風のしるべ 20

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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…… 俺が後悔してるように見えるか?

真正面に座る気にもなれず、寝起きで冷蔵庫から持ってきたペットボトルの水に手を伸ばすついでに、テーブルの脇へと移動する。直角の位置に移動すると、少しだけ怖さが減った。

過去の自分の後悔を知る恐ろしさが和らぐ。

「……今のあんたにはそれがみえねぇけどさ。だから不思議なんだよ。今まで俺は思い出すこともなかった。だから俺は俺だった。なのに、なんで急にあんたは出てきたんだ?」

30も目の前の今になって。ずっと今まで自分の中で眠っていたはずの。

ふわり。

あっと、思わず息をのむ。

一瞬で、空気が変わった気がして。それまで実体のない、亡霊のような、まるで映画でも見ているようだった和服姿の男が急に武士だと感じてしまう。

…… 後悔ならたくさんあった。守りたかった仲間も、やり残したことも山のようにあった。だけと、俺ぁ、精一杯やるだけのことはやって死んだ。今までも、隠れてたわけじゃねぇよ。俺はお前で、ずっとお前の中にいて、今を生きてるのはお前だろ?何も俺はお前に、俺の後悔を背負わせるつもりなんかねぇよ

「じゃあ、どうして……」

目の前に抜き身の刀を向けられているような緊張感がふっと途切れる。

…… 馬鹿だなぁ。お前。お前が呼んだんだ。俺もお前も、根っこがおんなじで、生きてる時代が違うから少しずつやってることは違うのかもしんねぇ。だけど、同じなんだよ

少しずつ、小さな螺旋は経験を重ねることで大きく広がっていくかもしれないが、伸縮を繰り返して続いていくのは、俺という魂なのだという。

…… 俺が邪魔だと思うなら忘れな。俺は別にかまわねぇよ。だけど、お前に俺と同じ後悔はしてほしくねぇんだ。それだけは忘れないでくれ

「……後悔?」

ずきりと胸が痛む。誰もいないはずの部屋の中で原田の声だけが詰まったように耳に届く。

…… 後悔した、と思った時、俺は引き返そうとしたんだ

何を思ったのか、ただそれだけを言ったあと、静かに首を横に振った。

「おい……、なんだよ。俺は全部を覚えてるわけじゃねぇんだよ。最後まで言えよ!」

…… 無理すんな。お前は

現れた時と同じくらい強く、存在感だけを残して記憶のかけらは消え去った。
物理的に見れば、もとから一人でいた部屋と何も変わっていない。

「……深く考えるのは苦手なんだよなぁ」

誰にいうでもない呟きの後、原田は携帯を手にした。他愛ない、挨拶と顔文字だけを送る。今はこれでいい、と自分に言い聞かせて、すっかりぬるくなった水を飲んだ。

『おはようさん。いい天気だな(^○^)』

「か……顔文字?」

嘘でしょ、と短いメールを見て呟く。社会人の、しかも男性がしれっと顔文字をおくってくるとは思っていなくて驚くより、笑い出してしまった。

全力で笑い出した後、はぁ、と笑いすぎて痛くなったお腹を押さえる。

本当に、ふざけた男だと思った。馬鹿にされていると思って、すごく腹を立てた。
お礼をと呼び出したら、思い切りはしゃいでいて、とても大人の男には見えなくて、呆れもした。

『俺と付き合おう』

―― どういうつもりでいったんだろう

本気だとは思えないが、それでも真意を知りたい。会って間もない自分にいきなりこんなことを言うなんて何をどう考えているのか、知りたかった。

かちゃっと携帯を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。なんだか、メールや電話では違う気がして、携帯を開いた手が止まる。

「……ああ~。今日、土曜日じゃん!」

会社の住所は知っていても、自宅の住所は知らない。
ばしっと閉じた携帯をベッドに投げつけて、もどかしい気持ちを持て余した。土日には極力バイトを入れていない。

勉強と切り替えをきちんとつけるつもりだった。

それが今だけはあだになった気がする。課題を広げても、ちっとも頭に入ってこないことにいらいらしながらこの土日を過ごすしかない。

返事を返すことも忘れてそのまま土日をいらいらして過ごしたまさみは、月曜の講義が終わってすぐ、入っていたバイトを休みにして原田たちの働く会社に向かった。

まだ夕方の3時過ぎでは仕事をしているだろう。でも、もし外出したりして、そのまま戻らなかったりしたらこの苛々をまた一日先送りにするのかと思ったらいてもたってもいられなくて、ビルの出入り口が見えるカフェに入ると、そこでガラス張りのカウンター席からビルの出入り口を見張ることにした。

思えば馬鹿なことをしていると思う。

これだけ大きなビルで、関連会社もたくさんある大きな会社の一つに原田は勤めている。退社時間になれば何百人、下手をすれば何千人の社員が出てくるのかしれないのに、その中でたった一人を見つける気になっている自分がバカみたいだと思う。

いてもたってもいられない。

今まで、付き合った人がいなかったわけではないが、あんな風に言った人はいなかったのだ。溶けていく氷と上澄みに水が溜まる。

「……!」

がたっと立ち上がったまさみは慌てて広げていた教科書とノートをしまう。飲み残したラテのプラスチックカップと鞄を抱えて店を飛び出した。

「原田さん!!」

一見同じに見えるスーツの群れの中からその人を見つけ出したまさみは、ビルの入り口手前にある植え込みのあたりから大声で叫びながら、走り出した。

– 続く –