心の真ん中へ 6

〜はじめのつぶやき〜
お待たせしちゃってすみません。
BGM:Metis  梅はさいたか 桜はまだかいな
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「私は、大学に入ってやっと束縛から自由になれたんです。それは姉さんも同じでしょう?」
「確かにそうだけど、私は総ちゃんみたいに正面からぶつかったりしなかったもの。父さんの期待も、総ちゃんとは違ったしね」

苦々しく顔を上げた総司は、頭を抱えてベッドに倒れこんだ。
美貴も、同じように父の厳格さにはずいぶん苦労はした。だが、昌信からすれば女の子であり、よほどとんでもないことをしなければ、総司のような目には合うことなく、大学も自宅から通った。
バイトなどで幾度か昌信から厳しいことは言われたが、総司よりはうまく立ち回ったのは確かだ。結果、職場で出会った公務員と一緒になっており、昌信にとっては大歓迎な相手だったといえる。

「私は、仕事も民間企業でも官公庁に出入りの大きな会社だったし、うちの旦那は公務員だから。父さんからすれば理解しやすい相手なのよ。総ちゃん達は9時5時の仕事じゃないでしょ?」
「そんなことが理由ですか?」

今の自分の仕事が、確かに会社員よりは不安定かもしれないが、それでも決して不安定な仕事ではないと思っている。理子にしても、歌い手としてどんど ん磨きがかかっている今、仕事は増える一方だ。それは人気という裏付けもあるくらいだが、確かに会社員や教員などの時間の決まったサラリーマンとは全く違 う世界ということも頭では理解している。

父にそれを理解しろといっても難しいのは十分承知しているが、あれは仕事だけではなく、完全に総司のすべてを否定しているように思えた。

ちらりと時計に目を走らせた美貴は、ため息をついて立ち上がった。

「もう遊びに出ている子供たちが帰ってくるわ。総司おじちゃんと遊びたがると思うけど?」
「帰りますよ。とにかく家に帰ります」
「そう。どうするのよ?」
「謝って、まずは彼女と話し合ってから考えます」
「じゃあ、あたしの連絡先、神谷さんにも伝えておいて。いつでも力になるからって」

横になったまま総司は頷いた。ポケットから取り出した携帯が夕方を示している。

「……?」

ふと、メール着信のメッセージに携帯を開くと、理子からのメールだった。

『急に帰ってごめんなさい。でも、久しぶりにおうちに帰ったのならちゃんとおうちでご家族の方と一緒にご飯食べてきてくださいね。お姉さんのお子さんたちも久々ですよね。
私は大丈夫です。あとでゆっくり相談しましょう 』

―― 本当は、傷ついてきっと泣いているだろうに

「姉さん」

部屋から出て行こうとした美貴を呼び止めて、開いたままの携帯を渡した。怪訝な顔で受け取った美貴は、苦笑いを浮かべた。

「ま、なんていうの?総ちゃんが選んだ相手だけあるわよ。母さんに総ちゃんの分もご飯いるって言っておくわね」
「……お願いします」

ひらりと手を振って美貴は部屋から出て行った。総司は起き上がると、テレビボードの引き出しから煙草の箱を取り出すと、灰皿を手にして窓を開けた。前に来た時のものだから、随分日が経ってまずくなっている煙草に火をつける。

やはりというか、当然のまずさに眉を顰めながら、窓の外の景色に目を向けた。

 

 

家に近い駅で電車を降りた後、ホームの端で総司にむかってメールを打った。ようやく落ち着きを取り戻して深く息を吸い込んだ。
排気ガスに混ざって夏の夕方の匂いがする。

ぼんやりと街を眺めていた理子の携帯がなった。

『俺だ』
「はい。大丈夫ですよ。今、家の近くの駅です」
『……一人なのか?』
「……どうしてですか?」
『あいつがいれば必ずわかるからな。大丈夫なのか?』

電話の向こうで、心配して仕事の合間にかけてきた斉藤の声が優しく響く。何も言わなくても、今日、総司の家に行ってることは伝えてあったので、今一人で理子がいることを聞けば、なにかしらのトラブルがあったと推測したらしい。

