水に映る月 7

〜はじめのつぶやき〜
先生も少し変わっていくんですよ。

BGM:嵐 Happiness
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軽く肩を竦めて見せた後、土方が懸念事項と対策を並べた。

「まず、今の診療所の場所は移せないにしても一番外に近い小部屋一つでは色々便利でもあり不便でもある。診療所の棟は四つの部屋と納戸があるがこれ を変えることにする。今の病間を仕切って、小部屋と二間を与える。病間の方は、お前や小者達が付きりで見ていなければならない者だけをおくことにして、快 癒に向かった者達は隊部屋に戻すか隊士棟の部屋に移す」

話の途中なのに土方が立ち上がったと思ったら、自室から図面を持って戻ってくる。ひらりと皆の目の前にそれを広げると総司がその傍に膝を進めて指差した。

「それから、幹部棟からの渡り廊下の場所を変更して、病間と小部屋側のどちらにもまっすぐ行けるようにします」
「これだと、風呂と厠の場所も移したいところだが、大掛かりになって、時間もかかる。なので、多少の不便は我慢しろ」

さあどうだと言わんばかりの土方に、セイは近藤と土方と、そして総司の顔をそれぞれ見比べた。どう答えていいのか困っていたセイに、かすていらを食べ終えて満足した近藤が助け舟を出した。

「まあ、いきなり言われても神谷君も困るだろう?」

懐から懐紙を取り出して口元を拭うと、動きたくて仕方がなかった寿樹に向かって手を伸ばす。土方が図面を取り上げて空いた場所を嬉しそうに寿樹が這っていく。

「少し前に総司から話を聞いたんだよ。君が、仕事に戻りたそうだとね。俺達はもちろん、歓迎だが君には沖田家の後継ぎを育てるということも大事な仕事だろう?どうしたものかとなってね」

女だてらにということは今更だが、母となったセイをこのまま仕事につかせていいものかということはもちろん意見が割れた。
近藤は家に居させるべきではないかと言い、総司も同様だったが土方は違った。

「あいつに大人しく家に籠って子供の相手だけをしておけと言ってできると思うのか?それに、家にいてただの女房になったあいつが自分と子供の身を守れなくなったらどうする」

屯所に来ている限りは、回数は多くないが、稽古も続けていた。場所もあるだけに人目を気にせずとも稽古着に身を包んで、思い切り竹刀を振り回すことができる。
総司の手が空いていれば総司が、また斉藤や原田達が面倒を見ることもある。
それだけに、あるところからは腕は落ちても、最低限身を守るだけの腕前は維持していた。

「三度」

ぽつりと呟いた総司は、目を丸くしているセイを振り返った。

「私には隠していましたね?」

何のことかと首を傾げたセイの目の前で総司が指を折って数えだした。

「一度目は、松本法眼と南部医師のところから帰るところで」

寿樹が生まれて三月もたったころだろうか。寿樹をつれてご機嫌伺いにと仮寓を訪ねた後、家に戻る帰り道で無頼の町人に絡まれた。近所の者達は見知っ ているが、セイの姿は町人でもなく、武家の妻女というのも少し違う。普段はおまさのような姿をしてはいるが、いわゆる町のおかみさんという姿ではないの だ。
そんなセイが、赤子を連れて歩いていれば、ちらりと視線を送ってくるものは少なくない。

早い話が目立つ。となれば、あれが沖田のと少し調べればわかることでもあり、浪人者ではなくとも無頼の輩に目をつけられることは少なくないのだ。

「二度目は」

二度目は、買い物に出かけた先で浪人者に付きまとわれた。総司が戻る前にと急いでいたのだが、生憎、手には何も持っておらず、寿樹を背におぶってい たセイは、買ったばかりの魚を籠ごと投げつけて何とか撒くことに成功した。息せき切って家に駆け戻ったところ、すでに総司が戻ってきており、間に合わない と思って諦めて帰って来たと言い繕った。

