白き梅綻ぶ 8

〜はじめの一言〜
蔵ちゃん、もうちょっといい子じゃなかったら違ったかもねぇ

BGM:AqureTimes  Velonica
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朝日が部屋の中に差し込んできた。

じっと動かなかった蔵之介がぴく、と動いた。

―― まるで夢を見ているようだ

ゆらりと立ち上がるとタエの夜着を衣紋掛けにかけた。
その衣紋にかけた夜着を前に座り込んでぼんやりと眺める。本当ならここにタエがいて温かな朝餉を口にしていたはずだ。

かちゃ。

傍に置いていた刀に手を伸ばした。その刀の重さが掌に深く沈みこむ。一晩繰り返し続けて、なぜだとか、どうしてという思いは底をついて全く頭の中にはこの部屋の中と同じくらいに何もなかった。刻み込まれた習慣と行動が蔵之介を支配する。

立ち上がった蔵之介は重い体を引きずって家を出た。そのころ、屯所では牧野が蔵を開けたことで浪士達が逃げ出し、騒ぎが起こっていた。
それは幸いというべきだったのだろうか。

おかげで蔵之介の憔悴ぶりに目を向ける者がいなかった。隊部屋に戻った蔵之介を見かけて永倉が声をかけてくる。

「佐々木、戻ったのか。いやあ、夕べは大騒ぎだったぜ。三番隊が巡察の最中に襲われてな。応援に一番隊が出動するわ、神谷が橋の上から落っこちて松 本法眼のところへかつぎこまれるわ、夜中に捕縛した連中がいつの間にか逃げ出すわ、上げ始めたら一晩で起こったとは思えねぇくらい盛りだくさんだ」
「そ……そうですか。大変でしたね」
「なんだよ。嫁に久しぶりに会ってぼけてんじゃねぇのか?しっかりしろよ。逃げた浪士の捕縛にまだあちこちでてるんだからよ」
「分かってます……。組長」

ほとんど条件反射と言っていいだろう。門脇の隊士も、他の隊士達も、挨拶して時には笑顔さえ見せながらどこかでその反応を他人事のように感じている自分がいる。片方で無様だと思い、片方で冷静すぎだと自分を責めている自分がいた。

そういえばと、あることを思い出した。昨日、家に戻る前にたしか、三番隊の牧野に話しかけられたのだった。意味も分からずに、聞き流してしまったが、あの時、牧野は詫びてはいなかったか。

荷物を置いた蔵之介は三番隊の隊部屋を覗いてみた。徹夜明けで隊部屋は静まり返り、皆寝静まっているように見える。これでは皆を叩き起こしでもしないと、どこに牧野がいるのかわからない。他の者達に知られることはできないのに。

ぎり、と唇を噛みしめて、隊部屋に戻る。これほどまでに、自分は弱い者だったか。一晩中悩み、繰り返し迷い、一時はタエを守ることを考え、一時は隊のためにタエを捨てる覚悟をした。だが結局こうして時間が過ぎて行くとどちらの思いも揺らいでしまう。

―― その時が来たら、自分はいったいどちらを選ぶのだろうか

 

「どういうことでしょう……。夫は……佐々木蔵之介はどこにおります?」
「佐々木殿はなんの障りもなく屯所においでになるでしょう」

連れてこられた町屋の中に入ったところで、そこには佐々木の姿はなかった。代わりに、どこぞの妓が縛られて座らされている。
背後に立つ男を振り返ることなく、タエは自分がとても危険な立場に身を置いたことを理解した。

懐の懐剣にゆっくりと手を伸ばしながら、じり、と足先を動かして距離を取ろうとしたその肩にあっさりと手が置かれて、タエは動きを止めた。

「止めた方がいい。我々は貴女を害そうとは今は思っていない。ただ、ここに人質としていて下さればよろしい」
「人質……とは誰に対してのものでしょう」
「ほう。佐々木殿の妻女殿は聡明な方のようだ。もちろん、貴方は佐々木殿に対しての人質です。そちらの妓はまた別の方のための人質です。他に質問は?」
「ここに、大人しくいればよいとおっしゃるのですか?」
「その通り」

タエは初めて男を振り返った。市川と名乗った男は佐々木よりも上背があるようだ。見上げたタエは見下ろしている男の眼を見て、男が偽りを言っているわけではないことを感じた。