無理に作らなくても普通に明るい声がでた。

「大丈夫。ちょっと、先生とご家族の方との間で連絡がうまくなかったみたい。だから日を改めるだけ」
『なんだかな。戻ったらあいつに連絡をよこせと言っておいてくれ』
「またぁ……心配しすぎです」
『お前がどう思っていても俺はお前の保護者だが?』

きっと電話の向こうでしかめっ面をしている斉藤に苦笑いで了承すると、すぐに通話は切れた。
いい年だというのに、自分達だけでは済まないことが多くてため息が出る。それも大人だからこそなのかもしれない。
そう、自分自身に言い聞かせて理子は家に戻る。すぐにシャワーに直行して、汗と余計な何かをすべて洗い流して、濡れた髪をクリップでまとめた。

ピアノの前に座ると、蓋をしめたままで腕を枕にピアノに頭を乗せた。
瞬間的に、涙も出たし、動揺もしたけれど、思った以上に今は落ち着いている。

―― 大丈夫。絶対、もう離れない。大好きだし、大好きでいてくれるから。

総司の想いを疑うことなどこれっぽっちもない。だから揺るがないでいられる。
理子にとっては、もう今が幸せだから、いざとなれば結婚という形式に当てはまらなくてもいい気がしていた。

結婚という形があってもなくても、一緒にいることは変わらないのだから、いつか総司の家族が認める日が来たら考えればいい。それまでは、総司と総司の家族の問題があるならそれを解決する手助けをしよう。

不思議なことに、以前のように後ろ向きに思うことが少なくなったと思う。何があってもきっと大丈夫だと思えてくる。自分と総司に何かがあったとしても、斉藤や藤堂、歳也達が必ず何か力を貸してくれる。

だから大丈夫。

体を起こした理子は、蓋を開けて鍵盤の上に指を置いた。好きな曲、思いつく曲を次々と引きながら、口づさむ。あの頃と多くのことが変わって、自分達も決して同じではないはずなのに、こうして家族という形やそれに向き合うことだけはまだ不得手らしい。
それも今二人が一緒にいられるからのことなのだ。

 

甥っ子達と散々遊んで、子供達が寝てしまうと総司は昌信の部屋をノックした。

「父さん」
「なんだ」

背を向けたままで昌信が応じる。壁一面に積み上げられた専門書や資料が相変わらず山積みになっている。
部屋に足を踏み入れることなく、その場に立ったまま総司は話を続けた。

「筋が通ってないと言うなら筋を通すよ。改めて連絡するから時間をとってください。私は神谷さんと一緒になります」

総司に背中を向けていた昌信が顔を上げて振り返った。眼鏡を外した昌信は、やはり親子だけあってどことなく総司と似ている。

「時間を取るのは構わないが、私の考えは変わらない。私は今のお前が、水商売に毛が生えたような仕事をしている相手と一緒になろうとしているようにしか思えないから、反対するぞ」
「父さんこそ、きちんと筋の通った理由を教えてくださいよ。仕事だけが問題には聞こえないんですけど?」

昼間よりはだいぶ冷静に話す総司に、背後のリビングにいる美津も総司の後姿に顔を上げた。
長年の積み上がったものは、たとえ総司がほんの少し歩み寄ったくらいではなかなか近づきはしない。これまでにない総司の態度に思うところはあったが、昌信は答えをはぐらかした。

「そんなこともわからないようだから、結婚なんて甘いといってるんだ」
「私は、自分なりに歩み寄ってるつもりです。それでもあなたは答えてくれないんですね?」
「いいから、お前は進められた普通の仕事をしている娘さんと見合いをしなさい。日時と場所は写真の封筒にメモが入ってる」
「お断りします。会っても私は神谷さん以外の人と一緒になるつもりはありませんから相手の方に失礼になります」

背後から美津が茶色の封筒を手に総司の傍に近づいた。

 

 

– 続く –