月明かり

〜はじめのお詫び〜
いろんなことがありますが、どんなことも初めてだとうれしかったりします。
BGM:HARCO 世界でいちばん頑張ってる君に
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「う……まずい……」

診療室にいて薬の調合をしていたセイは、いつもより薬の匂いが鼻について、不快だと思っていた。はっと顔を上げて、診療所用に立てられた厠に向うと思ったとおりの事態になっていた。

以前とは違い、女子であることが公になっているとはいえ、こういうことはおおっぴらにしたくない。必要な支度もこっそりと小部屋に持ち込んで準備はしてあるが、総司の非番にあわせて隊務をこなすようにしているために、いきなり今日から休みというわけには行かない。

小部屋から諸々の支度を取ってきて、身繕いを済ませると、再び薬の調合に戻る。

つん、とする薬の匂いがたまらなくて、しかかっているものだけを終わらせると、調合は後に回すことにした。土方や近藤から預かった書き物が堪っていたので、小者に小部屋にいることを伝えて部屋に移動する。

さすがに、いくら女子と分かられていても人がいるところでこんな体調でいることは辛い。
部屋の中に一人になると、崩れ落ちるように座り込んだ。

「う~……いつもよりひどいかも」

夫婦になってから、そういえば初めてくる。そのせいなのか、いつもより痛みや吐き気がひどい。

這うように火鉢の傍にずり寄って、ぬるいお湯だけをとにかく汲んで口に含む。
本当なら梅干をいれた熱い湯が和らげてくれるのだが、さすがにここに梅干まで用意は無い。なければ番茶でもいいのだが、今は茶を入れることさえ面倒で、白湯を飲み下した。

ぬるい白湯の匂いさえ気になって、僅かに口にしただけで、そのまま火鉢にもたれる。

―― これでも前よりはましかな。

セイは痛みから意識を逸らせるように考えを巡らせる。
隊士だった頃は、男装していたために別の意味で辛かった。
男物の着物は、女物より帯の位置が低い。そのために、痛む下腹部を帯で圧迫している格好になってしまい、余計に辛かった。
今は袴を着けているとはいえ、女物なので、帯の位置は以前よりは高い位置にあるため、少しは楽なのだ。

「はぁ……」

痛みを逃すように溜息を吐くと、どうせ誰も見ていないとばかりに、這ったまま自分の机まで移動する。
机に寄りかかるようにして、溜まった書類を片付け始めた。

 

「……?」

気がつくと、いつの間にかひかれた床の上に寝かされていた。
確か、ぽつぽつと書き物を続けていたはずなのに……。

布団の中で休んでいたせいか、体が温まって痛みも和らいでいる。むくっと半身を起こすと、後ろから総司の声がした。
「気がつきました?」
「沖田先生?あれ、まだ屯所ですよね?」
「もちろんそうですよ。貴女の部屋ですよ」

半分寝ぼけたようなセイの言葉に笑いながら、総司は文机からセイの元へきて、その顔を覗き込んだ。

「大分顔色が戻りましたね。私が来たときは真っ青だったんですよ?」
「えっ……」
「覚えてないでしょう?」

くしゃっと頭を撫でられて、セイはまだ頭がはっきりしていない。
夕刻、仕事を終えた総司が顔を出した時、セイは机に寄りかかって眠ってしまっていた。声を掛けて部屋に入ったのに、身動き一つしない姿に、慌てたもののひどく顔色が悪く、額に汗が浮かんでいたので、とりあえず小部屋の中に布団を敷いて、横にならせたのだ。

冷えた手足とセイの体から香る匂い袋でその理由には気がついた。清三郎だった時も、同じように匂い袋が強く香る時があったから。

「何か食べられますか?賄い所には声をかけてありますから、何か用意してもらえますよ?」
「いえ、大丈夫です。そんな手間をかけられませんし……」
「じゃあ、何か飲みますか?」

総司の柔らかな声が心地よくて、急に力が抜けてパタリとセイが倒れこんだ。

「セイ?!大丈夫ですか?」
「先生の声、気持ちいいです」
「貴女ねぇ……何を言ってるんですか」

力なく微笑みながら言うセイに、呆れたような声がセイの耳をくすぐる。セイの傍に座った総司が、冷えたセイの手をそっと握った。

「冷たい手ですね。こんなに具合が悪くなってましたっけ」

普段はお馬が来ると急いでお里の元へ向かったものだったし、待機などでどうしようもない時は、セイがよく縫いものなどをする小部屋に隠れて過ごしていたから、総司はその姿をほとんど知らない。
あんなに長いこと一緒にいて、知っているつもりでも思い出すこともできなかった。

少しだけ寂しげな顔をした総司に、セイはきゅっと手を握り返した。

「こんな姿見せられませんでしたから」
「どうして?」
「だって、こんな姿見られたら、それこそ無理して隊にいることはない、ってまた沖田先生に言われてましたよ?」
「それは……」

確かに、以前だったらそうだろう。あの頃は、繰り返しそう言い続けていたのだから。

握り返された手をもう片方の手で軽く叩いて、そっと手を離す。

「お茶、くらいなら飲めますか?」
「はい」

小さくうなずいたセイをみて、総司はすぐに部屋から出て賄い所からお盆に載せた湯のみと、熱い湯の入った鉄瓶を持ってきた。さすがに、 この時期、冬でもないので、部屋の火鉢も常に火が入っているわけではない。せいぜい、湯を沸かす時くらいで、後は灰をかけて保温状態にしておくものだ。

