縁の下の隠し事 7

〜はじめのつぶやき〜
さて、新婚さんをおとりになんてひどい副長ですねぇ

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

いつもならなるべく総司の非番に合わせるために、月のものがきても無理をして診療所の小部屋で過ごすことが多かったが、今回はこんな状態だけに五日も休んでいいと言われるのはありがたかった。
朝餉を終えて、支度を済ませた総司が玄関先で振り返る。

「私の非番はまだ先ですから、この機会にゆっくりなさい」
「ありがとうございます」
「じゃあ、行ってきますね」

総司を送り出したセイは、ゆっくりと部屋を片付けて、家の中で仕事を始めるために文机を用意した。落ち着けるようにと座布団やひざ掛けを用意すると腰を下ろした。

総司と一緒になって、こんな風にセイが一人で家にいたのはどのくらいあっただろう。
まだ、本当に数えるくらいしかないことになんとなく落ち着かない気分でセイは部屋の中を見回した。いつもの二人の家の空気に、小さく息をつくとセイは屯所から持ってきた書類を文机の脇に広げた。

普段の屯所は賑やかで、誰の話し声かわからなくても、ざわめきだけはそこ、ここから人の気配として伝わってくる。
だが、今一人、家にいるとひどく静かだった。

五日という長い休みに、ゆっくりと書類を整えて過ごしていたセイは、干していた洗濯物がひらりと落ちてしまったのに気づいて、小さな庭先に降りた。昼間は山崎もいないのか、最初の頃、夜に見かけた路地のほうへと視線を向けたが人影はなさそうだった。

落ちた洗濯物に手を伸ばしたセイは、生垣の向こうに人の気配を感じて顔をあげた。見慣れぬ男がじっとその場に立っている。

「あの?」

誰だかわからないが、顔も覚えきれていないような知り人だっただろうかと声をかけたセイににやりと笑った男は何も言わず、黙って頷きながら懐に入れた手で頬を撫でている。
その姿を見れば、どこかの武士でもなく、浪人らしいことはすぐわかった。

「何かご用でしょうか」

少しだけ強く呼びかけたセイを見て、ますます相手が目を輝かせた気がした。
長年、隊士として巡察に出たり隊務をこなしてきたセイにとって、相手は間違いなくまともな類の浪人ではなく、セイが清三郎として巡察中に見かけたなら後をつけたかもしれない。

そんな相手の視線にセイはざわりと不快さを覚えた。これも長年の経験で、心に広がる不愉快さを表に出さないように努めてみたが、わずかに眉を顰めてしまった。

「ふ。気も強いか」

今は女子の姿であり、月役で非番で。この家が沖田の家だということも隠してあり、今ここで立ち回りをするわけにはいかないことが躊躇いには重なっていた。

「何か?」

繰り返し重ねたセイの問いかけに、相手は答えないまま踵を返すと生垣の傍から離れて、大通りの方角へと歩いて行ってしまった。

「……」

今度こそ、セイははっきりと不愉快さをその顔に表して、生垣越しにあたりへと目を向けた。
表からはっきりと中を覗き込むようにはできていないのだが、庭のほうは板塀ではなく、生垣になっている。路地からも外れ、行き止まりの道を入ってこなければここまでは来られないからだったが、わざわざこんなところまで来て、家の方を覗き込んでいたとは何事だろうか。

ふと、山崎がなぜこの家を見張らなければならなかったのか、それを思い浮かべた。土方はただ、警護だといったし、総司とセイが家にいるとき、と言っていたから、先ほどセイは山崎の姿がなくても気にならなかったのだ。

「あれ?警護が必要なのって……、誰?」

頭の中で何かが警鐘を鳴らしていて、セイは思わず自分の疑問を口に出した。

―― 総司に警護が必要だと土方が思うだろうか

となれば、警護されているのは自分ということになるが、総司が一緒にいる夜にセイについて警護がいるとはとても思えない。
どういうことなのか、わけがわからなくなって、セイはぐるぐると同じところを回ってしまう頭を抱えてとりあえず部屋に戻った。

何かがとにかく、おかしいと思った。

 

 

 

山崎は、薬屋の姿で荷を担いでいた。薬の行商であれば、どんな家であれ、声をかけられて上り込んだとしても不審には思われにくい。
そして、ここしばらくで内偵を進めていた先にまんまと入り込むことに成功していた。

「まあ、うちらのようにいろんなところを回ってると色んなお人をみかけるんですわ」
「薬屋の目利きはなかなかのようだな」

小ぶりとはいえ、町屋を一軒、丸々と借り上げて、着物も小ざっぱりとしているが、その裏で何をしているかわからない男の前で、山崎は肩を竦めて見せた。

初めてこの家に来たときは、女がいたが、もうその女はこの家にはいないようだった。急なひきつけを起こしたといって、通りすがりに呼ばれたが、山崎の見立てでは、どこかから連れてきた女に無体を働き続けた結果に見えた。

気付けの薬をおいて、余計なことは言わずにさっさとその家を後にした山崎は、すぐにほかの者を使ってこの家を調べ始めた。

この家の主は、菊池又左衛門といい、もとは上州の出だというが、今は浪人ながら小金を持っているらしい。剣の腕が相当に立つので、用心棒や時に人斬りで暮らしを立てているようだったが、実際のところは近所の者たちも胡散臭くて近寄らないというのが現状だった。

こういう男達が、新撰組の取り締まる者達の中でも厄介な部類に入る。思想があって、地に潜りながら綿密な計画を立ててくる者達が当然、一番ではあるが、その次にこういう男達が京の治安維持を担う彼らとしては取り締まりの相手になる。

腕が立つということは、一番に取り締まる思想者達の用心棒にもなれば、佐幕の重要人物への襲撃も行う。金さえ出せば何でもやるということが、余計に厄介なのだ。
金さえ受け取れば、後腐れなく背景をたどることもできなくなる。

じっくりと時間をかけて山崎は、菊池の周囲を探り、親しい者、一緒に行動する者、馴染みの茶屋などを調べ上げた。

「目利きだけでこっちのほうがちぃとも役にたちまへんのや。菊池様のようにあちこちで泣かせて歩いてはるお方がうらやましゅうて、うらやましゅうて」

実直そうな顔に見せて、戯言を口にした山崎は鋭さを消した目で相手を見た。
菊池は存外大物とのつながりも多いらしく、幕府方の幹部にも仕事相手がいるらしかった。それだけに金にも困らず、仕事にも困らずといったところらしい。

それも、勤王、佐幕のどちらとも仕事をしているというからには、口も堅く、仕事も手堅いのだろう。

場合によっては見逃すことも検討されたが、やはりその腕は並みではないということで、菊池を捕らえる方向へと話は進んでいた。

「薬屋のくせに、そっちのほうが役に立たないとはな。情けないではないか。あちこちでいい女を目にしても指を咥えてみているだけか?」
「そりゃあ、もちろんでございますよ。菊池様のように腕もたたなければ、そっちのほうも役に立たないと来れば、せいぜいいい女を見つけてはよだれを垂らしているのが精一杯でございますよ」

くく、と菊池に笑われた山崎はへらへらと頭を下げた。
菊池と仕事をしたことのある相手を考えれば、何もないまま菊池を捕らえてもあちこちから力が加えられて無罪放免となってしまう。
そんな真似ができないように、多少なりとも手傷を負わせて捕縛できる機会を作らねばならなかった。

 

– 続く –