ないしょ、ないしょ 8
〜はじめの一言〜
もちろん、このお話の二人はただの師弟で恋人じゃありませんからね
BGM:
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「ふわぁ……」
「たまにはゆっくりときれいなお湯に浸かるのもいいでしょう?」
幹部棟の風呂に入ったセイは、思わず声を上げてしまい、それを聞いていた総司は見張りに立った脱衣所の中から声をかけた。
幹部棟の風呂をセイが一人で使っていい。
それは土方にしては格別の計らいと言える。いつも皆が終わってから仕舞湯にひっそりと、総司に見張りを頼んで入るセイだけに、綺麗な一番湯に一人ゆっくりと浸かっていられるというのはありがたいことだった。
「本当によろしかったんですか?」
「ええ。もちろんですよ。私は向こうで先にみんなと一緒にお風呂はいただいてますし、これは土方さんなりに、考えた結果なんですから気にすることはありませんよ」
本当はセイが勝つことも当然できた。
土方の苦手なもの、衆道はさておき、でんでんむしやなめくじなどのぬめった虫に酒。まさかあんな小さな虫も駄目とは知らなかったが、それでも苦手なものなどわざわざ言わなくてもわかっている。
ちゃぷ、と手で湯の中の泡を払う。
その音を聞きながらぼーっとしていた総司は、ふとずっと気になっていたことを聞いてみた。
「ねぇ?神谷さん」
「はい、なんでしょう?沖田先生」
「どうして土方さんの弱点なんて知りたくなったんです?」
むしろ、日頃から絶対に関わりたくないと言い切るくらいなのに、そんなセイがどうしてだろうと思ったのだ。床几の上に座っていた総司は、そのままふらりとその上に横になる。
風呂の中からの返事がなくて、しばらく待っていると、ばしゃっと湯船からでたらしい音がする。
「……違います」
ばしゃばしゃと水音が響く。総司はそれを目を瞑って聞いていた。
湯船から出たセイは、髪を湯で洗い流すと、手拭いでぎゅっと濡れた髪を拭う。雫が足元の板の間に落ちて流れていく。
「弱点が知りたかったんじゃなくて、弱点がないことを知りたかったんです。だから、勝負なんて本当は初めから私が負けるはずなんです」
わかりきった弱味を見せないなら他もないと思いたかった。
それを聞いた総司には、どれだけ土方を嫌っていても、どんなふうに日頃から文句を言っていたとしても、それだけ土方を信用しているということがわかる。
「神谷さん、本当に土方さんが好きなんですねぇ」
「ち、違いますよ!」
「うわっ!!」
突然、間近から聞こえた声にぱちっと目を開けた総司は、湯殿から顔を覗かせたセイに驚いて飛び上がった。本人は手拭いで髪を押さえて頭だけ覗かせているつもりだが肩のあたりが見えている。
ゆでだこのようになった総司が慌てて背を向けると、ぎゅっと目を瞑って足元に置いていた、セイの着替えの入った籠を湯殿の入口の方へと押しやった。駄目押しに、手で目を覆いながら見ていない事を強調する。
「はっ、早いですよ!もっとゆっくりしていていいのに!」
「すみません。あんまりお待たせしちゃいけないかと思って……」
籠を引き寄せて湯殿へと引っ張り込むと、手拭いで体を拭う。
セイの肩先とはいえ、素肌を見てしまった総司はまだ耳まで赤くしたままで、目を覆っていた。
「私が、副長を信じているのは、沖田先生が副長の事を信じてらっしゃるからですよ。私は鬼副長の事なんて、本当に沖田先生みたいな大好きのおもいっきり対極にいらっしゃる方としか思えませんから!」
―― 大好きの対極って……
ぶぶっと思わず吹き出した総司は、笑いながらあれ?と思う。
―― 大好きって、今、どっちの事をいったんでしょうね……
「お待たせしました!」
からりと湯殿の戸が開いて、襟元で髪を束ねたセイが姿を見せた。顔を赤くした総司ががたっと立ち上がった。
「沖田先生?お待たせしました」
「あっ、はいっ!」
顔を真っ赤にしてセイを見下ろした総司は、どぎまぎとしながらもセイをまじまじと見つめてしまう。きょとんとした顔で見返したセイはまじまじと総司の顔を覗き込む。
「い、いきましょうか」
「はい。おかげさまでさっぱりしました」
「それはよかったです。今日は小部屋で休んでいいと言われてますからね。一人でゆっくりと休んでくださいね」
ひたひたと冷え切った廊下を歩いて小部屋に戻ると、胸の動悸が収まらない総司は急いで隊部屋へ戻ろうとした。
「じゃあ、私は」
これで。
そう言いかけた総司の袖をぎゅっとセイが掴んだ。
驚いた顔で振り返った総司は、セイの風呂に入ったばかりで上気した顔にぶつかった。
「もう少しだけ!いつも皆がいて賑やかなのに、何もすることなないまま一人で小部屋に置いて行かれても~!!」
「か、神谷さんっ?!」
「お願いします?」
うるうるとした目でセイにねだられて、否と言える選択肢はこの場合はない。
うううう、と根負けした総司が渋々と小部屋の中に入った後、何があったのかはわからないが翌朝、目の下に真っ黒なクマを作った総司が廊下のあちこちに頭をぶつけながら歩いていた。
「副長、失礼します」
「おう」
翌日セイが副長室に入ると、ちょうど着替えを終えた土方が帯を締め終えたところだった。
自然と互いに昨日の事は触れずに、にかっと笑いあったところでいつものごとく、セイは床を上げ始める。
「そう言えば、お前の按摩はうまいな。あの枕みたいな奴のおかげですっかり肩がらくになったぜ」
「それはようございました。小豆を中に入れて温めた物なんです」
「そうか。今度は近藤さんにもやってみてくれるか」
「承知しました」
ひどく穏やかな会話が続き、いつになく平穏な幹部棟をよそに、隊士棟の廊下ではよぼよぼと歩いていた総司が斉藤とぶつかりそうになる。
「なんだ、その顔は」
「あ゛、おはようございます。斉藤さん」
黒々としたくまをみた斉藤は、その顔に漂った異様な雰囲気に早々に撤収を決め込んだ。
「……いや、何もきくまい」
「なにがですかぁ、斉藤さん」
「あんたもいろいろ苦労が絶えないな」
ぽつりと言い残して斉藤が去っていくと、笑顔のままで固まった総司だけが一人残されてしまった。
―― 私だって、私だって、あんなこととか、こんなことが……
– 終わり –