風のしるべ 24

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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ふわぁっとどちらも食欲をそそる香りが広がる。目の前に置かれたパスタのさらに未生の目が輝いた。
まさに、食事を前にした子供、という姿におかしくなる。取り皿を、と頼んでいたので一緒に小皿も運ばれている。その一つを取ると、奏はフォークとスプーンをきれいに使って、小皿に奏の分を取り分けた。

「はい。これも」
「えっ」
「ブルーチーズ。迷ってたでしょう?こっちもおいしいですよ」

気が付けば、奏が頼んだのは、未生が迷っていたブルーチーズのパスタでそれを取り分けてくれたのだ。
急いで、もう一枚の取り皿に、自分のパスタを取り分けようとした未生の手を奏がやんわりと止めた。

「いいから。まずは食べてみてください。すごーくお腹が減っていたみたいだから、このくらい食べられるかもしれませんよ?」
「いえっ!いくらなんでも」
「大丈夫。食べきれなかったら手伝ってあげますからまずは食べてみてください。私は結構、ここのはいろいろ食べてるので」

まさか、食べかけた残りを奏に手伝ってもらうには申し訳なさすぎる。そんなわけにいきません、とたかがパスタではあるが、憤然と未生は取り皿によそった。

「どうせ、シェアしてくださるなら一緒においしい思いをした方がいいと思います」

未生の言い分にぷっと奏が吹き出した。
なんだか、この前の苛立ちが嘘のように、可愛らしくて、愛おしく感じてしまう。

「じゃあ、お言葉に甘えますね」
「はい!そうしてください」

互いに取り皿を交換したあと、今度は未生がどちらから食べるべきか迷っている。

「くっくっく」
「笑わなくたって!」
「足りなかったら、もっとあげますから好きなだけどうぞ」

意地汚いと思われただろうかと、顔を赤くした未生は、むぅ、としながらも分けてもらった方に先にすることにした。くるくるときれいに巻き取ったパスタを口に運んだ瞬間、ぱあっと未生の顔が変わる。

「おいしい!」
「ほぉら、だから言ったじゃないですか」

未生の素直な反応にますます笑い出した奏は、未生の取り皿にもう一山取り分けてやる。
こんなにおいしそうに食べる顔を見ていると、それだけで嬉しくてもっとそんな顔をみたくなるのだ。

「ん!やばいです。ほんとに食べちゃいそうだからもうやめてください!」
「どうして?足りなかったらもう一つ頼みましょうか?」
「ダメダメダメ!太るから駄目です!」

口元を押さえて、手をあげそうになった奏を止めた理由に、あっはっは、と奏が笑い出す。

「なんで笑うんですか?もう。この前は全然笑わなかったのに。そんなに笑い上戸なんですか?!」
「そうじゃありませんけど。いや、あんまりあなたが可愛いのでつい……」
「うー……」

可愛くなんかありません!と頬を膨らませた未生は、今度は自分のパスタに手を付ける。そして再び、おいしい、が繰り返される。

「ほんと、確かにここのはおいしいですけど、そんなにおいしそうに食べてくれたら連れてきた甲斐がありますね」
「笑ってないで、沖田さんも食べてください!まったく」

すっかり子供扱いをされていると思うと、恥ずかしくなる。大人の奏からしてみれば、いちいち子供っぽいのだろうか。
せめてと、きれいに食べるので精一杯な未生は、少しずつ、いつの間にか目の前の七つも年上の男に嫌われたくない、と思い始めていた。

「ん、本当においしいんですけど。こういうところ、沖田さんは彼女さんといらっしゃるんですか?」

確かに、男一人で入るような雰囲気の店ではない。厨房は男しかいないようだが、こじんまりした店は白で統一されていて、全体的にも可愛らしい雰囲気に包まれている。
さりげなく、彼女がいるかどうかの探りを入れるのは、もちろん対象とみられないとしても、女子には必要だった。

ちょうど口に運んだばかりで、ちょっと待って、と片手をあげた奏は、口元を軽く指先で拭う。

「彼女がいればそうかもしれませんけどね。私は、大学の頃からこの辺に住んでいるので、まあ、大学の友人やサークル仲間と来たりすると、当然女子もいますし。結構、一人でも来るんですよ?」

―― だっておいしいでしょう?

気が付けば、どちらのパスタも半分ほどきれいになくなっている。
食い意地が張っていると思われても仕方がないくらい、本当においしいのだった。

「あの!私、普段はこんなに食べませんからね」
「はいはい。わかってますよ。太りますもんね」
「その一言は余計です!」

すっかり笑いに取りつかれた奏と食事をするのは、恥ずかしさもあったが、それにもまして楽しくて仕方がなかった。

「私は、男子校だったんですが、もうむさくるしいのばっかりでしたから、大学に入った時は、女子がいるだけで華やかでしたよ」
「そんなもんですか?うち、共学だからなぁ」

どこか懐かしそうに学生時代を思い出している奏と、向かい合って食事を楽しむ。この前はあんなに不機嫌で、もし次にバイトの募集があっても気まずいかもしれないとさえ思っていたくらいなのに、この違いはなんだろう。

少しずつ、笑って、話して、からかったり、ふざけてみせる。

「……よかった」
「ん?」

目の前の皿がどちらも空になって、セットだといってデザートの小さなシャーベットを手にしながら、ぽつん、と未生が呟いた。

「この前、無理やり付き合わなきゃいけなくなって、その上に私を送らなきゃいけなくなって、すごく申し訳ないなぁって思ってたんです。次に会うのが気まずいなって。あ!もちろん、バイトがあったらなんですけど。でも、すごく楽しくて、おいしいご飯も食べられたし……。ありがとうございます」

律儀に頭を下げた未生の髪が揺れる。
黒くてまっすぐな髪が。

―― それは私も同じです

口から出そうになった言葉を冷たいシャーベットで溶かしてしまう。
いい年をしてそんなことを口にしたら自分自身が恥ずかしい。

「こちらこそ。先日の仏頂面のお詫びができてよかったです」
「だから!誰もそこまでは言ってませんから」

ぷうっと頬を膨らませているのに、結局手にしたシャーベットはきれいに平らげた未生が可愛くて、おかしくて、もっと時間がほしい。

「そろそろ行きましょうか」
「はい」

素直にうなずいて、立ち上がった未生を連れて、もう少し、と思ってしまう自分をひどく懐かしく感じた。

– 続く –