天にあらば 10

〜はじめのつぶやき〜
女同士の怖さを知っているというか。

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「きゃあ!貴女が神谷さん?」

元気いっぱいの声がしてセイの目の前に女房姿ではあるが、腹の突き出た娘が現れた。ひどく元気がよくて、とても宮家に仕える高位な女官には見えない。

付き従っている侍女がおろおろと心配しながら後をついてくる。

「はじめまして!あ、おはようございますかしら。私、雲居というの。宮様が源氏物語から取ってつけてくださったの」

女房名を雲居という娘は、セイの目の前に座るとセイの手を取った。呆気にとられていたが、雲居が自分よりも若い娘であることを知っていたセイは、にっこりと笑って挨拶した。

「こちらこそはじめまして。雲居様。沖田セイと申します。普段は神谷とお呼びください」
「ええ。素敵な方ねぇ。貴女がずっとついてきてくださるの?」
「はい。雲居様を宮様がお送りになる道中を警護させていただきます」

セイがそう答えると、ぺろりと真っ赤な舌が唇を舐めて、雲居が口の動きだけで“警護ね”と呟いた。

「貴女達、下がってていいわよ。私は神谷様と秘密の話をするんだから」
「雲居様、神谷で構いません。様などつけていただくには及びませんから」
「あら。もっと素敵!!神谷と呼んでもいいの?」
「もちろんです」

不満げな侍女達が下がって行くと、雲居はべっ、と舌を出して見せた。セイはその姿が可愛らしくて思わず吹き出してしまった。

「し、失礼しました」
「いいの。だって、私女房なんて言われても、そんなのしたこともないもの。あの人達も好きじゃないわ。いつも私に小言ばかりですもの」

雲居は、もともと小さな神社に仕える神官の末娘だった。時折、巫女の真似事はしても本当の巫女でもない。そんな雲居は、たまたま通りすがりに休息の 場を求めてきた宮がそのまま留まることになって、一夜を明かした際にお手がついて、そのまま宮家に引き取られた。初めは侍女として伴ってきたのだが、すぐ に雲居の懐妊が発覚し、正妻や側室達の猛反対に合って、仕方なく雲居を生まれ育った神社に戻すことにしたのだ。

まだ雲居は十六ということもあって、元気いっぱいで、怖いもの知らずといえる。はっきりとものを言うし、よく笑う。そんな姿を宮が愛でていたというのも分からなくはない。

「もう、京の都なんてまっぴらよ。宮様と一緒にいられないのは寂しいけど、御子を授かったわけだし」
「雲居様」

町娘となんら変わりない雲居にセイはにっこりと笑った。例え、どんな境遇で、どんな立場であっても女同士、気持ちは同じである。
そんなセイに、急に顔を曇らせた雲居が抱きつくようにして耳元に囁いた。

―― でも、私きっと殺されるわ

セイは、そのささやきに落ち着いた笑みを返した。

「いいえ。無事に送り届けて見せます。そのために私達が警護に参ったのですから」
「……本当?私を守ってくださる?」
「ええ。本当ですよ」

ぱっと明るい顔に戻った雲居はありがとう、と言った。

「誰も、信用しないでね」

最後にぽつりと雲居が囁いた言葉が、重く響いた。こんなに元気に振舞っている雲居が、どれほど恐ろしい目にあったのか分からないが、ここまで言うにはわけがあるのだろう。

しかし、それをじっくりと聞いている時間はなかった。すでに出立の刻限が迫っている。下がっていた侍女たちが集まってきた。

「さあ、雲居様。お支度をなさいませんと宮様をお待たせしてしまいます」
「分かってるわ。もう着替えてあるしすぐじゃない」
「お手水と出立前の祈祷をいたしませんと」

分かったわ、と答えた雲居は、セイを振り返って同じ輿に乗るように言った。

「私と宮様が乗るのだけど、四人乗りの大きなものなの。貴女が一緒に乗っても問題ないわ。宮様も貴女とお話したがっていたし」
「畏まりました。それでは出立の刻限まで、私は隊の者の所におりますので」

セイは、侍女たちに連れられていく雲居に向かって頭を下げた。それから、残っていたセイのことを影から見ている侍女達を見つけると、ふわりと大人びた表情で微笑んでみせる。

途端に鈴なりだった侍女達がばたばたと下がって行った。セイは、すっと立ち上がると、神谷の頃の凛とした姿で立ち上がって、玄関に向かった。本邸からいったん外に出て、土方達の所へ向かう。

「すみません。お待たせしました」
「お目通りいただけたのか?」

土方が仏頂面でじろりとセイを見た。一刻半も本邸に行ったままだったセイに説明を求めている。

「もう、半刻もすれば出立だそうです」
「それは知っている」
「私は、宮様と雲居様のお傍で輿に同乗するように申しつかりました。ですので、副長や斎藤先生、沖田先生とは別行動になります」

セイの言葉に土方だけでなく、斎藤と総司もセイの方へ顔を向けた。セイは、土方に向かって声を落として囁いた。

「新撰組の警護は、他の警護の者とは違って、各自の判断で動くことができます」
「……どういう意味だ?」
「狙われているのは雲居様ですよ。宮様の警護は名目かもしれません」

可能性の一つだったために、土方はあまり驚かずにその事実を受け止めた。短く、できるのか、とセイに聞くとやってみます、とセイは小さく答えた。

初めに、近藤が山崎を入れたがっていた理由はこういうことだったのだ。誰かが狙われでもしていなければ、こんな私用にわざわざ要人警護の依頼が新撰組に来ることはない。

セイは自分の荷物を持つと、本邸の玄関脇へ移動した。輿はそこで待っており、宮様や雲居が出てきたらセイも乗り込むためである。

待つうちに、支度の出来た者達が次々と出てきて、輿の周りに集まった。セイには分からないが、道中の随行にも順番があるらしい。

「ほう!誠に美童のごとくであるな」

能天気な声が頭上から聞こえて、セイは顔をあげずに頭を下げた。
おろしたてのつま先が見えて、セイの前で立ち止まる。その声が、面白いおもちゃに対しての言い方に聞こえて、セイは少なからずむかっとした。
もちろん、それを悟られるほど子供ではなくなっていたが。

「宮様!神谷を一緒にのせてもよろしいでしょう?」

続いて出てきた雲居がそう願い出ると、面白そうに構わぬ、という声が聞こえた。宮様、雲居、そしてセイの順に輿に乗り込むと、ついに出立となる。

 

 

伏見にでて街道を抜けて大和へ。

 

セイや土方達の心配を余所に、一行は出発した。

 

– 続く –