甘雨 1

〜はじめのつぶやき〜
甘くて切ない雨をどうぞ。梅雨のじとじとも甘くなあれ。
BGM:ケツメイシ こだま
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「やっぱり、今日は休みを貰った方がいいでしょう」

もう、つわりも大分治まって来たセイが、この梅雨の天気で体調を崩したらしい。起き出したものの、朝餉の支度の最中に台所でしゃがみこんでしまったセイに気付いた総司が、すぐにセイを抱えて床に横にならせた。

肌寒いのにじっとりと汗ばむこの季節は、ただでさえも不快だというのに、今のセイには余計に堪えるのだろう。ひどい顔色と、額に浮かぶ冷たい汗に総司は手拭を濡らして額を冷やしてやった。
それから、朝餉の支度にかかり、手際良く白粥と味噌汁を仕立てると、セイには具なしの味噌汁に梅干しを一つ入れた。

「少しでも腹に入れられますか?」

ごめんなさい、総司様、小さく呟いたセイが、青い顔でゆっくりと起きあがると、差し出された椀を手にする。具なしの味噌汁に梅干しは、セイがもっともつわりで苦しんだときに一番口にできたものだ。
熱い汁を少しだけすすると、まるで二日酔いのようにぎゅっと強張った体が少しだけ温かい汁で緩んだ。

ほうっと深くため息をついたセイに、苦笑を浮かべた総司は、そろそろ支度をしなければいけない時間になっていた。

「特に今は病人らしい病人も少ないですし、大丈夫でしょう」

そう言って着替えを済ませて羽織を纏った総司が、セイの枕元に座った。自分がいないときも困らないように、枕元には水差しと茶を飲みたくなった時のための支度を整えてある。
額の手拭を裏返したついでにセイの頬に手を当てた総司が心配そうにセイの顔を覗きこんだ。

「こればっかりは変わってあげられないのが申し訳ないですね」
「そんなこと……。申し訳ありません。なんのお支度もできなくて」
「馬鹿なことを言わないでください。今は自分だけの体ではないんですから、それが一番ですよ」

そういうと、総司はじゃあ大人しく寝ていてくださいね、と言って家を後にした。

しとしとと小雨の降る中を高下駄で屯所に向かった総司は、すぐに幹部棟へと向かった。雨のためにここしばらくは朝礼も取りやめになっていた。
局長室へと向かうと、土方とともに茶を飲んでいたところだった。

「おはようございます。沖田ですがよろしいでしょうか」
「総司か。どうした?」

障子を開けて局長室へと入った総司に、近藤がおいでおいでと手を挙げた。
このところ、穏やかな日々が続いているだけにそんな姿を見せる近藤に総司も他では見せない末っ子の顔を覗かせた。

「朝からお二人揃ってお茶なんていいですね」
「お前も一緒にいればいい」
「近藤さん。何を甘やかしてんだ、ったく。総司、用はなんだ?」

へらぁ~っとした総司に土方が呆れた顔を向けた。
気を取り直して総司がセイの不調と休みの願いを言いだした。

「先日も松本法眼と産婆さんの診察を受けてますし、大丈夫だと思いますが、何分この天気ですから。申し訳ありませんが、今日はお休みをいただきます」
「やあ、構わんよ。並みの体じゃあないんだ。ゆっくり休むといい」
「ありがとうございます。幸い、私は今日は巡察もありませんし、神谷さんの代わりをしていてもよろしいでしょうか?」

そう願い出た総司に、土方が首を傾げてから頷いた。確かにこの雨で稽古も道場を持ち回りで使っているくらいなのだ。一番隊組長が平隊士でさえ持てあます天気に、それほど多くの仕事があるわけではない。
それとは逆に、セイの仕事は天気に関わらず、たくさん抱えているために1日でも予定外に休めばどこかにしわ寄せが出る。
明日、回復したセイが屯所に出てきててんてこ舞いするよりは少しでもという総司の気持ちを組んだのだ。

