白き梅綻ぶ 7

〜はじめの一言〜
弱い子と強い子の違いがありますねぇ
BGM:Metis   梅は咲いたか 桜はまだかいな
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月が赤い。

牧野は絶望的な思いで空を見上げていた。その手には馴染みの妓の簪が握られていた。梅花屋の小夏は牧野とは二年になる。客と妓の関係ではあったが、いつかの身請けの約束をしていた。その小夏は客の座敷に上がった後、姿を消した。

屯所に届けられたご存じより、という文に小夏からだと思って、呼び出しに応じて向かった先に待ち構えていたのは浪士四人だった。貸座敷の中で囲まれ た牧野は、もとより三番隊の中では腕が立つ方ではない。その分、隊の中のことに心配りが効く男だったために斎藤も相応に細かい雑務などの際は牧野を手伝わ せていた。

「三番隊の牧野殿」
「これよりはわれわれの指示のもと動いていただく」
「逆らえば、懇意にされていた小夏は生きては戻らん」

その足もとに放り出す様に投げられた簪は、いつか牧野が贈ったもので小夏が大事に大事にしていたものだ。牧野は自分の剣の実力を分かっているし、敵の実力がそれをはるかに上回っていることも充分に分かっている。
がくりと膝をついた牧野は簪を掴んだ。

「わ……、私に何をさせたいんですか……?」
「一つ。これより新撰組屯所内に捕縛された浪士が出た場合、隙をついて逃がすこと」
「そ、そんな大それたことできませんよ!!捕縛された者達は皆蔵に込められるし、鍵は副長の元にあるんですよ?!絶対に無理です!!」
「そんなことはないだろう」

その中の一人がにやりと笑った。男たちは皆、浪人体ではあっても着ているものもしっかりしたそれなりのものでこざっぱりとしている。にもかかわらず、その佇まいは明らかに並の浪人ではない。
口元だけが笑った男は、牧野の前に屈みこんだ。

「貴様は手先が器用だというではないか。隊の中の修理などはもとより、鍵の壊れた小箱を細い金具一つで開けたことがあるだろう。その腕があれば鍵などなくても蔵の鍵をあけられるのではないか?」

ぎくっと簪をもつ牧野の手が震えた。なぜそんなことを知っているのだと、背筋に冷たい汗が流れる。確かに、隊で使われているものは、無骨で頑丈なも のではあるが、仕組みとしては簡素な鍵を使用しており、以前から牧野はもっと繊細かつ堅牢なものに変えるべきだと主張していた。
しかし、屯所の中で蔵を破ろうとする者などあり得ないということで進言は聞き入れられなかった。

牧野は実際にはやってはいないがあの程度の鍵なら金具があれば開けられる。

「な、なぜそんなことを知ってるんですか!」
「そんなことは貴様は知らなくてもよい。二つ目。他の隊のものでもよい。腕が立って、身内が居る者、幹部の覚えのめでたい者はいるか」
「そんな……そんなこと……」
「誰がいる。答えろ」
「同士を売るなんてできません!!」
「じゃあ、終わりだ」

目の前で終わりを告げた男が立ち上がると、はっと牧野は我に返った。

―― 小夏が

ぎゅっと簪を握りしめた牧野は、しばらくして震える声で小さくつぶやいた。

「……二番隊の……佐々木、蔵之介。隊内では少ない妻帯者……」
「妻の名は?どこにいる?」
「屯所に近くに……タエ殿は仕立て物をしていて……、呉服問屋によく出入りをしている……」

屈みこんでいた男が立ち上がる。一番出入り口に近かった者が貸座敷を出た。初めに口を開いた者がもう一度口を開いた。

「上出来だ。一つ目の言いつけを守れ。分かっているだろうが他言無用だ。先ほどの佐々木という者にも何かを言ういことは許さない。それを破ればどうなるかわかるな?」

顔を上げた牧野は答えることもできずにただ、男の顔を見ていた。目に入っているのに四人の顔形を覚えることができなかった。
顔や姿ではないのだ。その身に纏う気配が、牧野を怯えさせた。

牧野をそのままに貸座敷から男達は出て行った。残された牧野は、自分に残された選択肢などないことを噛みしめた。

 

屯所に戻った牧野は、どうしようもない己の無力さを感じていた。力も腕もある新撰組の同士達より、なんの罪もなくこんな目にあわされた小夏を助けたい。

ただ、佐々木にだけは済まないと思っている。佐々木だけでなく、佐々木の妻女をも牧野のせいで危険にさらすことになったのだ。

佐々木の姿をみて堪え切れずに声をかけてしまった。愚かなことだと思ったが、言わずにはいられなかった。これから家に帰った後に佐々木が、自分と同じ想いを抱えることになることが唯一牧野の救いだった。

一人ではない。

 

 

貸座敷から一足先に出て行った男は、すぐにいくつかの呉服問屋を回った。屯所の近くの呉服問屋をあたると、すぐに佐々木の家は分かった。タエは腕が良いために回った呉服問屋のほとんどで聞き込みできた。

男は佐々木の家の玄関を開けた。

「旦那様?」

奥から顔を出したタエは来客であることに気づくとすぐに奥から出てきて玄関先で手をついた。

「失礼いたしました。どちらさまでしょうか?」
「新撰組、二番隊の佐々木殿の妻女殿でしょうか」
「はい、タエと申しますが……。夫の身に何か?!」

タエの元に、新撰組の隊士として人が現れるとすれば、夫の身に何かが起こった時だとタエは思っていた。夫の身に何かが起こったので、知らせが来たのかと。
男は動揺もせずに頷いた。

「はい、巡察に出た際に佐々木殿が負傷されまして。よろしければ同道いただけないでしょうか」
「もちろんでございます。夫はどこにおりますでしょうか」
「町屋の医家に運ばれております。さ、お急ぎください」

男の行動の素早さには驚くべきものがある。四人の男たちはとても頭が切れると言えよう。牧野をその網に捉えてから一刻しかたっていない。彼等の牙を剥いた顎の上に、佐々木もその首を差し出そうとしていた。

タエはすぐに立ちあがって、男の傍らに立った。

「すぐに同道させてくださいませ」
「こちらへ」
「はい。あ、貴方様は?」
「新撰組隊士、市川と申します」
「市川殿ですね。お手数をおかけして申し訳ございません」

そのままタエの姿は佐々木の家から消えた。
佐々木が家に戻りタエが連れ去られたことを知るのはそれから二刻の時間を要する。一番隊、三番隊に続き、二番隊もこうして、浪士達の張った糸に絡めとられていた。

佐々木が、ようやく玄関先から家の中に戻り、眠ることもできずにタエの夜着を握りしめていた頃。三番隊の巡察に同行していたセイは、不逞浪士の集団と斬り合いになり、相手方の一人が斬りかかったセイを橋の上から突き飛ばした。

低い欄干を超えて、セイの小柄な体は宙を舞う。花びらの如く舞った姿は、水嵩の少ない川面に叩きつけられる。その瞬間を目撃していたにも関わらず、後方にいた牧野は青ざめた顔のまま、誰にも目撃したことを報告しなかった。

短い夜の頭上には、血を流したような真っ赤な月が浮かんでいた。

 

 

– 続く –