〜はじめのつぶやき〜
珍道中が始まるまでにはまだまだ間がありますから、いろいろあります。

BGM：AKB48　会いたかった
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

「神谷さん、帰れます？」

診療所を覗いた総司は、小部屋の中で蹲っているセイの姿を見つけた。どきっと一瞬、何事かと動揺するが、さすがに総司も慣れてきた。

蹲るセイの傍に屈みこんでその背中から腰を優しく撫ぜた。

「セイ？」
「あ……はい。ごめんなさい、すぐ」

畳みに手をついて立ち上がりかけたセイが、下腹に走った痛みに反射的に起こしかけた体を丸めた。羽織を脱いでセイに着せかけながら、腰を下ろした総司はセイの体を引き寄せて横抱きにした。

「ひどいみたいですね。午後に隊部屋に来た時は平気そうだったのに」
「ごめんなさい……」
「なんで謝るのかなぁ。いつも言ってるでしょう？ほんとに、いつも寂しいこと言いますね」

言葉通り、帰り際なのに動けないことへの詫びではあるが、そこにはそれ以外の詫びも含まれている。休みなくセイの背中を撫ぜている手に、セイはほうっと息を吐いた。
二人の間で触れられないことを包み隠して、セイもそれに答えた。

「いつも、動かなきゃいけない時に動けないことが多いので、申し訳ないんです」
「そんなことないでしょう？大丈夫。今夜はこのままここに泊まって、朝になって落ち着いてから帰りましょう。どうせ明日は非番ですから」
「でも……大丈夫です。少し休めば動けますから」
「無理しなくてもいいんですよ？」
「無理じゃなくて……」

貧血で冷え切ったセイの体を温めながら総司はセイを気遣う。冷たい指先がセイの頭を支えている手に重なった。
確かにその方が楽かもしれないが、女子にとっては自分の家で休んだ方が、特にお馬の時は気が休まる。まして、診療所には一応の用意はしているものの、やはり家に帰らないと色々と困ることもでてくるのだ。

こればかりはいくら言っても男の総司にはわからないだろう。セイが困った顔で言うのを見て、深くは聞かずに頷いた。

「分かりました。じゃあ、もう少し休んで夜になって楽になってから帰りましょうか」
「はい。ごめんなさい、我儘を言って」
「我儘でもなんでもないですよ」

お馬で弱っているために素直になっているセイを総司が優しい顔で眺める。未だにセイの見せる色んな顔を見るたびに、新たな気持ちでセイを発見した気になる。

―― いつもこのくらい素直でいてくれれば少しは安心できるんですかね

自分以外の体温で体が温められて、痛みと貧血でぎゅっと縮こまっていた体から少しずつ力が抜けていく。総司の手に重ねた手に少しだけ力を入れて、セイが白い顔を上げた。

「今日は、たくさん我儘言ってますから」
「今日？ああ、稽古のことですか？」
「ええ。本当は駄目って言われるだろうなって思ってましたから」

握られた手を握り返しながら、くすっと総司が笑った。

「分かってましたよ。二人で話していたら駄目だって言うと思って、わざと隊部屋に来ましたね？」
「そんな……、それだけじゃないですよ。お仕事の話ですから」
「でも、皆さんがいたら私が無下に断りにくくなることも分かってて言いに来たでしょう？」

セイがわざと隊部屋で、しかも総司が断りにくい状況を作ったのか、わかってはいた。本当は、駄目だと一言のもとに却下しようと思っていたのだが、そ んなことをわざわざしてまで、セイが稽古をしたいという理由があるのだと思った。それを聞いてみてからでも遅くないと思ったのだ。

