花びらから雫 1

〜はじめのお詫び〜
リクエストが多かったので、バレンタインの後です。
BGM:都はるみ 愛は花 君はその種子
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総司の生活の中でまず必要がなくて、理子と住むようになって、家の中に増えたもの。

「これかな」

透明でシンプルな花瓶を持ってきた理子がバラの花を生けている。洗面所で、下のほうの葉を落として、棘も折ってしまうと水を張った洗面の中で斜めに茎を切り落とす。
全部の茎をきれいに切ってしまうと、手を拭いてライターを手にした。1本1本、茎を火であぶって水を入れた花瓶に入れていく。

すべてを仕上げると、周りを片付けて何本か花をいじってバランスを整えた。

外側に付いた水滴を拭いて、花瓶を手に持ってから困ってしまった。

―― どこに置こう

仕事柄、花束をもらうことが多く、その時によって、玄関であったり、リビングに飾っていたのだがこれはどうしたものかと手が止まった。

雪がたくさん降り出したために、早めに切り上げられたリハの場所に総司が迎えに現れて、驚きながらも理子が帰り支度を急いでコートを取りに戻った。
元々、早めに終わったら待ち合わせて帰るはずだったが、こうして迎えに来てくれるのが嬉しい。ふと、総司がその手に紙袋に入った花束を持っているのに理子が気づくと、気恥ずかしそうに貰い物でごめんなさい、と渡された。

「これ、可愛い。赤いバラだけど、こういう風にまあるい花束ってブーケみたい」

普通の人よりは、花束を貰うことに慣れているとはいえ、花を貰えば嬉しい。赤いバラのみというのも逆に新鮮で、紙袋の中を覗きこんだ。

「んん、ちょっと……、人に貰ったんですよ」

その場では言い難そうにしている様子をみて、理子は総司の腕を取って歩き出した。確かに、その場ではスタッフ達もまだ残っている。外はまだたくさん雪が降っていて、足元もどんどん悪くなっていた。
本当は、どこかで食事でもして帰るつもりだったがこの天気ではそれも迷ってしまう。

「どうしたいですか?帰るのが遅くなっても構わないなら、このままどこかで食べて帰ってもいいし」
「そう…うん、でも、お花持ってるから帰りましょうか。私が作るのでよかったら」
「作ってくれるものに嫌だって言ったことないでしょう?」

結局、タクシーもこの状況では難しいだろうと、電車で帰ることにした。帰りながら、ぽつぽつと久しぶりに偶然、人に会ったのだと総司が話し始めた。

「本当に、すごい久しぶりで……。どのくらい前かな。もう、5、6年くらいなるかもしれないですけど。貴女を迎えに行くにはちょっと早かったので、あそこの駅の処でコーヒーを飲んだんですよ」

場所を言えば、理子にもその店はわかる。頷いて続きを促した。

「で、帰りがけに貴女にってこれを貰って、ですね」

確かに、今も野暮天だという部分はある。でも、昔よりも大人で、女であるからその歯切れの悪さにぴんとくるものがある。じっと話をする総司の顔を見ていた理子が、すっと視線を周りにむけた。
表情を変えずに、うん、と頷く。

「昔と、変わったって言われました?」
「……?!」
「言われたんですね?」

わかりやすいなぁ、と呟いて、理子が苦笑いを浮かべる。まるで見ていたかのように言う理子に、総司のほうが降参した。ため息をついて、やはり話さない方がよかったかも、知れないと思う。

「……言われました。なんでわかったんです?」
「……秘密」

それから、天気と雪の影響で遅れた電車の話をしながら家に帰った後、しばらくはその花束が紙袋ごと部屋の隅に置き去られた。

「温かいと全部開いちゃうし、生けるのに時間かかっちゃうから」

そういって後回しにしたバラを生け終わって、理子は花瓶の置き場に悩んでいたのである。結局、リビングのいつも花があるときに花瓶を置いている場所にそれを置くことにした。
気にしていたらしい総司が、ちらっと視線を走らせたのを見なかったことにして、理子はパタパタとあちこちの片付けを済ませていった。

その間に、総司はリビングの隅にあるテーブルの上に、仕事の譜面やらを広げていた。

一通り、やるべきことを終わらせると、自分の部屋からバレンタイン用に買っておいたチョコレートとネクタイの包みを持ってきた。
結局、未だに部屋の荷物を移動させずにいたために、隠し場所に困ることはなかったが、少しだけ複雑な思いを無理矢理考えないようにして、総司の処へ行くと、目の前に差し出した。

「お仕事してるところを邪魔するようだけど……」

テーブルの上に譜面とメモを広げていた総司は、手にしていたものを置いて受け取った。

「あけても?」

おどけた問いかけに頷きが返るのを待って、紙袋から中身を取り出した。スーツ姿の多い総司だけにネクタイもそれなりに持っているが、それだけに理子が気を遣って、いくらあっても困らない物を選んだのだろう。

「いいですね。今持っているスーツに合わせやすいですよ。ありがとう」
「無難でごめんなさい」
「どうして?嬉しいですよ」

箱からすぐに取り出してしまうと、包みは箱と共に紙袋に戻した。紙袋に残っていたチョコレートを取り出す。
パッケージを見て、くすっと笑った。

「猫?」
「デメルの……私はここのミントのが好きなんだけど、甘いのが好きでしょう?」
「そうですけど、貴女が好きなのも食べてみたいですね」

すすっと箱を開けると、すぐに1枚取り出して口に入れた。包みをそれぞれ、手元で片付けながらそれを見ていた理子は、コーヒーを入れに立ち上がった。

「うん。美味しいです。ありがとう。理子も食べませんか?」
「コーヒー入れてからいただきます」

中に入っている案内の紙を読みながら、すぐにもう一枚に手が伸びる。
嬉しそうに食べる姿に少しだけ、理子のもやっとした気持ちが和らぐ。コーヒーメーカーの立てるこぽこぽという音を聞きながら、聞きたくて、聞けない自分が 少しだけ情けなくなって、軽く頭を振ると、マグカップにお湯を入れて暖めた。静かになったコーヒーメーカーからポットを取り上げると、カップに注いで、総 司の処へ持っていくとチョコレートの箱にはしっかり隙間ができていた。

仕事のものを広げているところなので、少し離したところにカップを置くと、理子の手を総司が掴んだ。

「一緒に食べません?」

もう一度繰り返した総司に、理子は口元だけで笑みを作ると、今はいいです、と言って引き寄せられた腕を離した。

「私もちょっと読みたいのがあるから部屋にいますね。先に休んでくれて構わないから」

―― 私も向こうで寝ちゃうかもしれないし

笑顔を浮かべてはいるものの、どこかよそよそしい空気にそれ以上、総司は引き止め切れない。自分も仕事を広げているのもあって、わかりました、と答えると、理子がリビングを出る間際にごく、自然な動きで先程置いたばかりの花瓶を手にして部屋を出て行った。

バレンタインなのに、としょんぼり肩を落としていた総司はその瞬間を見損ねていた。
しばらくして、仕事を片付けた総司が風呂から出てきたときに、そこに先程まであったはずの物がないことに気づいて、そこに理子がいるわけでもないのに思わず部屋のほうを振り返ってしまった。

「うわ……。やっぱりまずかった、ですよね」

妙によそよそしい空気の理由をようやく理解した総司は、頭を抱えそうになった。こればかりは仕方がないと思って、後は明日にでも理子に謝るしかない。
ため息しかでないまま、キッチンからグラスと氷を取ってくると、酒の瓶ごと抱えて自分の部屋へ入った。

 

 

– 続く –