残り香と折れない羽 27

〜はじめのお詫び〜
危ない危ない。もう少しなんですが、気がせいてしまいます。

BGM:

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朝方、起床の太鼓がなる前に総司は幹部棟へ向った。隊士棟へ戻るのはさすがに部屋にいなかったことが分かってしまうため、幹部棟の神谷部屋へ入る。
形だけひいてあった床の上に、羽織だけ脱いで横になった。

忍び寄ってくる睡魔とは別に、意識ははっきりと覚醒していて昨夜表れた影を思いだす。朝餉の時間になれば、誰かが探しに来るだろう。

僅かな時間、睡魔に身を委ねた。

 

部屋を出て行った総司とは逆に、その気配で目を覚ましたセイは、床を片付けて診療所専用の湯殿から水を汲んでくると顔を洗った。
部屋の周りにいたはずの斉藤の姿も今はない。

ぱしゃっと静かな屯所の中に水音が響いた。
顔を洗って、小部屋に戻ろうとしたセイはふと、朝靄の中で階段の脇に佇んだ。自分ならどうするか。
覚書は、隠されていなければならないが、奪っていってもらわなくてはならない。

詳細な策といってもこれ以降は大雑把なものだ。というのも覚書を奪いに来るところまでは誘導できても、いつ、どうやって、までは相手が同じ隊の中の人間だけに難しい。

部屋に戻ると、隠しておいた覚書を引っ張り出して文机の上の文箱に納めた。

―― 怯えてなどいれらない。早く終わらせなくては。

その日、セイは診療所で忙しくしていた。
わざと外からの障子は開け放ったままで、文机の上に文箱を置く。セイ自身は診察室のほうで、溜まった書き物や、薬の調合を進めている。

文箱には仕掛けをしておいた。蓋を開けると蓋の裏に貼り付けた鈴が鳴る。
昨夜、ずっと外で様子を伺っていた斉藤は、予備の病間で横になっていた。

小部屋から予備の部屋、病間、診察室と続く障子はすべて開け放ってある。秋を感じさせる風が部屋を回って吹き抜けていた。
1日が穏やかに過ぎていく。

 

 

浅野は新井との打ち合わせの上で、夕刻に行動を起こすことにしていた。明日は、佐倉との約定の日である。
今日を逃せば、あの話が反故になるかもしれない。

―― これ以上、武田の言うことを聞いて危ない橋を渡れるか!

そのくらいなら、表向きは新井に協力して覚書を奪ってやると協力させておいて、佐倉の下へ覚書をもったまま逃げ込めばいい。まだ、俺は逃げられる。

セイたちが穏やかな日をすごしていた日中、浅野はさりげなく身の周りのものを処分したりどうしても手放せないものを懐に忍ばせていた。

それぞれの思惑を含みながら風は夕刻になると強さを増した。時刻は夕餉の時間になる。
斉藤に任せたまま、その日は一度も診療所に足を運んでいなかったが、夕餉の支度が始まる頃に、総司は診療所に現れた。

「神谷さん、土方さんの部屋で一緒に食べるんですが、貴女も一緒にどうですか?」
「とんでもない!いくらなんでも副長とご一緒するのはさすがに……」

この時代、武家の妻女が宴席や料亭などでの食事以外で、共に食事をするのは憚られる。総司はその手のことに頓着しなかったし、屯所では隊士として扱われるため、誰かと食事を一緒にとることもあったが、さすがに相手が副長ではそれはセイの方から遠慮すべきだろう。

「え〜、そうですか?もう、神谷さんはお小姓じゃないし、土方さんも気にしないと思うけどなぁ」
「いえいえっ、駄目ですっ。それは気にするしないじゃないですよ」
「そうですかぁ……」

至極、残念そうに言われても、できるものとできないものがある。セイは、すみません、と謝っていつものように診療所で夕餉を取るために賄い所へ向った。斉藤は、先に夕餉をとるために隊士棟へ行っている。

膳を受け取って小部屋へ向ったセイの背後に浅野が立った。階段を上って、部屋に入る直前、浅野はセイの背後まで一息に迫った。

「神谷さん」

穏やかに普段どおりの口調で浅野は声をかけた。落ち着いて部屋の中に足を踏み入れたセイは、膳を置くと振り返った。

「なんでしょう?浅野さん」
「お願いがあるんですが」

セイの後ろから小部屋に入った浅野は、後ろ手に障子を閉めた。

 

 

同じ頃、副長室には新井が向っていた。土方と総司が向かい合っているところに、新井は部屋の前から声をかけた。

「副長、お食事中に申し訳ありません。新井です」
「なんだ?」

半分だけ風を通すために簾が下げられていて、片側は障子が閉められている。新井は閉められた障子を少し開いて顔を覗かせた。

「沖田先生もご同席でしたか。それでは出直しましょうか?」
「いや、何の件だ?」

土方の向かいに座る総司に、新井は軽く頭を下げた。要件次第だという土方に、新井はわざと含みを持たせて声を落とした。

「先日来、薩摩絡みで隊内から接触を謀るものがいるようなのでご報告にあがりました」

それを聞いた土方は、ぱちっと箸を膳の上に置いた。

「構わん。入れ」

頭を下げて副長室に入った新井は、武田が浅野を脅しているらしい事、そして薩摩藩への接触を浅野にやらせていることを告げた。
懐から、武田が浅野に対して指示するために渡した書付をいくつか取り出して土方の前に差し出す。

「浅野さんが何をもって武田先生に脅されているのかは分かりませんが、今のところこのように武田先生の指示で浅野さんが動いているのは確かなはずです。幾人か、薩摩藩の下級の者とはつながりができたようですが、それ以上の方々にはまだお近づきにはなれていないようです」

差し出された書付は確かに武田の手によるもので、浅野が保身のために指示を書付にさせてからの幾枚かを、新井に渡したものだ。浅野がセイの元から覚書を奪う時間を稼ぐにはそれなりの道具立てがいるといって、浅野から預かった。書付があれば、指示の元に動いたと看做されて、万一、浅野の行動が発覚しても大丈夫だと新井は言った。

もちろん、そんな言い訳が土方に通じないことも新井は十分弁えていたが、追い込まれた浅野にはそこまでは考えることができない。元々、新井は山崎にも近く、他の隊であれば伍長格なのと違い、浅野は平隊士と同格である。そこまで土方や幹部達全員の考えが推測できるほどには熟達してはいない。せいぜい、関わったり、素行を調べに当たった平隊士の幾人かに詳しい程度である。

「よく調べてくれたな。……一つ聞くが、なんで山崎を通さずに俺に直接上げてきたんだ?」

書付を手にしていた土方が、当たり前のように尋ねた。新井は、落ち着き払った態度を崩さずに答えた。

「山崎さんは普段屯所にいらっしゃいませんし、このようなものを持って屯所外で山崎さんを捉まえるより、直接副長に報告したほうが早いと思いましたので」
「ふむ、なるほどな。このところ、というからには山崎を捉まえてからでも問題ないように思えたのでな」

新井を見据えた土方の目が、ひたっと思惑を見通すように向けられた。

 

– 続く –