雨 1

〜はじめの一言〜
書きたくないよー。昇華のためのお話なので、たぶん、しんどいです。
痛い話がだめな方は、避けた方がいいとおもいます。史実とは異なります。
BGM:安全地帯 雨

– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

神谷さんが、隊を出ることになった。

「隊を退けなさい。神谷さん」

今までも何度となく繰り返してきたこと。どこかで、どうせまた嫌です、と言われるのだろうと思いながら口にした言葉に、思ってもいなかった言葉が返ってきた。

「わかりました。沖田先生。今までありがとうございました」

笑顔でそう答えると神谷さんは、思いのほか静かに道場から去って行った。
私はてっきり、もっとごねられると思っていたし、彼女が頷くと思ってなかったからひどく動揺した。自分で言い出したことなのに、呆然として神谷さんを見送るしかできなかった。

本当に神谷さんは近藤さんに自分で説明をして、隊を抜ける話を決めて行った。
誰にも何も言わずに去ること。
それが条件になった。話が皆に知られれば、騒ぎになることは目に見えていたからだ。

「神谷さん……」

誰にも何も言わず、知られないように一人、隊部屋で荷物を片づけている神谷さんの後姿に声をかけた。だからと言って、何が言えるわけでもないのはわかっていたのに。

「これからどうするんです?」

近藤先生達が、このあとの神谷さんの身の振り方について、心を砕いていたのは知ってる。あの土方さんでさえ、どこかのお店の話を持ってきていたはずだ。

「私ひとりですから、どうとでもなります」

振り向きもせずに、神谷さんの答えが返ってくる。
辞めると決めてから、神谷さんは極端に口数が少なくなっていた。けれど、決して泣きはしなかった。あれだけ泣き虫だった神谷さんから涙だけが失われていた。

それにひきかえ私の方が、動揺し些細なことばかりを気にしていた。どこかで神谷さんは絶対に自分の傍から離れることはないと思っていた自分がひどく浅はかで愚かだと思った。

今になって、目の前にいる、小さな背中をこんなにも抱きしめたいと思うなんて。

決して、私を見ようとしない神谷さんの背中が寂しくて堪らなかった。
その背中にかける言葉がなくて、私は目をそらすと隊部屋をでた。そんな無様な私を見ていたのか、部屋を出た先に、斎藤さんが立っていた。

「沖田さん。あんたはこれでいいのか?神谷を可愛がっていたようだが」
「斎藤さん?」
「神谷は、局長や副長の紹介をすべて断ったらしいな」

私は思いがけないことに、再び動揺する。
誰も知らないはずなのに、斎藤さんは神谷さんが辞めることを知っている?

「斎藤さん?貴方、知ってるんですか?!」
「何かあった時は後見になると言っておいた」

斎藤さんは腕を組んだまま、苦い顔で隊部屋の中の神谷さんの背中を見ている。私には、後見になることさえできないというのに。愚かな私には、神谷さんの行く方を知れば、それだけではすまなくなる。
そんな自分をわかっていながら、斉藤さんに悋気さえ覚えてしまう。

「斎藤さんにはかなわないなぁ」

それでも胸が焼けるような悋気をほろ苦い笑みで覆い隠す。自分が言い出したことだ。
神谷さんが幸せになるならそれでいい。
いつ死ぬとも知れない隊にいるより、幸せになるだろう。

一番隊、非番の日に、私はいたたまれなくて外出をしようとしたところを神谷さんに声をかけられた。久しぶりに正面から神谷さんを見た気がする。

「沖田先生。今日の非番、付き合ってもらえませんか?」
「え、ええ。いいですけど……」
「じゃあ、一晩飲み明かしましょう!」

明るい顔で笑う神谷さんを見ていると、やはりこれでよかったのだと思えた。

「わかりました!行きましょう」

私は神谷さんと最後の時間を過ごすために、料理屋に出かけた。奮発して、離れ座敷に上がると、お酒と美味しいものを、と頼んでしばらくぶりに、たくさん食べた。二人で食べると、何を口にしても、こんなにも美味しいものかと思うと、せめて今を楽しむことだけに集中することにした。

どれくらい過ごしたのだろうか。

私は、着流しのままひたすら飲み続けて、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
灯りを落とした部屋。

「神谷さん?」
「はい、先生」

がばっと飛び起きると、自分が眠っていたのが神谷さんの膝の上だったことにようやく気がついた。かぁっと、自分でも頬が赤くなるのがわかる。

「すすみません!私ったら……」
「いえ、気になさらないでください」

とても静かな神谷さんの声に、私は神谷さんの顔を見た。あけた障子から入ってくる月明かりで、その白い横顔がものすごくきれいに見えた。

これで最後なんだ。

そう思うと、たまらなく愛しくて、神谷さんを抱き寄せた。自分の胸に抱え込むと、とても華奢で、こんな細い肩でずっと今までいろんなことに耐えてきたのに。

―― 神谷さん。今頃、気づくなんて。私は、貴女が愛しくて堪らないです

されるがままに私に抱き寄せられていた神谷さんの腕が、そっと私の背中にまわった。

「先生……」

隊を辞めることに決めてから、初めて、神谷さんの肩が震えて、泣いているのがわかった。自分の胸元に顔を押しつけて泣くこの人を、手放すことなど本当は考えていなかったのは私だった。
神谷さんを抱く腕に力が入る。

「神谷さん……」
「沖田先生」

神谷さんが、何を言いかけてやめたのか。
私は何も言うことなく、腕を緩めて彼女の頬を両手で包みこんだ。幾度、この大粒の涙を流す顔を見ただろう。この瞳に溢れる涙を拭っただろう。

腹がたった時もあれば、可愛くて仕方がなかった時も、もう、私たちは共に過ごすことはないのだ。

何も考えることができなくて、そっと自分の唇を彼女のそれに重ねた。
何度も、何度も。
伝えられない想いを伝えるように、私はそのまま彼女を抱いた。

– 続く -