花火~1

首元を流れる汗に、理子はタオルハンカチを取り出した。

「はぁ。暑い……」

乗り換えのホームで理子はバッグからマグボトルを取り出した。汗が流れるような暑さで、浴衣の裏側にはガーゼのタオルを当てている。
昼間の仕事を終えて、そのままちょうどいいからと着替えずに待ち合わせに向かう。

夏休みということもあって、昼間のイベントが多いのがここしばらくである。そして、浴衣姿でのイベントで何曲か、歌う仕事を終えて総司との待ち合わせに向かうところだ。

肩までの髪は片側だけを止めている。ここ何年かはずっとこんな髪だ。

待ち合わせの駅をでてすぐ、総司との待ち合わせのはずだが、携帯をもってきょろきょろしてしまう。

『どのへんにいます?』
『つきました?わかるかな……』

浅草寺の駅は地上に出ても浅草寺につくまでに、ルートがたくさんあって迷ってしまう。出てすぐが歩道なので、立ち止まるわけにもいかず、、流されるままに歩き出す。

SNSでの返事をじりじりと待っていると、通りすがりにぐいっと腕を掴まれた。

「なっ……」
「理子!」

いきなり腕を掴まれて、身構えた理子は振り返った先にほっとした顔の総司をみてへたり込みそうになった。

「よかった。あなた、出口をむこうだって言ったのに間違えたでしょう?一番近い出口から出てくれればよかったのに」

肘に手を添えて、総司は理子を支えた。下駄ばきだから余計に危ないと思ったのか、帯の下に手を添えて人の流れから遮る。

「……びっくりした。言ってくれればよかったのに」
「声をかける前に携帯見ながら先に行こうとするからですよ」

どん、と総司の背に人の流れがぶつかって、そろってそちらを見て、避けるように歩き出す。
学校からまっすぐに来た総司は普通のスーツ姿でネクタイだけしていない。ジャケットを手にしているくらいでビジネスバックもそのままだが、理子は今日の仕事から浴衣だからまるで家から来たようにも見える。

「家に帰ったんですか?」
「あ、いえ。まっすぐにきましたよ。だからこんなに荷物が多いんです。そうじゃなきゃ、巾着一つで済むようにしてますよ」

総司よりも家を出るのが遅かったので、この姿は初めてだ。
何度も振り返る総司に何かおかしいのかと、眉間にしわを寄せた理子が首を傾げた。

「なにか?」
「あ……。いや、その、新しい奴かなって……」
「ああ、浴衣ですか?ええ。これは新しい奴ですよ。ほかの方とのバランスもあるので、それほど高くない奴ですけど、新調しちゃいました」

ごほん、と口元に手を当てて咳払いした総司が理子の手を握った。

「……総司さん?」
「あの……、よく、似合ってますよ」
「……え。まさか照れてます?」

理子と一緒になって、だいぶ昔のろくでなし時代のことは忘れてしまったようで、昔はさらりと口にすれば嫌味か、よほど遊んでいるのかどちらかということを平気で口にする人だったのに、今ではこれだ。
繋いでいない方の手で暑いですね、と顔を拭うのも照れ隠しだとわかってしまう。

「馬鹿ですねぇ」

苦笑いを浮かべてつないだ手を引くと、もう片方の手で総司の腕につかまった。

「はぐれないようにですからね?」
「……そんなに嬉しがらせないでください」
「え?」
「いえいえ。急ぎましょう。いい場所から見られませんよ」

初めて、大きな花火大会を見に行こう、と言い出したのは総司のほうだ。
人混みにわざわざ出かけるのを嫌がっていたのは総司だったはずなのに、最近は総司のほうがいろんなところへと誘い出すことが多い。

「すごい人ですねぇ。休みの日に浅草寺にきてもこんなにひどくないと思うのに」
「総司さん、私たちの休みの日って世の中の平日が多いって知ってます?」
「ああ……。そうでしたね」

気の抜けた返事を返す総司に理子は笑い出した。理子の手から荷物を受け取ると、総司は周囲の屋台や店をあれこれと理子に話し始めた。

「揚げ饅頭はどうです?あ、キュウリとか」
「いきなりそれですか?」

参道の両脇に店が並ぶ。大きな提灯の下をくぐってすぐなのに、どこかの店に立ち寄ろうとする。

「だめですか?久しぶりにきたし、いいじゃないですか」
「総司さん、食べ物ばっかり」
「夕飯もまだなわけだし。おいしいものを食べるとテンションあがるでしょう?」

二人がまだ境内まで入る前に、どん、と音と衝撃が響いてくる。

「あ、始まっちゃった」
「急ぎましょう」

手をつないで人込みを足早にすり抜ける。その間も、どどん、という花火の音がして音のする方へと周りにいた人たちも目を向けた。

「きれい……!」
「ええ。ほんとうに」

思わず上げた声に総司がぎゅっと手を握って、応える。

「一緒に、二人で見られてよかった……」

結婚して、四年。
あの頃の総司が子供好きで、その手にできなかったこともあって、理子はどうしても総司の子供を望んでいた。

ぎゅっと総司の腕をつかんだ理子はその肩に頭を寄せる。

「先生。もう、……気にしなくてもいいですよ」
「気にしてなんかいませんよ。ただ、本当にそう思ったんです。あなたと二人で、これからもたくさん、こうして」

当たり前だと思い込んでいた未来は、愛おしんで過ごす時間のあと、少しの不安との揺らぎの後、ひどく難しいのだと知った。