甘雨 4

〜はじめのつぶやき〜
あまあまですよ。総ちゃんは甘えっ子キングですから!
BGM:ケツメイシ こだま
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これだけ皆に愛されて、大事に想われているセイと比べて、自分がセイの代わりにできることなど限られていて。
ほんの少しの事しかセイのためにしてやれていないのではないかと。

「神谷さん……。私は、貴女を……」

―― 幸せですか。幸せにしてあげられていますか

ほんの少しだけ怖くてその先を続けられなかった総司の手にそっとセイの手が重ねられた。

「幸せですよ。いつもたくさん、沖田先生に大事にしていただいて、皆さんにも我儘を許していただいて、この子もいて、幸せじゃないなんて言ったら罰が当たります」

片手をふっくらしてきた腹部に当てて、セイは愛おしそうに微笑んだ。その顔には、確かに満たされた気持ちがあふれている。 セイの言葉にほうっと息を吐いた総司は、セイの顔を見ないように顔を逸らした。

「今日、一日貴女の代わりに貴女の仕事をしてどこに行っても貴女のことを皆が心配していて、どこへ行っても貴女がいなければならなくて……。そんな貴女を私は閉じ込めてしまったんじゃないかと、貴女の道を曲げてしまっているのはどこまで行っても私なのかと思えてしまって……」

ぽつぽつと呟くように不安を吐露する総司に、セイは自分の夫がどれほど愛したがりで、愛されたがりな人なのかを思い出す。座った板間の上に手をついていた総司の手に重ねられたセイの手がぎゅっと大きな手を握った。

「どうして私が自身で選んだ道の責任を先生が背負おうとするんです?」

どこかで聞いた台詞に総司が顔を上げた。その目の先でセイがふわりと微笑んでいる。
いつか、隊に残ると、総司の傍にいると決めて総司との賭けに勝った後に総司と交わした事を思い出す。

「神谷さ……」
「私が、今でも隊のお役に立ちたいと思ってやっていることは、もちろん隊の皆や局長や先生方や、鬼副長にも今までのご恩を少しでも返したいのもあるし、皆が大好きなのもあります。でも……」

言葉を紡ぎながら総司の顔を見ていたセイは、不安に揺れている総司の眼に、息をのむほど見とれてしまった。
もう薄暗くなってしまったこんな台所の片隅だというのに、その瞳に映る自分に見とれるなんて。

こんなにもこの人を不安にさせるほど、想われているという事実に胸がいっぱいになる。重ねた手をそっと離すとセイは土間に立ちあがって総司をそっと胸に抱きしめた。

「やっぱり私にとって何よりも一番は、沖田先生なんです。今ではもう先生のお傍にいて剣を持つことはできませんけど、代わりに私ができることを精一杯やって、少しでも先生のお傍にいたいんです。本当は女子として、家を守って大人しくしているべきなんでしょうけど、赤子ができても、屯所に居場所を残しておきたくて、離れがたいなんてひどく我儘なのはわかってるんですけど」

―― それでも、沖田先生のお傍にいたいんです

総司の中で、今のセイとその後ろに十五のセイが一緒に見えた。いくつになっても変わらない大きな瞳で慕ってくる姿に嬉しくて、ほっとして、ほんのり甘えたくて。

セイの胸に抱えられていた総司は、腕をまわしてセイを抱き締めるとその腹部へとそっと顔を押し当てた。

我が子をに向けて心の中で詫びながら、あと少しだけこうしてセイを独り占めさせてほしいと願った総司はしばらくして照れ臭そうに顔を上げた。

「ごめんなさい。私も貴女に構ってほしかったみたいです」

セイを再び座らせると今度こそ荷物の中身をあれこれと広げ始めた。

「この駕籠とお重は賄いの皆さんからですよ。今夜の夕餉と明日の朝の分ですって。それからこれが原田さんで、これが藤堂さんで、これが診療所の皆さんからで……。あとそうそう。これが土方さんからです」
「鬼副長からですか?!」

座ったセイの膝の上に小袋に入った枇杷をそっと落とすと、セイが初めは訝しげな顔でそれを手にしたが、中身をみてびっくりした。

「枇杷じゃないですか!すごい、ずっとずっと昔に父が頂いたものを分けてもらった時以来です!」
「私なんて、初めてですよ。物は知っていても、こんな高価の物に縁なんてありませんからね」