総司がそういうと、セイが苦笑いを浮かべている。

「総司様には何でもわかっちゃうんですね」
「伊達に、貴女の夫じゃありませんから」

まるで子供のように、どこか自慢げに言う総司にセイが吹きだした。
セイも、きっと総司には分かってしまうだろうと思いながら隊部屋に交渉に行ったのだ。暮れに立て続いた事件といい、襲われるような場面が多くて、大抵そんな時は総司か誰かが助けに来るので、守られる側が定着しつつあるのがセイには焦りと不安があった。

確かに腕は落ちるかもしれないが、まだ自分も戦えるのだということを自分自身でも試してみたかった。

ゆっくりと体を起こしたセイは、体にかけてもらっていた総司の羽織を返した。

「ありがとうございます。もう温まりましたから大丈夫です。帰り支度をしますね」
「まだいいですよ？帰って夕餉の支度をするのも大変でしょう？どうせなら夕餉をいただいてから帰りましょうね。ちょっと賄いに言ってきますから」

まだ顔色の悪いセイに羽織を預けて、総司は小部屋を出て行った。
ゆっくりと動いて、セイは帰り支度を始める。暦をみてセイは指を折りながらため息をついた。長期の出張予定にこのままならぶつからないで済む。

「寒い時期は重いから辛いんだけど、今回はそれでも早めに来てくれてよかったかな」

一人呟いたセイは、本当にゆっくりと動いて荷物を風呂敷包みに仕上げた。その中には松本に借りに行った婦人科の医学書も混じっている。隊にいると普段は斬った張ったの治療か、風邪くらいなものなので初めての出来事でもある。

事前に勉強しておかなくては急の対応もできない。

副長室で山崎から届いた報告を呼んでいた土方の所に近藤が顔を見せた。

「なんだ、難しい顔をしてるな」
「ああ。近藤さんか。恨むぜ、まったく。気苦労の多い仕事を引き受けてきやがって」
「面目ない……」

そう言って土方が近藤に見せた文には、件の宮様のことが色々と書かれていた。
立場もあるのだろうが、本当に精力的な方らしく、若い頃にも詣でた先の町娘を見初めて一夜、ものにしたことがあるとかないとかで、その手の話にはきりがない方らしい。
それも若いものから年上、人妻であろうとも気に入ればお構いなしというから性質が悪い。

相手の身分からいって、なかなか断ることも命がけという方だけに、そんな相手の警護にセイが同行すると考えただけでも頭が痛い。

総司も弁えてはいるので、おかしなことにはならないだろうが目をつけられれば厄介だ。

「すごいな。醜聞の多い方だとは聞いていたがこんなにか！」
「大体どっから来た話なんだよ？」
「うむ。公も直接、宮からということではなく、いくつかの手を経て、だいぶ力のかかった依頼だったらしい」
「まさか、ハナから神谷をご指名だったんじゃないだろうな」
「う……」

おいおい、と土方は額に手をあてて天井を仰いだ。それではすでに目をつけられているのも当然だ。セイのことはあまり大っぴらにはしていないし、松本 の養女ということもあり、一番隊組長の妻という立場と新撰組に男装の医師がいるということを同じ者と結び付けて知っている者は存外少ない。

しかし、逆に上の方へ行けばいくほど予想外の方がその事実を知っている場合がある。

今回もそういうことならば、余計に気を引き締めて警戒しなければならない。

「勝っちゃん、それもわかってて頭数に俺を入れたな？」
「……スマン。断れない以上、総司だけじゃ相手が相手だ。心もとないからな。お前がいてくれればなんとかなると思ったんだ」

ひきつった顔でぽりぽりとこめかみを掻きながら近藤が言った。土方も呆れながらも、もっともな言い分に頭を掻くしかない。

「こりゃ、だいぶ骨の折れる仕事になりそうだぜ」

ため息とともに、近藤の手から文を取り戻すと元のように丸めて文箱にしまった。目の前の鉄壜から湯を汲むと、近藤の分も茶を入れる。
なんだかんだと言いながらも、結局面倒見のいい土方だけに、近藤の人選は間違っていなかった。

–　続く　–