ほんの些細な出来事 4

〜はじめの一言〜
今回は兄上に軍配かなぁ?

BGM:嵐 One Love
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

「沖田先生」

ひょいっと手を伸ばしたセイは総司の口元に薄らついていた食べかすを指先で拭った。それをぺろりと舐めると再び笑う。

「私こそ、先生が笑っているところを見ると、元気になります」
「神谷さん……」
「ご心配かけてすみませんでした。これ、また明日一緒にいただいてもいいですか?」

山盛りの甘味を指してセイがそういうと、もちろんだと総司が頷く。ひょいっと抱え上げたセイは自分の湯呑を持つと、立ち上がった。

「もうすぐ夕餉になりますし、これ、片付けておきますね」
「ええ」

にこりと笑ったセイが風呂敷を抱えて賄へと去っていくのを見送った総司は、少しだけつまらなそうに茶をすすった。

やはりおかしい。いつもならもう少しと言って、総司の傍にいるはずのせいだが、さっさと片付けに向かってしまったし、どことなく反応も違う。

「……甘味じゃだめですかねぇ」

ぽつりとつぶやいた総司は、少し間をあけてから立ち上がった。

 

 

夜遅くになって、そっと隊部屋を抜け出したセイは、広い廊下を静かに歩き出した。
幅広の磨きられた床板を歩いて、大階段近くの濡れ縁に座り込む。

こうして考え事をするにはやはり夜が向いている。

「うぷ……」

夕餉の後に総司が買ってきた菓子を食べすぎてしまった。腹が重い。ため息をついたセイの背後から頭を掴む手が落ちてきた。

「お前はよくよく夜中に動き回るな」
「兄上!」

顔を上げたセイの隣にすとんと斉藤が腰を下ろした。屈み込んだ足元を眺めた斉藤は大きく息を吸い込んだ。
身近に感じるセイの香りを吸い込むと、斉藤にとっては心が落ち着くと同時に暖かく浮き立ってくる。

「……笑わんそうだな」
「……どうして」
「あの野暮天が気にしている。……俺もだが」

小さく付け足した斉藤は隣にいるセイの顔を見ようとはせずに、座り込んだ膝の上に両肘を乗せた。

「何を思い悩んでいる?」

総司のように、顔をつきあわせて迫ってこない分だけ、セイにとっては気が楽でもあった。ただ、隣に座って、傍にいるだけで胸の内が静まってくる。

「……すごく、正しいことを言われても素直に聞くことができないんです。本当に……きっとそれが正しいことを言ってるのだと私も思うんです。でも……」
「……谷殿か」

事あるごとにセイは谷に目をつけられていたことは斉藤もわかっていた。谷の言わんとすることはいちいちもっともではあるが、鼻につくことはこの上ない。
斉藤自身もその出すぎともいえる態度に困ったことがあった。

「確かに、谷殿は困ったところがある。だが、間違ったことは言わない人だ」
「ええ。それはよくわかっているんです」

セイ自身もよく、よくわかっている。至らない点も、未熟な自分も。
それでも、それを目の前に突き付けられて平気ではいられない。

『そなたが未熟であれば同じように組長である沖田殿も未熟ということだな』
『仮にも一番隊にお前のような子供がいることで笑いものにならんようにせいぜい気張ることだな』

谷に目をつけられない様にすることが本意ではないことはよくわかっている。それでも、普段以上に心を張りつめていれば、疲れもするし、笑いもでなくなる。

「私……」
「ああ」

セイが何を思い悩んでいたのか、理解した斉藤は頷いただけでしばらくの間黙り込んでいた。

「たとえば俺ならば、谷殿のような物言いをしなくても、お前に注意をできるだろう」

不意に口を開いた斉藤がそう言い出した。その言い方が、諭すわけでなく、責めるわけでもないもので、思わず隣を向いてしまった。

「俺は、そういう苦手と思う相手でも、学ぶことができると考える。なぜだかわかるか?」
「……いえ」
「それはな。俺なら間違いなく、しないだろうということをする相手というのは、ある意味では自分に最も近しいものかもしれないと思うからだ」

思いがけない斉藤の言葉にセイは目を見開いた。
谷の事は、近藤でさえも苦手として話し難くしていたことをセイも見ている。そんな谷の事を斉藤が不得手としていてもおかしくはないが、それにしても違和感がある。

「兄上が、谷先生を……?」

目を丸くしたセイに、珍しくおどけた様子で肩を竦めて見せた。

「ああ。私にも苦手と思うことくらいある。だが、こうも思う。自分ならしない、自分ならばこうはならないと思う相手は、私の影であり、また私も相手の影ではないかとな」

生まれてからこれまでの時間、長さは同じではなくても、同じ思いの表と裏と。

「だからこそ、苦手とし相反することもある。それなら学ぶこともあるはずだ。そう思えば、馬鹿正直に真正面から話を聞くだけでなく、時にはこちらが 上手く受け止めたように見せて、懐の麻袋にでも詰めておけばいい。心が落ち着いた時にでも、取り出して、都合よく話を取り込めるところは取り込んで、不要 だと思うところは……、そうだな。肥溜めにでも捨ててくるがいい」
「肥溜め……って」

ぷっと吹き出したセイに、斉藤も口元を緩めた。懐から小さなものを取り出した。あの時、山崎と連絡を交わしたときに文を隠すために買い求めたふりをした匂い袋である。

「つまらないものだ。だが……、誰かに話すことも気欝な時には、その香が少しでも気欝を晴らすとよいな」

小さな、セイがいつも身に着けているものよりもずっと小さくて、きれいな品の良いもので、可愛らしい香りがする。
手のひらで受け取ったセイは、指先でそれを確かめるように撫でると、ぎゅっと握りしめた。

「嬉しい。ありがとうございます」
「何でも口にすることができるのは子供のうちだけだ。お前も大人になったということだと思っておけばよい」
「大人だと、認めてくださるんですか?」

セイの方を向いていた斉藤が空を見上げた。月に雲が半分ほどかかっている。

「大人は小さな嘘に気づかないふりをすることも上手いはずだが?」

それを聞いたセイは、はにかんだような少しだけ寂しそうな顔で笑うと、静かに立ち上がった。

– 続く –