土方さんらしいでしょう?という総司に、セイが頷いた。あの素直でない鬼副長も、セイに赤子ができてからというもの、控えめではあるものの、細かな気配りをどれだけしてくれたか知れない。

それが嬉しくてセイは総司に笑いかけた。
本当はまだ体もだるく、辛いと思う時もあるのだが、こうして皆の気持ちを考えるとありがたくて、嬉しくて、代わりに不安にかられている総司にもわかって欲しい。

すべすべの一粒を総司の手の平に落として、ころりと手の平で転がす。
ふふっと笑いあった二人は、台所用の灯りに火を入れた。

「じゃあ、私が支度しますから夕餉を頂いちゃいましょうよ」
「すみません。こんな恰好で、しかも朝からずっとお願いしてしまうなんて申し訳ないです」

ゆっくりとセイを立たせて居間へと連れて行くと、総司は茶をいれたりして見舞いの品を運んできた。

「今日一日、本当に貴女ってば人気者なんだなって実感しましたよ」
「そんなことないですよ」
「いーえ。もうどこへいっても神谷さんは大丈夫か、って皆に言われましたもん」

広げた夕餉は、セイが食べやすいようにすべて小分けになっており、少しずつの物がたくさん詰められていた。総司はそれをみせて、ほらね、と総司が笑う。

「どこに行っても、貴女の仕事ぶりの書付があって皆さんが感心してましたよ」
「だっていつお休みをいただくかわからないから、皆さんに少しでもご迷惑がかからないようにと思ったんですよ」

セイの中では、最悪、もし隊に戻れなくなっても書付を残しておけば誰かが後に入ってもいいだろうともおもっていた。セイの顔を見た総司は、からかうように言った。

「大丈夫ですよ。何があってももう今では貴女がいないと隊のあちこちから悲鳴が上がりますからね。辞めるといっても、辞めさせてもらえないと思いますよ?」
「だといいんですけど。総司様はそれでよろしんですか?」

好きなものを少しずつつついて夕餉を終えれば、総司がてきぱきと片づけをして床の支度をする。手伝おうとしたセイを座らせたまま、事もなく総司は動いている。
セイは、それならばと夕刻広げていた小さな縫い物を広げて仕上げをしてしまった。

「私が何ですって?」

やっと落ち着いたところで総司がセイの傍に戻ってくる。
手を動かしているセイの傍に寝そべって、白い手が動いていくのを眺めていた。

「総司様は、こんな私でよろしいんですか?」
「はい?」
「だって……」

今でも剣を抜こうと思えば、時間稼ぎ程度にできなくもない。
女子だてらに男所帯の中を走り回っているし、沖田家の嫁らしいことは何一つと言っていいほどできていない。
なのに、今でも総司の傍で戦うことを夢見ている。戦えなくとも傍にいることを夢見ている。

そんな自分でいいのかと問い返したセイに、総司は身を捻って起き上がった。

「そんなの当たり前じゃないですか。貴女じゃなかったら私は娶ろうなんて思いもしなかったですよ」
「そんなことはないです。たまたま私は一番傍にいさせていただいた女子だっただけで、総司様には武家の妻女としてよい方がいらっしゃったと思いますよ」

一番最後まで縫い上げて針を置いたセイが、裁縫箱をしまって、縫い上げたものを膝の上で畳む。
どこまでも不器用で素直な二人だからこそ、今でもこんな風に互いに自分でいいのかと、幸せかと不安になってしまう。

「それは?」

畳まれたものに手を差し出した総司は、セイがせっかく畳んだものを広げてみた。

「赤子の産着とか、おしめです。少しずつ今から用意しておこうと思って……」
「小さいですねぇ」

白い産着や着古した着物を仕立てたおしめを一つ一つ畳みなおして、脇へと重ねて行く。すべてを畳み終えると、セイの膝の上に総司は寝転がった。
セイは膝の上の総司の髪をゆっくりと撫でつけた。その心地よさに目を閉じた総司がポツリと呟く。

「大好きすよ。セイ」

ぽっと赤くなったセイは、髪を撫でていた手を総司の目の上に乗せて目隠しをすると小さく囁いた。

「私も……大好きです」

外は再び雨が降り出したようだが、細かい雨なのかあまり音がしない。
この雨のように、時にこんな時間が必要で。

そして互いに何度も振り返り確かめ合って、心を潤し育てていく。時に恵みの雨のように。

 

– 終わり –