爪跡と痛みの棘 2

〜はじめのお詫び〜
近藤さんってかなり大人だったのね、と思った瞬間、みたいな。BGM:Erik Satie Je te veux
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総司が眠りに落ちると、そっとセイはその腕の中から抜け出した。着物を整えて、静かに部屋を出る。
そうっと台所の片隅に蹲ると、セイはまだ甘い熱の残る自分の体を抱きしめた。

ぽろ、と零れた涙は何かを否定するものではなく、自分自身の求めたもの故に下された罰をその身に受けるようだった。我慢するには時々、心に刺さった棘が痛んでセイを苦しめていた。
こうして泣くことで自分は耐えられる。

静かに、暗闇の中で泣くだけ泣くと、セイは音をたてないようにその顔を冷たい水で洗った。

夜が明ける前には床に戻らなければ、総司に気づかれてしまう。冷たい水でよく目を冷やしておかないと、腫れぼったい瞼に総司が何を思うかわからない。

セイは、総司に気づかれないようにやるべきことを済ませると、そっと総司の眠る部屋へ戻った。冷え切った体が、総司の隣にそっと滑り込む。

「ん……セイ?」
「起してごめんなさい、厠へ行ってきただけです」

そう囁くと、総司は冷え切ったセイの体を抱き寄せて、安心したように再び眠りに落ちた。温かい腕の中で、セイはわずかな時間、眠りに落ちた。

 

 

「おはようございます」

総司より先に起きだしたセイは、いつもと変わらない笑顔で総司を起こした。
すでに仕事用の地味な色の袷に袴をつけたセイを、眠そうな総司が見上げて、セイの腕を引いた。

「きゃっ、ちょっ、総司様っ!」

ぎゅっと布団の間に引き寄せられたセイは、悲鳴を上げた。

「総司様っ、寝惚けてらっしゃるんですかっ、もう起きて!」
「ん〜……」

総司が抱き締めたセイの髪は、すでに結いあげられていて、ばさりと、総司の腕にかかる。眠そうな声を上げた総司は、
そのままセイに口づけた。

「んっ〜〜〜〜!!」
「御馳走様。おはようございます」

唇を離して、満足そうに目を開けた総司は、そのままにこっとセイに微笑みかけた。今にも文句が出そうだったセイはその笑顔に封じられて、頬を赤く染めながら唇を噛みしめた。

「……っ、早く、起きてください!」

そう言うと、セイは総司の胸を力いっぱい押して、その腕から逃れた。あとを追うように起きだしてきた総司が、珍しく台所で朝餉の支度をしていたセイをみて立ち止まった。

「総司様、早く顔を洗ってらして下さいね」

振り返りもせずに、背後の気配にセイが言うと、ええ、とだけ返事が返ってきて、背後の気配が動く様子がない。不思議そうにセイが振り返ると、わずかに眉をひそめた総司が立っていた。

「総司様?」
「あ」

呼びかけられて、ぱっと総司の顔から先ほどの表情が消えた。

総司は、昨夜、夢の中でセイが泣いている姿を見ていた。総司の腕の中の重さが消えたと思ったら、朝方冷えた体が戻ってきたので、再び眠りに落ちたはずだったが、やはりあれは夢ではなかったらしい。
確かに、前夜のことで総司が泣かせることがあっても翌朝にまで、泣いた後がわかることはほとんどない。

しかし、今朝のセイの顔には、明らかに泣いた後があった。

泣いた理由を言わないセイに、聞いても答えないことは分かっていたので、総司はそれには触れなかった。

―― 何かあったのか……?

昨夜のこともあって、総司の中では、セイの様子がおかしい。

そうはっきりと確信したのだった。

 

朝餉を終えてから、二人はいつものように連れだって屯所に向かった。総司は、セイには何も言わないまま、注意深くその様子をうかがった。

診療所は、今のところ取り立てて問題がありそうにも見えなかったし、隊内にしても特に問題はなさそうで、総司はどこに原因があるのか測りかねた。中 村の一件以来、隊務の合間を診療所で過ごす様になったことも、そのために、診療所の一部が、一番隊の隊部屋になりかけているのも、いつものことといえる。

「どうしたんでしょうね」

総司は、稽古を終えて着替えのために隊部屋へ戻りながら、ふと気になって診療所を見上げた。立ち働くセイの姿でも見えれば、と思ったがその姿は見える場所にはなかった。総司は、その後に控えた巡察もあって、仕方なく隊部屋に向かった。

 

その頃、診療所の小部屋には珍しい人物がいた。珍しい、というのは語弊があるかもしれないが、そこには近藤の姿があったのだ。

「やっぱり、神谷君が入れたお茶はうまいなぁ」
「そんな、変わりませんよ、別に」

にこにことセイが入れた茶をすする近藤は、もらいものだよ、といってセイに干菓子をくれた。きれいな模様の干菓子にセイが嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとうございます。嬉しいです。いつも……」

―― いつも、買ってきても沖田先生に食べられてしまうんです

本当はそう続くはずだった。だが、セイは途中で言葉を切ったまま、それ以上は言わなかった。そんなセイをみて、近藤が優しくその肩に手を置いた。

「神谷君。忘れちゃいけないよ。どんな思いで君たちが一緒になったかを」

唐突に語りかけられた言葉に顔を上げたセイは、ふにゃ、と顔を歪ませて泣きだした。

 

『それがあの二人が今まで隠してきたことへの責めとして背負うべきものだと思う』

 

セイが女子だとわかって、それでも医師として隊に残しながら総司と添わせたい、と言い出した近藤が言った言葉だ。
セイの能力は、女子ということを差し引いても秀でたものがあって、新撰組にとって失うには惜しい存在だった。そして、近藤や土方にとっては大事な弟分が愛した女子でもある。双方が想い合っているなら、できる限りその願いを叶えてやりたかった。

それは、こんな日が来ることも考えのうちにあったといっていい。

土方が心配したように、徐々にこの夫婦が落ち着いてきた頃、隊内のお祝いの雰囲気が薄れ、徐々に不満がくすぶり始めたのだ。近藤はこんな時のことも考えて、セイを幹部待遇としていた。

しかし、それも盾としてセイを守ればいいが、そうでない場合もあるのだった。

「ふえぇぇん」

近藤の目の前で泣くセイは、何度も撫ぜられるその肩にほっと安心して思いきり泣いた。
近藤は、それ以上は何も言わず、しばらくして土方のもとへ向かった。

 

 

– 続く –