風のしるべ 8

〜はじめの一言〜
お久しぶりです。ちょびとずつの再開です。
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テストが終わって休みに入った未生は、面接のときにもらった資料を確認して、早めに到着するようにバイト先に向かって家をでた。イベントが始まる一時間前には到着していなければならない。

都心の大きなビルの一階ロビーを横切ると、すでにイベントの告知プレートがでていた。案内板に従って、受付の女子社員がアルバイトの受け入れを行っている場所へ向かう。

「よろしくお願いします。富永未生です」
「はい。富永さん、確認しました。よろしくお願いします。これが今日の制服になります。貴重品だけ身に着けてもらって、後は向こうの部屋に置いていただきます」

もう少し人数がそろったら奥の部屋へ連れて行くと言われて頷いた未生は、ざわざわと大きな会場に運び込まれる会議用のデスクや椅子、それからディスプレイされていく新商品を見るともなく見ていた。

未生のすぐ後に、二人ほど女性がやってきて、受付を済ませると、三人になったバイトを連れて女性が控室に借りた奥の部屋へと移動する。
素っ気ない仕切りのドアを開けると、同じクリーム色の安っぽい壁で囲まれた部屋の中に会議用の長机と椅子が並んでいて、両脇の壁はキャビネットが並んでいた。

「じゃあ、こちらで着替えていただいて、お荷物は奥の壁際の机に寄せておくようにしてください。こちらは鍵がかかるわけではありませんので、貴重品の管理はご自身でお願いします」

それぞれに頷くと、すぐに女性社員は受付に戻っていき、残った三人は互いに顔を見合わせて曖昧に笑った。一番若く見えた、髪の長い一人が真っ先に口を開く。

「あの私は、菅原まさみです。今日一日よろしくお願いします」
「どうも……。私そういうの苦手なんで。小林です」

もう一人は無愛想にそう言うとさっさと上着を脱いで、ウィンドブレーカー風のスタッフジャンパーを羽織った。ポケットに財布と携帯、それにリップクリームらしいものを入れるとさっさと部屋から出て行ってしまう。

あっという間の事に、呆気にとられていたまさみが、同じくぽかんとしてみていた未生と目が合うと明るく笑った。

「よろしく」
「富永未生です。よろしくお願いします」
「こちらこそ。ねぇ、高校生?」

すぐにぐっとくだけた口調になったまさみの隣で、手にしていた鞄を置く。

羽織っていたニットのポンチョを脱いだまさみは、ささっと長い髪を一つに束ねて背中に流した。この手の支度も慣れている同士、未生も上着を脱ぐと、財布とハンカチを内側のポケットにしまい、スキニーパンツの後ろに携帯を入れた。
鏡があるわけでもないが、さらりと髪を手櫛で整える。

「高2なんです。ちょうどテストが終わって秋休みなんで」
「そっか。じゃあ、2コ下かな?」

大学1年だというまさみと共に控室を出ると、壁に貼られた案内に従って会場になっている大きな部屋へ向かう。
周りはスーツ姿のサラリーマンや、首からネックストラップを下げた社員達が忙しなく行き来していた。いつも思うが、身近にはないぴりっとした雰囲気に、ちゃんとしなければという気がしてくる。緊張しているわけではないが、未生は背筋を伸ばして邪魔にならない様に歩いていく。

「まっさみちゃ~ん!」
「ひぇっ?!」

背後からとても軽い声が聞こえてきて、がしっと肩を掴まれたまさみが悲鳴を上げた。一緒に歩いていた未生が驚いて立ち止まる。

「あ、驚かせちゃった?」

妙にがっかりした声がして、まさみと共に後ろを振り返った未生は、面接会場にいた片方の男だと思い出した。

「あ!」

未生が小さく叫ぶと、強気に振り払ったまさみがなぜか目を丸くした。

「驚くにきまって……。えぇっ?!」
「えぇ~……。ひどいんじゃない?それ。俺、だって、面接のときも会ってるっしょ」

なんでここに、と驚くまさみに振り払われた原田が、がくっと肩を落とす。よほどがっかりしたのか、わざとらしく、項垂れて見せた原田に、どう反応していいのか、未生もまさみも困ってしまう。

「菅原さん、お知り合いですか?」

二人の様子からその関係が呑み込めなくて、未生が問いかけると、まさみがとんでもないとばかりに首を振った。

「まさか!こんな変わった人!!」
「知り合いも知り合い!仲良しになったんだよねー」

全力で否定したまさみの声をかき消すように、再びまさみの肩に両手を置いた原田がにこーっと笑う。対処に困った未生は二人の正反対の顔を見比べた。

「あの……、よくわからないんですけど、とりあえず、社員さんがアルバイトにセクハラはまずいと思うんですけど」
「えぇっ!!これ、セクハラじゃないから!仲良しのシルシだよね!まさみちゃん」
「どこがですか!」

思い切り体を捻って、原田を振り払ったまさみがぎろっと睨みつけると、渋々万歳の恰好で諸手を上げた原田がため息をついた。

「ひどいねぇ。これでも俺はまさみちゃんの危機を救ったヒーローだぜ?」

―― そんな俺に冷たいよなぁ

ぶつぶつとぼやく原田に、まさみが一瞬、今の状況を忘れて怒鳴りそうになる。気が短いわけではないが、原田のような社会人からするとからかわれているような気がしてくるのだ。
割り込んでくる声が無かったら、そのまま、まさみは言いたいことをぶつけて立ち去っていたかもしれない。

「おい」

見るからに高そうなスーツに身を包んだ土方が三人の背後に腕を組んで立っていた。声をかけられた原田が飛び上がる。

「うぉっ!」
「お前、そんなに暇なのか?」

原田が妙にじゃれていると思って、様子を見ていたが、話しかけている相手がスタッフジャンパーを着ているところを見た土方は、アルバイトだとわかった時点で足を向けていた。

「アルバイトにコナかけてる暇があったらお前はお前の仕事をしろ!」
「ちぇっ。ちょっとくらいは見逃してほしかったぜ。土方さん」

じゃあね、と片手をあげた原田は見事な引き際であっという間に姿を消した。ふん、と苦々しい顔をした土方は、呆然としていた未生とまさみに気づいて、くいっと顎を引いてみせる。

「アルバイトの仕事はむこう。説明を受けてると思うが?」

はっと、顔を見合わせたまさみと未生は、とりあえずぺこりと頭を下げるとその場から離れかけた。その背に、ぼそっと土方の一言が聞こえてきた。

「これだからバイトは……」

むかっ。

その一言を聞き逃さなかった未生は、くるっと後ろを振り返ると恐ろしく早足で土方の前へと戻った。

「あの!その言い方失礼です。そちらの社員の方に呼び止められていたのは私達の方です!」

負けず嫌い。そう顔に書いてありそうな未生の黒くて大きな目が強く土方を睨んでいた。
社会人であればこそ、土方に向かってそんな風に言い返してくるような者はほとんどいない。

この一回りも下に見える小娘が噛みついてきたことに、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。

– 続く –