だから、わざわざ部屋の外の賄い所から熱い湯を持ってきたのだろう。とりあえず火鉢に鉄瓶をおいて、湯のみに湯を注いだ。
部屋の中にほのかな梅の香が漂う。

「起きられます?」
「あ、はい」

半身を起したセイは、差し出された湯のみから立ち上る湯気に、はぁ、と息を吐いた。

「これ……」
「葛湯に梅を入れてもらったんですよ」

わずかにとろりとして、梅の香りが温かい湯とともに喉を流れ落ちて、胃の中まで流れていくのがわかる。それまで痛みと、冷えに凝り固まっていた体がふわっと緩むのが感じられる。

セイの顔が嬉しそうに緩むのをみて、見ている総司のほっとした。

「落ち着いてよかった。いつもこんなに具合が悪くなるんですか?」
「ん、今回はいつもより少しだけひどいかもしれませんけど、だいたいこんなものですね」
「早くいってくれればよかったのに」
「今は、私が女子だと皆さんご存じですけど、やっぱりこういうのは知られたくありませんし、今はここにいられればなんとか過ごせますから、わざわざ休まなくてもいいかなと思ってたんです」

セイの頭をくしゃっと撫でた総司は、再び文机に戻った。

「あと、もう少しで終わるので、ちょっと待ってくださいね」

そこには、セイが書きかけだった仕事がほとんど片付けられている。

「やだ、あんなにあったのに、全部書いてしまわれたんですか?」
「あんなにあったからですよ。無理のしすぎですよ?今だって貴女は他にも仕事を抱えているんだからほどほどにしないと」
「すみません。そんなことまでさせてしまって……」

普段は報告書さえ面倒がって書くのを嫌がっていた総司だが、かなり達筆で総司らしい字を書く。

「いいえ、貴女の少しでも手助けができればそれでいいんですよ。ほら、言ってる間にこれで終わりです。ちょっと土方さんの所に置いてきますね」

そう言うと、総司は書類の束を抱えて、部屋を出て行った。何時だろう、と思っていると、五つの太鼓が鳴った。
セイがこの部屋に来たのが七つ頃だったので、倒れ込んでから随分眠ってしまったらしい。

セイは、湯のみを置いて、少しだけ起き上がると、敷いてあった布団を少しだけ押し出して、診察室側の壁際に寄せた。そうして、床の上に座り壁に寄りかかる。

以前は、お里の家でもどこか気を張っていたし、たった三日の休みがひどく長く感じられた。その間に、何かあったらと、気が気ではなかったともいえる。

しばらくして、総司が部屋へ戻ってきた。心配そうな顔が、寄りかかったまま座っているセイをみて、わずかにゆがむ。

「辛いなら、横になったらどうです?」
「横になってるのも楽ですけど、こうしてると結構楽なんですよ」
「楽ならよこになればいいじゃないですか」

セイの目の前にしゃがみこんだ総司がセイの顔を覗き込む。

「だって、副長に捕まるんじゃないかと思って……総司様が戻っていらっしゃるのを待っていたかったんですもん」

伏せられた顔からは表情は見えないものの、いつになく弱い声が呟いた。ゆっくりと、総司の顔に笑みが広がる。
ぱさりと、着ていた羽織を灯りにかけて光の量をおとす。
セイの手を引いて、前に重心をひっぱると、ぐいっとセイが座ったままの布団を引いて、壁際に隙間を作った。セイの背後に回って、その体をゆっくりと支えて寝かせる。
そして、その背後に自分の体を滑り込ませて、ぴったりと体を寄せた。

「こうすればもう少し体が温まるでしょう?」

首の下に回された腕と、温めるようにセイの下腹部に回された手からじんわりと温かさが伝わってくる。セイは首の下に回された手をぎゅっと握った。

「セイ?」
「総司様、もっと……何か話してくださいませんか?」
「話って……」

「何でもいいんです。総司様の声が優しくて、気持ちいいんです」

至極珍しい。セイが甘えるようなことを自分から言い出すのは。

「どうしたんですか?甘えん坊さんなんて珍しい」
「そうですか?そうかな……なんだか、声を聞いていたいんです」

「こんな風に貴女と話をしているならいいですよ」
「嬉しい」

きっと、お互い顔を見ていたら言えないことも、こうしていると素直に言えるようで、セイは重い瞼を閉じた。

「じゃあ……。貴女が眠っている間に、夕餉をいただいたんですけどね。やっぱり貴女の作ってくれるご飯が、一番おいしいなぁって思いましたよ。賄い所のご飯だって、今まではおいしいと思っていたんですけど、やっぱり貴女が作ってくれるからでしょうかね」
「それは、京風の味付けをあまりお好きではないからですよ。私のは、江戸風だから……」
「でも、私には貴女が作ってくれたものが美味しいんです」

―― 大好きな人が作ってくれるからですよね。ねぇ?セイ。眠ってしまいましたか?

握っていた手が、はたりと落ちて、かすかな寝息が聞こえる。総司もセイの寝息を聞きながら瞼を閉じた。

セイのこんな姿を知ったことも、珍しく甘えてきたことも今までの二人にはなかったことで、幸福な気持ちが
総司を夢の中に引き込んだ。夢の中で、二人は満月を眺めて静かに語り合っている。

部屋の障子の向こうにも輝いている満月が二人を包み込んで優しい夢の時間を与えてくれた。。

– 終わり –