仏の霍乱 前編

〜はじめの一言〜
プチタラシ祭り?!ってかんじですね。今回は斎藤さんです。
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斎藤が馴染みになった安芸の元へ出向いてから、しばらくして酒を飲んでいた斎藤の傍で安芸が呟いた。

「斎藤先生、どこか具合でもお悪いんですか?」

いつもなら水のように酒を飲む斎藤だが、今日はゆっくりと舐めるように飲んでいる。店に現れた斎藤を見て、初めは随分疲れているような様子だと思っていたがどうも疲れているのとは様子が違うようだ。

手にしていた三味線を置いて安芸が斎藤に寄り添うと、いつも淡々と見つめる目がいつもより熱っぽい。

「そうか?どうにも今日は疲れているとは思うが」
「それでもお出でくださって嬉しいんですけど……」

口数が少ない斎藤だけに、その変化を見分けるのはなかなか難しいところだが、やはりいつもとは違う。安芸は斎藤の手に触れると、眉をひそめて斎藤の首筋に手を当てた。

「いやだ。斎藤先生、お酒なんて飲んでいる場合じゃありません。ひどく熱が高いじゃありませんか」

安芸が触れた首筋は、しっとりと汗ばんでいてひどく熱い。すぐに安芸は斎藤の手から盃を取り上げた。

「ふむ。そうなのか?いつもより少しばかり疲れやすいとは思ったのだがな」
「そんな可愛らしい熱じゃありませんよ?」

すぐに立ち上がると、安芸は階下に降りて店の者にあれこれと頼みごとをした。場所が場所だけに床の支度はあるが、まずは桶に冷たい水と手拭だ。

部屋に戻った安芸は、ぼうっと座っている斎藤を促して身に着けていた着物を脱がせた。襦袢をと思ったが、この分ではたくさん汗をかくかもしれないと思い、下から浴衣も借りてきた。

「そう言われるといくらか寒気がするようだ」
「そんな呑気なことをおっしゃって。本当はもっと前から寒気がしていたはずですよ」
「そうだったかな。元々余り風邪もひかん方だからよくわからん」

呑気にそんなことをいうが、斎藤の場合、風邪をひいていても咳が止まらないなどの症状でなければ、腹を下しただけ、汗をかきやすいだけ、疲れやすいだけ、とすべて受け流してしまっていそうだ。

手早く斎藤を着替えさせた安芸は、すぐに斎藤を床に押し込んでその額に冷たく絞った手拭を乗せた。

「いかがです?」
「ああ。気持ちいいな」
「もう。もっと早くに気がつかなくて申し訳ありません」

斎藤がこういう性格なのは十分に弁えている。安芸は、自分が斎藤の異常に気付くのが遅かったことを恥じた。
申し訳なさそうに頭を下げる安芸に、斎藤は不思議そうな顔でその手を掴んだ。

「なぜお前が謝る?」
「だって、斎藤先生の体調くらい見抜けないなんて……」

安芸の顔に浮かんだのは悔しさなのか、心配なのかよくわからなかった。
仕事柄人の顔色を見ることに慣れているはずなのに、見抜けなかった自分に腹を立てているのか、体調の悪さを口にしてくれない斎藤への腹立ちなのか、馴染んだつもりでまだまだ距離のある自分達の間が悔しいのか。

女中が現れて、白湯と風邪の頓服を持ってきた。代わりに酒肴の支度を下げて行き、後で粥でも炊きますんで、と言い置いて行った。

薬の包を開くと、斎藤の傍に戻って安芸が斎藤の口に苦そうな薬を差しいれた。案の定、舌の上に乗せられた大量の粉薬の苦さに斎藤が顔をしかめた。
あまりの苦さに起きあがって、安芸の手から白湯の入った湯呑を受け取ると一息に飲み干した。

「良薬は口に苦しというが……」
「お薬も飲まないでこんなに高いお熱を下げようだなんてあんまりにも無謀ですよ」
「そういうものか」

これがセイの体調なら自分よりも気にかかり、熱を出していればその按配も気になるところだが、自分になると途端に興味が薄れるのか、自分が今それほどひどい状態で薬を飲んでいる自覚が全くない。
今は安芸に言われるがままに着替えて薬も飲んだが、定刻になれば着替えて屯所に戻るつもりだった。

「すまんが、時間になったら」
「いけません」

時間になったら起こしてくれ、と言いかけた斎藤の言葉を安芸が遮った。滅多に見せない険しい顔で安芸が睨んでいた。

「屯所の方へは先程使いを出させていただきました。斎藤先生が具合を悪くされてるのでお休みいただいてますって」

手際のよいことに、先程階下に降りたついでに安芸は屯所へ向けて使いを走らせていた。斎藤の熱がただ事ではないくらい高いということもあって、すぐに帰れない場合のためにその状況を知らせていたのだ。

「いつの間に……」
「どなたにお知らせするのが一番いいのかわかりませんでしたので、神谷さんと土方副長様宛に言付けを頼みましたの」

謙虚に言いながらも誰に向けて知らせるべきか、安芸がわからないはずはない。それが安芸と言う女の本当の仕事でもある。

「土方副長だけでなく、神谷にも言付けるのは余計だと思うが」
「本当にそう言ってらっしゃいます?」

表向きに言えば、セイは隊の中では医師代わりの顔を持つ。そして斎藤にとっては、想い人でもある。
安芸と斎藤は互いに本当に想う相手がいて、その相手にかなわぬ想いを抱えているからこその馴染みになった大人同士なのだ。

「ならば、誰に言付けるかわからないなどと言わねばよいのだ。お前が知らぬことなどないだろうに」
「具合の悪い時でもその口の悪さはちぃとも変わらないんですね」

花街の女であると同時に、その街に集まる秘密を一手に引き受けて、必要な情報を必要な相手に渡す。それが安芸の本当の仕事の顔だ。

言葉遊びのような会話にも疲れた斎藤は冷えた手拭の心地よさに目を閉じた。確かに横になれば瞼が重く、全身がだるかった。

「先程は寒く感じたが、今は熱いな」
「汗をかかれたらその熱も下がりますよ。どうぞ少しお休みになってくださいませ」

まるで内儀のような口ぶりにも聞こえることを安芸は口にして、手拭を裏返した。汗ばんだ斎藤の首筋に、冷えた手を添えると斎藤の口から熱を吐き出すようなため息が漏れて、少しすると寝息に変わる。

「本当に弱いところを見せるのがお嫌いだから仕方ないお人」

斎藤が店に来たのは割合に早い時間だったために、これから少なくとも、門限の時間までは眠れるだろう。

そのあとの事は知らせを受けたセイや土方の出方待ちになる。 その頃、揚屋の下働きの男の知らせを受けたセイは、すぐに土方の部屋へ向かっていた。

「副長、失礼します」
「なんだ」

忙しい処に現れたセイを不機嫌そうに迎えた土方は、じろりと一瞥をくれただけで全身から用件を早く言え、という雰囲気が伝わってくる。

セイは、いましがた知らせを受けた事を土方に告げた。

「揚屋の小者から知らせが来まして、斎藤先生が出先で体調を崩されたようです。なんでも熱がひどく高いとかで」
「斎藤が?」

セイのいうことに顔を上げた土方は振り返ってセイの顔を見た。

「斎藤がどうしたって?」
「ですから!」

斎藤の体調が悪いなどと珍しい出来事にセイも驚いていたのか、苛々とした口調で同じ話を繰り返した。

 

– 続く –