心配をかけまいと黙っていたのだが、知られていたならとてもまずいことである。徐々に手を付いたセイの頭が下がっていく。

「そして三度目はこの前」

総司が夜番で不在の折、家の周囲に人の気配を感じたセイは、脇差を手にそっと庭を回って様子を伺った。部屋の中ではすやすやと寿樹が眠っており、朧 月の明かりを頼りに、周囲にいた不審な輩を見つけた。どうやら総司の家を探りに来たものの、肝心の家がどれなのかわからず様子を伺っていたらしい。

「……ここか?」
「さあ……。このあたりは貸家も多いからな。やはり昼にもう一度来るか」

ひそひそと囁く浪人者二人の様子を板塀の内側から確かめたセイは、そっと庭木戸を開けて表に滑り出た。ちょうど角を曲がった様子をみると、素早く近づいた。

「何者?!」

声は潜めてはいるが、すっきりと通る声にぎょっとして浪人者二人が振り返った。脇差を手にしたセイがじりっとわずかに腰を落としながら近づく。

「ここで何をしていますか」

顔を見合わせた二人は、女だてらに脇差を手にしたセイに、ちっと舌打ちをすると一人が刀を抜いた。鞘から引き抜かれる音がすでにあまり手入れのされていない濁った音がする。
無用な問答をせずに切りかかってきた男をすれ違う様に交わして、もう一人の男の胸元へとセイが脇差を抜いた。

「うっ!!」

着物の胸のあたりを切られた男がざざっと音を立てて後ろに下がった。二人と立ち位置が入れ替わったセイが、鞘を道の脇へと放り出して、構えなおしたとき、遠くから夜中だというのに整然と歩く足音が聞こえてきた。

おそらく、巡察の足音なのだろう。無駄口はないとしても複数の足音を完全に消すことはできないだけに、ザクザクと規則正しい足音は夜の静寂の中では気配と共に伝わってくる。

再び顔を見合わせた男達は、頷き合うと身を翻して路地を逃げて行った。

ふう、と息を吐いたセイは、急いで鞘を拾うと脇差を納め、庭木戸から家の中へと戻る。
巡察の隊士達に目撃されては総司に知られてしまう。家の様子を伺うと寿樹も起きた様子はなく、ほっとしたセイは、家の近くを歩いて行く巡察の足音に耳を傾けていた。

その程度のこと、いちいち総司に話して心配をかけるまでもない。そう思って黙っていたのに、知られていたとなると気まずいでは済まなくなる。

ぴたりと畳に手をついて頭を下げたセイは、しばらくそのまま頭を下げてから沈黙に耐え切れずに詫びを口にした。

「……申し訳ありません。ご心配をおかけするまでもないかと。本当に、その……」

総司と一緒になってからも、いい加減に懲りろと何度も叱られたことを忘れた訳ではない。それだけに身を竦ませたセイは、恐る恐る頭を上げた。

「お前が懲りない奴だってここにいる全員が知ってるわけだし、今更それを咎めても仕方がないことくらいは俺達もわかってる。後はどうするかだろ?」

セイを怒るわけでもなく、土方がそういうと寿樹をあやしていた近藤が大きく寿樹を両腕で高く抱き上げてはおろし、寿樹を喜ばせている。
あまり語らずに座っている総司に何度も視線を送りながら不安そうな顔を向けるセイにこれ以上こうしていても仕方がないと思ったのか、土方はひとまず話を打ち切ることにした。

「総司。お前は隊務にもどれ。こいつは今日はここに置いておく。俺の手伝いをさせる。その間に診療所に必要なものや、どうするかも話しておく」

もともとそういう話だったのか頷いた総司は、立ち上がりざまにセイの肩に軽く手を置いて部屋を出て行った。近藤が寿樹をセイの手に戻すと、土方がセイを促して隣の副長室へと移ることになった。

 

– 続く –

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