天にあらば 9

〜はじめのつぶやき〜
セイちゃんも大人になるのですわ。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

「セイ」

夕刻になって診療所に総司が現れた。小部屋にいたセイは、何かを読んでいたが総司が来るとそれをしまって帰り支度をした風呂敷の中に一緒に包み込んだ。

黙って総司の後に続いたセイは相変わらず口をきかない。

総司も黙ったまま手を差し伸べた。一瞬、伸ばされた手を見て、セイが躊躇した。その一瞬の間に、総司の顔に痛みが走る。ゆっくりと伸ばされた手が下ろされて、総司は小部屋から出て行く。

遅れてその後ろからセイが歩きだした。
屯所を出て、しばらく歩いていると、総司の手をするっと後ろからセイの手が掴んだ。まるまる一歩総司の後ろを歩いているために、セイがついてきているのは分かっていても、その表情までは見えない。ただ、重ねられた手を総司は、振りかえらずにきゅっと握り締めた。

家に帰りついても、特に話をすることはなかった。ただ、帰り道につないでいた手が温かくて、うまく伝えられない想いを伝えたようだ。

譲れない想いと愛しい想いは時に両方がせめぎ合って、どちらも譲らなくなる。

その日の総司とセイの家の中はひどく静かだった。語り合うことなく、夕餉を済ませて、支度を整える。明日は屯所に泊まって、土方と斎藤と共に朝早くに出発する。
寝室を整えると、ここ数日のように総司が先に寝室に入り、セイはそこには入ることがない。隣の部屋で眠っているのか、納戸にしている小部屋で眠っているのか、それとも一晩中眠らずにいるのか。

それは総司には分からなかったが、セイの気持ちが離れたわけではない。

それだけでよかった。

翌朝、荷物を手にしたセイの手から、黙って二人分の荷物を受け取ると、自ら戸締りをしてセイを促した。相変わらず会話はないが、特に大きな問題にはなっていなかった。

屯所について、診療所の小部屋に二人分の荷物を置くと、黙って隊部屋へ向かう。

セイが言わないことには理由がある。

ここ数日でようやくそこに辿り着いた。いつまでも愛しい子供で、庇護すべき者として、事あるごとにセイをつまはじきにしてきた。それに怒って、結局揉め事のただなかに駆け込んでくるようなセイが当たり前で、それをやめさせることしか考えてなかった。

だが、いつの間にか、セイは認めさせるだけの実力と、英知を伴って、自分に迫っていた。

――  やはり、どこまでいっても完敗ですね

総司は胸の内でそう思っていた。だから、セイが話すまでは、その胸の内を聞かないことにしたのだ。

隊部屋に向かうと、隊士達が総司を待っている。明日からの不在に際して、総司は組下の者たちをそれぞれ他の組長の下に振り分ける作業に取り掛かった。

同じくセイも診療所で出張の準備をしていた。と言っても男達とは違う。

土方や斉藤達が調べたことは、宮様についてだったが、セイが個別に山崎に頼んで調べてもらった内容は全く違う。それがそこにはあった。

「……わかってない」

当然、山崎には口止めをしていたし、その報告内容についてはきちんと近藤に相談を持ちかけていた。
土方達はそれを知らない。

セイの心配は勘所がいいだけにほぼ外れることはない。
その心配からすると、本当はもっと稽古をして自分の動きを試しておきたかったが仕方がない。後は、行き当たりばったりで対応するしかないとセイはため息をついた。

こうして、皆の心配を抱えたまま出発を迎えることになる。

 

それぞれに支度を整えた彼等はまだ早暁という時刻に屯所を後にした。
まずは宮家に向かい、宮様方への挨拶を済ませて全体の出発を待つのである。土方を筆頭に男達は黒の隊服に身を包んでいるが、セイも今回は懐かしき隊服を 引っ張り出していた。月代がない分、違和感が大きいかと思ったが、総髪風に一つに結い上げた髪を後ろに垂らしていて、美少年風である。

問題の女房の傍につくということで、男に見えても困り、女に見えても困るのだ。
宮家に到着すると、控えめにしていてもセイの姿にやはり宮家に仕えている者たちにもざわざわと動揺が走った。
男達はその可愛いとも、きれいとも言える美少年ぶりに驚き、女達はきりりとした妖しい美しさに密かにきゃあきゃあと騒いでいる。

「「「……」」」

隊内では、ある程度セイがどんな姿をしていてもこれほど騒ぎにはならない。男達三人が密かに先行きを思いやってため息をつきそうになる。
しかし、彼らが思うよりセイのほうがいつの間にか上手だったといえる。伊達に隊内でこれまであれこれがあったわけではない。
土方が公式な挨拶は済ませてきていたので、後は待つだけという間に、セイが立ち上がった。

「ちょっと、ご挨拶して回ってきます。女房殿には数日間とはいえお傍にいさせていただきますので」
「あ、ああ」

確かにセイだけは、三人とまったく一緒の行動ではない。邸内の門に近い詰め所らしき場所で、出立に備えた下の者達が集まっているところから、セイは一人歩み出た。

本邸のほうへ向かうと、侍女を介して女房への目通りを願い出た。
セイの姿に浮かれていた女達は、こぞってセイを案内して奥へと誘った。

「あの、神谷様はいつもそのようなお姿でいらっしゃいますの?」
「いえ、普段は女子の袴姿でおります。今回は、皆様のお傍にいてすぐにわかるようにと隊服を身に着けてきました」
「新撰組というと、荒々しい殿方の集団だと思っておりましたが神谷様のような美しい方がいらっしゃるなんて!!」
「お褒めいただいてありがとうございます。私のほうこそ、皆様のような美しい女性が普段は傍におりませんから嬉しく思っております」
「きゃーーー」

完全に、女子としてではなく、妖しい男装の麗人としてたらし込みにかかっているかのようだ。
とどめに、視線を向けてから一拍おいて顔を向けるとにっこりと微笑んでみせる。

バタバタと赤面して走り去っていく者や真っ赤になったまましゃがみこんでしまう者のなかで、件の女房の居室である部屋の隣で待つように言われた。

時間も早いだけにまだ支度が整っていないらしい。一人、部屋の真ん中に端座したセイは周囲の気配に気を配りながら待っていた。

―― まあ、こんなもんでしょう。伊達に副長の傍にいたわけじゃないんだよね

それこそ、個性豊かな面々が集まった隊のことだ。土方だけではなく、近藤も天然のタラシの要素満点である。
そんな彼らを見ていれば、男性に免疫のない宮仕えの侍女に好感を持ってもらうことなど、朝飯前に思えた。
男の土方達が思うより、もっと厄介だと思っていたからこそ、セイは侍女達を味方につけるつもりでいた。

―― 総司様も副長もわかってなさすぎなんだよね。女同士の方がもっと怖いのに

そう。土方達は宮様の素行にばかり目が行って、なぜ今回このような私的な道行になったのかをすっかり失念してしまっていた。

 

– 続く –