広がりの果て

〜はじめのお詫び〜
さらに追加の後編!久しぶりですねー。
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副長室の前の廊下でそろそろ強くなり始めた日差しを眺めて、総司は温い茶を飲んでいた。

同じように部屋の中は陽が差し込まない分だけ、少しだけ空気が柔らかい。文机に向かってせっせと筆を走らせていた土方が温い茶に手を伸ばしてようやく顔を上げた。

「呑気だな」
「そうですかぁ?」
「また大喧嘩したばかりだろう」

中村の一件のあと、同じようにセイの手伝いをしようとする隊士、もっぱら中村だったりするのだが、セイの周りをまとわりつく姿に悋気と大喧嘩を繰り返してこれで三度目の騒ぎになっている。

今回は井戸端にいたセイがうっかり汲んでいた水をこぼさないよう、袴をたくし上げていたのだが、不幸な偶然が重なって、転んでしまったところに斎藤が通りかかった。
当然だが、袴を気前よくたくし上げていたこともあり、派手に白い足を晒したセイを見て、斎藤が鼻血をだした。

そのことを後になって耳にした総司がセイに嫌味をいい、すっかり冷戦状態になったという流れだ。

「したばかりなんじゃありませんよ。今、まさに大喧嘩の真っ最中というやつです」
「堂々というか?」

呆れた口調と共に衣擦れの音がして、どうやら土方がこちらを向いたと感じた総司は、湯飲みを置いて、障子に寄りかかる。

「堂々も何も、皆さん知ってるでしょう」
「開き直ったな」

土方は初めから咎める気も間を取り持つ気もなかっただけに今回も、うるさいとは思っていても咎めることはない。ふ、とおかしそうに笑った土方は眩しそうに、眼を細める。

「理由はなんだ」
「理由?」

土方に聞かれたのがよほど意外だったのか。
何を聞かれているのか本当にわからないらしい総司に、土方は肩を竦めた。

「この馬鹿馬鹿しいやりとりさ。お前はもともと神谷には執着してたけどな。それを出すのを嫌がってただろ」

しばらくぼんやりとした総司は、ああ、とわずかに笑った。

「私、中村さん、嫌いじゃないんですよ。斎藤さんも」
「……あ?」

胡乱な目を向けられていることはわかっていたが、だからこそ総司はまっすぐに土方を振り返った。

「そりゃね。組長ですから、私情でどうのってのはないんですけど。でもそれ以上に私は二人が大好きなんですよ」
「ほう?」
「その割には、なぁ?」

面白がっている様子の土方に、今度は総司が肩を竦める。

「こういったらおかしいかもしれませんが、二人とも本当に嘘がないんです」

セイが女だということはわかっても、その後色々なことがあって、今になっても、二人は全く変わらないのだ。
セイに対しても、総司に対してさえ、変わらず、そして本当にまっすぐセイを愛おしんでいるのが分かる。

まるで総司など視界に入っていないようなふとした瞬間に、胸を打たれるのだ。

愛おしい。
笑っていてほしい。
どうか。

そんな想いが総司にさえ伝わってくる。

「お二人とも、すごくわかってるんですよね。だからこそ、本当に何かあるなんて一切ないってわかってるんです」
「お前、そこは悋気なんか駆け引きに使うもんだろ?」

だてに妓たちを泣かせてきたわけではない、土方らしい言葉だが総司は緩く首を振った。

「そんな必要なんてない気がします。セイも……、斎藤さんも中村さんもみんなまっすぐなんですよ。だから、私もまっすぐに行こうと思って」
「だからってお前、そんなあからさまに一番隊組長が悋気なんか」
「駄目ですか?」

ふわりと笑った総司から、これまでの総司にはなかった男の色気のようなものがみえて、土方はほんの少しだけ目を見開いた。

「だって……、あの二人が本当に今も変わらずにまっすぐにセイを想ってくれるんなら、私も同じように二人にもわかるくらい、まっすぐに行こうと思いまして」

空になった湯飲みを置いて、土方は文机に手をおいて再び向き直った。

「総司。そんなに暇なら茶を汲んで来い」
「えー……。土方さんたら本当に私を使いっぱしりにしますよねぇ」

渋々と腰を上げかけた総司が一瞬固まった。

「……総司?」

一呼吸分の間をあけて、少し離れたところから足音が聞こえる。
それをきいて、土方にもその意味が分かった。

「ほんっとわざとらしいですよね!」
「神谷さん」

近づいてきた足音は土方がその姿を見る前に声が先に聞こえてくる。
総司の顔がほわぁっと緩んだ。

「副長の部屋の前って診療所からも見えるんですよ!」
「そうでしたか」
「そうでしたかっって……」

わざとらしい、とぶつぶつこぼしているセイがひょい、と部屋の中を覗き込む。

「副長」
「神谷。邪魔だからさっさとそいつを引っ張っていけ」
「そういわれると思ってきましたが、嫌です」

即座に言い返したセイは、小さなお盆をもって部屋の中に入ってくる。

「代わりにこちらを」

先刻まで総司たちが飲んでいたのと違って、きちんと点てられたお茶と干菓子を乗せた盆をちらりと見た土方は片手でひらりと追い払う仕草を見せた。

「沖田先生にはこれです」

無造作に膝の上に落とした大きな包みには饅頭が詰まっている。そのままセイはぷい、と背を向けて副長室を出て行ってしまった。
土方は顔を上げずにもう一度片手を振った。

追い立てられるまでもなく、総司は腰を上げると包みを抱えて大股でセイの後を追いかけていく。

離れたところでセイを呼ぶ総司の声が聞こえてから隣の襖が開いた。

「やはり面倒見がいいな。土方歳三という男は」
「……面倒でしょうがねぇ。たまにはあんたも引き受けてくれ」

そういいながらも、近藤のところにはセイが行っていたのも知っている。

「俺たちの息子と娘だからな。面倒も仕方ないだろう」
「やれやれ……」

日差しも時代もいよいよ苛烈になるというのに、ほんのひと時の安らぎの時間。

—end