風のしるべ 22

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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ビールの追加を頼んで店員が消えると、緩めたネクタイに続いて、Yシャツのボタンを外す。

「あのな?世間一般で言う、美人も、可愛いもあるけど、それとは別に、人にはそれぞれかわいいとかきれいだとか思うとこがあんだよ」

それはわかるだろ?と目線で問われれば渋々頷くしかない。

「まさみちゃんさぁ。色白いじゃん。髪もそうだけど、どっちかっつーと色素が薄いんだよな。だからそばかすも多くなるんじゃないの?」

自分自身でそばかすが多い理由など、わざわざ考えたこともない。猫っ毛もそばかすの多い顔も自分の中で嫌いでしかないところをわざわざ、深く考えたりはしない。言われてみれば、一般的にはそういわれることがおおいと、はたと気づく。それまでまったく自分と結び付けようなど考えたことがなかったのだ。

「それに、その猫っ毛もすげぇ柔らかそうで、可愛いと思うし?」

どうやら真面目に言っているらしいことがわかるにつれて、異様に恥ずかしくなる。これまで、こんな風に正面切って褒められたことなどなかったのだ。
恥ずかしくて、視線をあわせられなくなったまさみは、ウーロン茶のグラスを両手で包み込む。氷の中の気泡が溶けて、くるりとひっくり返る。

「俺は、面接で履歴書みちゃってるからさ。まさみちゃん、今19だろ?9コも年上のおっさんからいきなり口説かれたら驚くだろうし、疑うのもわかるんだけども。まあ、冗談でもいいからちょっとだけ試してみる気、ない?」
「冗談でもって……」
「無理だなって思えば、そう言ってくれればいいし。いきなりはじめっから重く考えなくてもさ」

原田の言う色白な手がグラスについた水滴に濡れて、グラスから手を離したまさみは俯いたままおしぼりを手に取る。
付き合わなければいけない理由も義理もないと突っぱねるのは簡単なのに、なかなかそれが出てこない。嫌だとも、うんと頷くこともできない自分がひどく意気地なしに思えた。

「……男の人と付き合ったことなんかほとんどないから、面倒だって思うかもしれませんよ」
「だいじょぶ。おっさんも若い子と付き合ったことないから、うざいと思われるかもしれないし?」
「連れて歩いても、自慢できるような風にはなれませんよ」
「若い彼女ってだけでもおっさんには自慢だから大丈夫」

う~、としばらく唸った後、こく、とまさみが頷いた。

「?!おわっ」

口説いていたくせに、まさみが頷いたのを見て、ビールグラスを倒しそうになる。二杯目ものこり僅かしか残ってはいないが、それでもわたわたと落ち着きがなくなる。

「ちょ、なんでそうなるんですか!?そっちが言ったのに!」
「いや。ちょっと無理かなって思ってたから……。まじで?」
「いいって言ったら疑うってどういう事ですか!もうっ」

あ、の形に口が開きっぱなしだった原田の顔が一気に崩れた。

「よっしゃ!嬉しいなぁ!ありがとな!!」

残っていたビールを飲み干すと、うるさいほど呼び出しのボタンを押す。お待たせしましたぁ!と明るい声で現れた店員にビール追加!と叫んだ。

「ああ。なんか食うもの、頼んで、頼んで」

いきなりテンションの上がった原田にメニューを押し付けられたまさみは、じゃあ、と慌ててサラダとつまみやすいものをいくつか頼む。
かいこまりました!と、店員が去って行くと、原田の大きな手が自身の顔を掴む様に口のあたりに向かった。

Yシャツの袖口からのぞいた時計にどきりとする。

―― 男の人だなぁ……

手首の方に気をとられていたまさみが、ワンテンポ遅れてそれに気づく。

「……やべぇ」

それまで、へらへらとしておっさんだの、恥ずかしいのは同じだと言いながらも、見た目は何も変わらなかった原田の顔が赤くなっている。

「……顔、赤い」
「うるせぇ」

思わず口から出てしまった呟きに、ぼそっと言い返される。
口先だけだと思っていたが、こんなところまではいくらなんでもコントロールなどできないだろう。

「……原田さんて……、なんだか初めて会った気がしない、です」

弾けるように笑った顔や、照れくさそうにそっぽを向いて赤くなった顔が胸を締め付ける。懐かしくて、もう一度、この顔を見たいと思ってしまう。

聞き取れなかったが、何かを小さく原田が呟いて大きく息を吐いた。

今までもすれ違っていたのかもしれないが、偶然というよりも、縁というものかもしれない。
予備校の短期集中講座を受けるために学校帰りにそのまま電車で移動した未生は、アグレッシブな講義を受けた後、お腹を空かせて駅に向かった。

帰宅時間なのか、改札から出てくる人と改札に向かう人の数がほとんど同じくらいに見える。

未生の最寄駅よりも大きな駅前は、雑多な雰囲気に包まれていて制服姿の学生が夜に歩いていても今時、何とも思われはしない。ちょうど、遅い夕飯時という時間だけに、帰宅を急ぐサラリーマンの数も多かった。

「どうしよう。やっぱりなんか食べて帰ろうかな」

家に帰ればなにかしらあるだろうが、結局、働いている母か自分が家に帰ってから手をかけなければならない。それなら表で軽く食べて帰ったほうが一番楽で時間がかからないのだ。
その分は、レシートを持って帰れば母がその分を返してくれる。

改札の前まで向かってから、足を止めた未生は、一番楽な方法であることと、お腹が空いたこと、だが、一人でこんな時間に食事をすることを考えるとそれも面倒な気がして、うろうろと迷ってしまう。
店のある方へ一度は足を向けたが、散々迷って、もう一度改札の方へと向きを変えた。

「あっ、すみません!」

すぐ後ろにいたらしい、サラリーマンにぶつかりそうになって、ぎりぎりで踏みとどまる。両手を上げて謝罪が口を突いて出た。

「いえ」

顔を見て言えば、むっとした表情を見てしまうかもしれなくて、それが怖かった未生は足元に視線を落としていた。
てっきり、さっさと追い越して行ってしまうと思っていた足が動かないので、恐る恐る顔を上げてようやく気付く。

「あ!」
「……やっぱり。制服だったので、ちょっと自信がなかったんですが」

慌てて耳に入れていたイヤホンを外す。この前と同様にスーツ姿の奏が目の前に立っていた。

「あ、そう言えば家、この駅だっておっしゃってましたね。私、予備校の帰りなんです」

ああ、と口の中で呟く。確かに未生の家から近くて大手予備校があるのはこの駅か、逆向きに4つほど移動しなければならないだろう。
改札を抜けたところで、見覚えのある姿が妙にうろうろしていたので気になって、近づいたのだった。

– 続く –