「俺も後で神谷に頼もうと思っていたことがあるから、手が空いたら顔を出してくれ」
「承知しました。それじゃ」

二人を前にして、茶の誘いを残念そうに諦めた総司は、局長室を出るとまずは隊部屋へと顔を出した。山口達に声をかけて、今日一日セイの代わりをすると伝えた。

「わかりました。俺達も何かあれば手伝いますからおっしゃってくださいね」
「ありがとう。皆さん」

どうせ暇を持て余している。腕まくりをして見せた彼らに総司はにこっと笑って礼を言うと診療所へと向かった。診療所の小者達を前に、今日一日、セイの代わりをするというと、皆が恐縮してしまった。

「そんな一日くらいなら何とかしますから」
「いいえ、無理をすればどこかにしわ寄せが出ますからね。私は幸い今日は手が空いてますからなんでも手伝いますよ」

これが不慣れな者なら断固として断ったところだが、総司は日頃からセイがいるところに現れて、何かしら手伝っているだけに、小者達も顔を見合わせてから仕方がないとばかりに頷いた。
一人が、総司の手に手書きの書付を持ってきた。

「沖田先生、これを見ながらやっていただけますか?」
「これは?」
「普段、神谷さんがしていることを書きとめたものです」

そう言われて書付を手にした総司は、まず小者達とともに診療所の掃除から始めた。
雨でも、きちんと部屋をきれいに整えておくことは診療所としてはまず第一だという。そして、病人を寝かせておくための部屋に火鉢を置いて、寝間着や包帯の洗濯したものを乾かすように干していく。

そこまでは、掃除も慣れたものでこのくらいならと思っていた。

「沖田先生。それではこちらで今日の分の薬を作っていただきます」
「今日の分?」
「ええ。屯所では常に薬を常備しておくんですが、これだけの人がいますからね。どれかを満足に足りるくらい作るというのも難しいんです」

そう言われて、まずは膏を溶かして皆とともに練り合わせ始めた。誰にでもすぐに使える切り傷の薬、打ち身の薬。
火傷の薬に、何も入れない膏を大量に練り合わせる。
これが思いのほか疲れる仕事で、途中で総司は小者に話しかけた。

「これ、どうして何も入っていないのにこんなに作るんです?」
「それぞれ傷薬や打ち身の薬はある程度作って置きますが、場合によってはその場で調合しなければいけない場合も出てきます。その時に膏を練り始めては間に合いませんし、傷薬や打ち身の薬が不足した時もこうしておけばすぐに混ぜ合わせられるんです」

なるほど、と総司は頷いた。確かに、これだけの者達がいれば、最も多い薬を用意した他に、その時々に調合できるように使い勝手良く考えられている。

ひと山分、練り合わせるとこきこきっと総司の肩が鳴った。小者が笑いながら総司の肩に薄く何かの軟膏を塗ってくれた。

「すみません」
「いえいえ。沖田先生は慣れてらっしゃいませんからね。神谷さんなんて、あっというまに一人でこれだけの薬なら作ってしまわれるんですよ」

小者が練り合わせた薬を片付けると、次は薬草である。次々と薬の引き出しから取り出された物が総司の前に積み上げられた。

「さ、これを今度はそれぞれ粉末にします」
「これ、全部ですか」
「今日は少ない方ですよ。神谷さんがいらっしゃいませんから薬を調合するところまではしませんし」

頷いた小者達を前に総司は微かにため息をついて、手近なところから一つかみとり上げると、粉末にするべくゴリゴリと摺り始めた。
途中で羽織を脱いだ総司は、小者達から色々な話を聞きながら、ひたすらセイがやっているという薬作りに精をだした。

昼近くになると、小者の一人が立ち上がって、手や周りについた薬を払うと総司を呼んだ。

「神谷さんの次の仕事ですが、沖田先生も一緒に行かれますか?」
「もちろん」

そういうと、ちょうど粉末にし終わったところで他の者へと残りは頼み、総司も薬を払って立ち上がった。

 

– 続く –