雨 2

〜はじめのお詫び〜
やっぱり2話分のボリュームなので他と揃えて分割しました。
BGM:安全地帯 雨
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

目を閉じていても、腕の中にあるぬくもりが、愛しくて、愛しくて。

夜明け前に、片腕に感じられていた重さが急になくなって、神谷さんが床を滑り出たのがわかる。思わず、引き留めそうになって、上げかけた手を握りしめた。

微かな衣ずれの音がして、神谷さんが着替えているのがわかる。今ならまだ、この腕にひきとめられるだろうか。

 

かちゃ。

 

着替えを終えた彼女が刀を手にしたのだろう。もう、その腰に差す必要もないはずの刀を差して、枕もとに彼女が座った。こんなにも気配を追うことが簡単で、こんなにも彼女を愛している自分に驚いてしまう。

目を閉じていても、私が眠っていないことは彼女にもわかるのだろう。私の顔を見つめる視線を感じる。
私の額にかかる髪を、小さな手が触れてかきあげた。名残りを惜しむように触れた手が、そっと離れると、神谷さんは静かに部屋をでていった。

障子のしまる音を聞いても、身動き一つできない自分が、痛くて。

 

神谷さん。いいえ。セイ。
どこにいても、何をしていても、貴女の幸せだけを願ってます。

生きて、幸せになってください。

 

 

 

 

 

「今頃、近藤先生はどうされているでしょうね」

久しぶりに見舞いにきた斎藤に、総司はぽつりとつぶやいた。斎藤は、すっかり影の薄くなったこの男を見舞うほど余裕のある状況ではないのに、あえて訪れた。

「斎藤さんも行かれるんですね」

おそらく、もう二度と会うことはないだろう。斎藤はこれからまた移動する戦地に赴いて行く。すでに、かつての新撰組として共にいた者たちも、ほとんどが散り散りになりつつある。
副長の土方だけが、厳然として号令をかけているが、これからどうなっていくのか、もはや誰にもわからない。

「沖田さん。もう、会えないかもしれないが……アンタは生きられる限り生きろ」
「やだなぁ。斎藤さん。それはこっちの台詞ですよ」
「神谷が聞いたら、怒るぞ」

しばらくぶりに出した名前に、総司の顔が笑みを浮かべた。

「なにいってるんですか。今頃あの人はきっと、どこかで幸せになってますよ。私のことなど忘れてね」

そんなわけはない。あの神谷が、アンタを忘れるはずなどない。
最後に屯所を出ていく姿を見たのは斎藤だった。外出からもどって、少ない荷物を手にして出ていこうとする姿に声をかけた。

「落ち着いたら知らせろ。いつでも後見になる」
「ありがとうございます。兄上」
「……いいのか?」

 

後悔しないのか。

 

「いいんです。沖田先生のご迷惑にはなりたくないんです。お傍にいられなくても、心は置いていきますから」

そういって、神谷は屯所を後にした。結局、居場所を知らせる約束も、屯所の移転や江戸への移動などで叶わなくなってしまった。

穏やかに微笑む男の目には、きっとあの頃の姿が映っているのだろう。
それからいくらもしないうちに、斎藤は暇を告げた。

 

 

 

戊辰戦争が終わり、高田で謹慎していた斎藤は謹慎している、旧藩幹部との面談のために、東京へ向かった。
会談を終えて、斗南藩として、下北へ向かう準備のために、再び高田へ戻る途中で、思いもかけない人物を見かけた斉藤は、息が止まるかと思うほど驚いた。

「神谷?!」

昔でいうところの、茶店の店先で立ち働く女子をみて、斎藤は驚いてその腕を掴んだ。
掴まれた女子は、不思議そうな顔をしている。

「あの、私をご存じなのですか?」
「……?!」

屈託ないその顔には困った笑みが浮かんでいた。奥から出てきた店の者にきくと、神谷はあの後どういう手段をとったのか、江戸に新撰組を追ってきたらしい。
どうやら腹には子供がいたらしいが、生まれる直前に戦乱に巻き込まれて流産したらしい。その時の衝撃で、それまでの記憶すべてを無くし、行き倒れ寸前だった所を、今働いている店の者が引き取って、世話をしたらしい。

「アンタ、この辺の肩のあたりに古傷はないか?」

斎藤は確認のために、昔総司を庇って負った怪我のことを尋ねた。すると、確かにあるという。

「私は、間違いなく貴女を知っている。そして、いずこかで会えればと探していた」
「そうなんですね。私、なにも覚えてなくて申し訳ありません」
「いや、構わない。会っていきなりで驚かれるかもしれないが、これから私は、新しく仕える藩のために、新しい土地にむかう。もしよかったら、一緒にきてはもらえないだろうか」

その場で、斎藤はセイを連れていくつもりになっていた。この奇跡のような邂逅を、逃したくはなかった。
すると、セイは、こくん、とうなずいた。

「私の記憶は、途中から途絶えていて、覚えていたのは喪失の悲しみと、失った赤子への悲しみだけでした。夫がいたのかもしれませんし、 そうではなかったかもしれません。でも、貴方をみていたらひどく懐かしい気がしました。このまま無くしたものを見つけられないままではいたくありません」

斎藤は、記憶をなくしてもなお、まっすぐなセイの気性に感動していた。どれほどの時間が過ぎたかわからないのに、変わることなくあり続けるのか。

 

その日のうちに、斎藤は店のものに事情と自らの身分を明かし、必ずセイを不幸にはしないと誓って、セイを妻とした。

記憶もなく、身分もないセイを会津藩内でも大身の篠田に頼みこみ、セイを養女にしてもらい、名前も新たに与えた。自らも、名前を変えても、セイだけは手放したくなかった。
共に暮らすようになってセイは、決して無くした記憶について、斎藤に問うことはなかった。

 

 

数年ののち、セイはすべての記憶を取り戻した。それを罰するかのように、セイは総司と同じ病を患い、床につくことになる。記憶を取り戻していくらもたたないうちに。

「すべて、忘れて生きていければよかったのにな」

斎藤は、床に伏せったセイに向かって心の底からそう思っていた。しかし、セイは首を振った。

「兄上を本当に幸せにするために、私は思い出したのかもしれませんね」

そういって、儚く笑ったセイは、急激に衰えて行きその年の冬を迎えることなく儚くなった。斎藤は、セイ亡きあと、東京の沖田が眠る墓の傍に、わざわざセイの墓を建てた。

 

「沖田さん。神谷をアンタに返すよ」

去り際に、総司の墓に手を合わせた斎藤は、一人、語りかけた。

「今頃、アンタ達は昔のように一緒にいられるといいな」

静かに降り始めた雨が、斎藤の頬を濡らす涙を隠す。長い、長い時間をかけて、ようやくここまで辿り着いた。

激動と言われる時代に生きた恋に別れを告げて、斎藤は雨の中、歩きはじめた。
その後、斎藤は東京に居を移し、仕事や家庭を持つ傍らで、誰にも告げることなく、二人の墓を訪れ続けた。

 

– 終 –