再び箸をとった。

 

 

副長室を出た総司は、診療所へ向かった。診察室を通り抜けて開け放してある病間に入ると、風が流れずに止まっていて、小部屋の声が聞こえた。

「……なぜ奴の手による……」

予備の部屋を覗き込むと襖の影に斎藤がいる。目があって、斎藤が軽く頷いた。

ちゃき。

 

総司が脇差に手を掛けた瞬間、鍔が鳴った。
その音で我に返った浅野は、とにかくそこにあった冊子を掴むと懐に押し込んで、自らが閉めた障子を破らんばかりに、ぶち当たりながら引き開けると、階段を踏み外しながらも駆け降りた。
障子にぶつかった音で、斎藤と総司が小部屋に踏み込んだが、飛び出していく浅野の後を追いはしなかった。

「セイ、大丈夫ですか?怪我はありませんか?」

斎藤達が飛び込んだ所の襖を背にして立っていたセイに、総司が声をかけた。落ち着き払ったセイは、大丈夫です、と頷いた。今の様子と、叫びながら屯所を飛び出して行った姿は他の隊士達も目撃しただろう。

 

これで隊内の襲撃と脱走で処断できる。

 

隊士棟で騒ぎを聞きつけた武田は、わなわなと身を震わせていた。
浅野が捕まれば自分の身も危ない。

「な、なぜこの私がこんなことに……」

震える身を押さえつけるように、武田はその場に立ち竦んでいた。

 

 

– 続く –