「大人しくここにいてください。貴女方を同行しようとは今は思っていない。しかし、大人しくいられないのなら野良犬どもの中に放り出すかもしれませんよ」

タエの後ろで縛られている妓が猿轡をされたまま唸って、必死に首を振った。その眼はタエを向いており、先に捕えられていた者だけに何か知っているのだろう。タエはゆっくりと後に下がると妓の猿轡を外した。

「いけません、奥方様!彼等はまだしも、彼等の使っている者達は野良犬どころではありません!どうかここはその男の言うとおりにしていれば、とりあえずは大丈夫なのですから」
「ふむ。この妓のいうとおりです。この家の中にいる限りは、貴女方の拘束もなしにしましょう。ただし、不審な行動をとればすぐに縛ります。良いですね?」
「致し方ないでしょう」

男の言葉だけではなく、妓までが言うのを聞いてタエも仕方がないと妓を縛っている紐を外した。軟禁状態であっても、どこかで必ず好機は巡ってくるはずだ。

その様子をみてから男はその部屋のさらに奥の部屋をあけてそちらに二人を促した。タエは妓に手を貸して奥の部屋に入った。奥の部屋への出入り口はその襖のみ。明りとりなのか、欄間だけは隣の部屋の明かりを映しており、元々ついていた行燈の明りと共に部屋の中は暗くはない。

「私達はどのくらいここに?」
「二日、時間を与えました。少なくとも二日はここにいていただくことになるはずです。食事は後ほど運びますから、大人しくしていてください」

女子二人が足を踏み入れた背後で障子が、たん、と音を立てて閉められた。タエの手を借りていた妓が畳に手をついた。

「奥方様、お手をお借りして申し訳ありません」
「よいのです。貴女はいつからここに?」
「私は梅花屋の小夏と申します。昨夜、座敷に呼ばれた後からこちらに」
「そうですか。私は佐々木タエと申します」

向い会ったタエと小夏はとりあえず、互いの状況を教え合うことにした。聞いてみると、小夏は牧野という隊士の馴染みらしい。

「申し訳ございません。私はあの者たちの話を傍にいて聞いておりました。私ごときのために脅されて佐々木様と奥方様のことをお話してしまったのは牧野様なのです」
「貴女が詫びることではありませんよ。貴女も捕えられた身。牧野様も苦渋の選択を強いられたのでしょう」

タエは懐の懐剣を刀袋から取り出して直に帯に差した。心得などないタエであったが刀袋に入っていたのでは、いざというときにすぐに抜くことができない。

「奥様、大人しくしていれば、彼等は本当に私たちには何もしないと思います」

タエが懐剣を抜きやすいようにしたのを見て小夏は、まさかタエが自害するのでは、と慌てた。小夏が先に捕えられてから、傍で打ち合わせをしている男 たちの会話から、目的は屯所の襲撃ともうひとつ何かを企んでいることは分かっている。しかし、逆に自分達はそのための情報を得るためや罠を仕掛けるための 隊士を取り込むために人質になっている。

用がすめば彼等は本当に自分達を解放すると思えた。

「何故、そう思うのですか?小夏さん」
「私が捕まってから、私自身も遊里の女ですから、慰みものにされると思っていましたが、そんなことは一切なく、扱いも丁寧にしてくれています。先ほどは一 時、全員で出払うために縛られておりましたが、誰かがいるときはこの部屋に押し込められるだけで、自由にさせてもらっておりました」
「だとしても、いつどうなるかわからないではないですか」
「いいえ、このような目にあわされて置いて敵を信じるのはおかしいのかもしれませんが、そんなことをするならばとうの昔にやっているでしょう」

それは確かにそうだ。タエが何に対しての人質だと聞いたのもそれである。新撰組に対しての人質であれば自分達等では不足であるし、新撰組から自分達は見捨てられるだろう。タエは懐剣を握り締めて掴みやすいように繰り返しながら、小夏を見た。

「そうだとしても、いつどこに機会があるかわかりません。その時にはすぐに懐剣を引き抜くことができるようにしておきたいのです。決して私は諦めたわけではありませんよ」

女子が二人というのがよかったのかも知れない。お互いに強がりとはいえ、微笑み合うことでお互い気を落ち着けることができた気がする。
タエは部屋の中に用意されていた茶の道具から二人分の茶を入れた。

 

 

– 続く –