風のしるべ 23

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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「何をうろうろしていたんです?」

今度は未生の方が、ああ、とつぶやく番だ。まさか見られていたのかと思うと恥ずかしくなる。鞄を肩にかけなおして小さく笑う。

「お腹空いちゃったので、何か食べて帰ろうか、家に帰ってから何か作ってもらおうか、迷ってて……」

さすがに、バイト以外で一度会っているので、少しは気安い。えへへ、と恥ずかしそうに笑った未生を見て、そのまま帰す気になれなくなる。

「家で食べなくてもいいんですか?おうちの方が心配するでしょう」
「それは平気なんです。今日、予備校に来てるのも知ってるし、食べるなら食べてきてもいいって言われてるし。帰るときにメールだけすれば」

大丈夫、と携帯を見せたものの、迷っていたには理由があるはずで、ん?と首を傾げた奏に、恥ずかしいのか未生が髪に手をやる。

「なんか、一人で食べる時間じゃないし、ファーストフードも食べたくなかったんで、どうしようかなと思って。やっぱりコンビニで何か買おうかなとか……」

なるほど、とようやく納得する。奏のように、男なら定食屋でもなんでも、一人でふらりと入ってもかまわないが、高校生の女の子なら、もちろん一人で入れないことはないだろうが、躊躇するのもわからなくもない。

「時間、かまわないなら何か食べますか?」

えっと目を丸くした未生に、この前は見せなかった笑みが浮かんだ。

「どうせ、私もこれから晩飯だし、一人で食べるよりはいいっていうのもありますし。それとも帰るなら送りましょうか」
「ええええ!とんでもないです。でも……、沖田さんがいいなら、お言葉に甘えてご一緒していいですか?」

もっとくだけた話し方なのかと思っていたが、きちんとした物言いに少し、感心しながら奏は店が多くある方を指差した。

「お互い、一人で食べるよりはいいですからね。じゃあ、いきましょうか。何か食べたいものでもありますか?」
「いえ!えと、あまり高くなければ、沖田さんの好きなところで構わないです。特に好き嫌いもないので」

高くない、というところにくすっと笑ってしまったが、わかりました、と言って奏はアーケードの方向へと歩き出した。
未生の歩くペースに合わせて、少しゆっくりめに歩きながら、ぽつぽつと話し出す。

「高2でしたよね。いいところ狙ってるんですか?」
「とんでもないです。でも行きたいところはあるので、集中講座とか結構とってるんです」

大きなアーケードの中を歩いて、三分の一ほど進んだだろうか。狭い脇道を指した奏にくっついて行くと、小さな店の看板がいくつも並んでいた。
曲がってすぐの雑居ビルらしいところの前で立ち止まった奏が、そこに出ていた看板を指差す。

「パスタとかなら平気ですか?」
「はい!大好きです」
「それはよかった」

店の前に立った時点で、オリーブオイルとガーリックのいい匂いが漂っていた。スタンドタイプの黒板を小さくしたようなボードに、今日のおすすめ、と書かれている。メニューをみて、盛大に未生の腹が鳴った。

「あっ!いやっ、やだっ」
「はいはい。わかりました。じゃあ、入りましょうか」

周りの雑踏で聞こえてなければいいと思ったが、すぐ真横にいた奏にはしっかり聞こえていたらしい。にやっと口元が笑みの形をとった奏は、先に立って地下へおりる段を歩いて行った。

狭い階段を降りたところのドアを開けて奏が待っていてくれる。その腕の下をくぐる様に店に入ると、ざっとテーブルが全部で10席、カウンターを入れてもあと5席というこじんまりした店だった。

「いらっしゃい。その奥の席どうぞー」

カウンターの奥から声がかかって、言われた席に近づくと奏が奥の席を譲ってくれた。揃って席に座ると、カウンターの中の若い方が水を持ってきてくれる。奏がテーブルにあったメニューを見せてくれた。

「どれでもおいしいですよ。どういうのが好き?」
「あ、なんでも好きです。あ、このたらこのとか……、うー。ブルーチーズのも捨てがたい!でも……。うん。このたらこと大葉のにします!」

すごく名残惜しそうに悩んだ末に未生が決めると、おかしそうに笑いをこらえた奏が、注文する。ついさっきお腹が盛大になったのが恥ずかしくて、未生は水のコップを手にしてとりあえず水を流し込んだ。

「よっぽど、たくさん勉強したんですね」
「仕方ないじゃないですか、だって、夕方ちょっと遅くなっちゃって、時間なかったんです」
「そういうときは、おいしいものをたくさん食べるといいですよ」

さらりと言われると、はっと我に返る。同級生や少し上の人たちとは違って、大人なんだと思うと、なんだか勝手が違っていて落ち着かない。

「……すみません」
「どうして謝るんです?頑張ってるのはいいことじゃないですか。でも、遅い時間になったらこの辺で一人で食べるのは、あんまりお勧めしないですけどね」

くるっと目を見開いた未生にふ、と今度は形だけ笑った奏が上着を脱ぐ。ワイシャツ姿になった奏は、テーブルに両肘をついて、手を組んだ。

「私が勝手に言ってるだけで富永さんはしっかりしているから大丈夫だと思いますけどね。この辺は、夜になるとやっぱり飲み屋も多いですから。男ならまだしも、女子高生が制服でうろうろするもんじゃない、かなと」
「……心配、してくださってるんですか」

たかが、ちょっと知り合った未生のような高校生に、こんな風に真面目に言ってくれると思ってなかった。

「すみません。単なる口うるさいおじさんですよね」
「おじさんなんて……。原田さんも、沖田さんも社会人だってだけで、そんなに上には見えませんよ」
「はは、女子高生の富永さんから見たら、十分におじさんでしょう?」
「本当にそんなことないですよ」

―― 全然。かっこいいって少しだけ思ったり……

一瞬、そう思ったことが恥ずかしくなる。まさみならまだしも、高校生の自分のことなんて、大人の奏が相手にするはずはない。
少し困った方向に話題が向いてしまったと思った奏は、さらりと話を切り替えた。

「で?今日の講義ってどんなのをやってたんです?」
「えと、今日は日本史と国語です」
「日本史!じゃあ、文系?」
「そうです」

聞いてる間に、奏の鼻の頭にちょっとだけ皺が寄った。穏やかな顔にちょっとだけ出来た皺に気づいた未生が、不思議そうな顔になる。

「もしかして、沖田さんは、理系、だったんですか?」
「ええ。特に、日本史と世界史は天敵でしたよ」
「えー、なんか意外です。なんでもできそうに見えます」

ほんの少しだけ、真剣に嫌そうな顔を見せた奏が、この前の不機嫌そうだった奏とはまるで別人に見える。なんだかそれがどきどきして嬉しくなってしまう。

「お待たせしましたー」

運ばれてきたパスタがテーブルの上に並んだ。

 

– 続く –