愛し児のために 4

〜はじめのつぶやき〜
それでも生きていくという

BGM:嵐 Happiness
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夜も遅くなってから、そっと小部屋の障子が外から開いた。静かにその長身を滑り込ませると、人影が眠っているセイと赤子の上に屈み込んだ。

―― 血の匂い……

ぱち、と目を開けたセイに屈み込んでいた主が驚いた。

「あっ……、と、ごめんなさい。起こしてしまいましたか」
「……沖田先生」

その場所が屯所であることよりもなお、血の匂いで目覚めたセイには、清三郎として反応していた。横で眠っている赤子に目を向けてから少しだけ体の向きを変えた。

「こんな時間までお疲れ様でした」

斬り合いになったから余計に後始末に時間がかかったのだろう。片膝をついていた総司が、腰を下ろすと、少しだけ首を傾けてセイの顔を眺めた。

「こんな時間だからよそうかと思ったんですけどね。せっかく近い場所にいるので、顔だけでも見たくなって」

穏やかな顔で微笑む総司の胸元に手を伸ばしたセイがほんの少しだけ着物を引き寄せるようにしたのを見て、上半身だけでセイをそっと抱えるように総司が動いた。二人の間には赤子を寝かせた籠が置かれてある。

「どうしました?」
「……斬り合いに、なったんですね」

密かに囁かれた言葉を聞いて、総司が自分の肩腕を上げてくん、と匂いを嗅いだ。確かに思いの外手こずって、派手な斬り合いになった。腕はそれほどで もないが、やはり死に物狂いで向かってくる相手をなるべく生け捕りにできるよう、加減しながら斬り合うのは難しい。手足の筋や先を戦えないように斬ること で、少ないとはいえやはり返り血を浴びる。

「着替えてきたのでわからないと思うんですけど」
「いいえ。わかりますよ。鉄の……匂いが」

汗と、錆のような鉄の匂いにも似た匂いに、セイは目を閉じて総司の胸元に顔を寄せた。

「……すみません」
「先生が謝ることじゃないじゃないですか」
「まあ、そうなんですけど」

くすっと笑ったセイは間近で総司の顔を見上げた。あまり生えてこない髭が少しだけ伸びている。

「総司様。もう少し話していてもいいですか?」
「?ええ、もちろん」
「ややの……、名前なんですけど」

話し始めようとしたセイに少しだけ待って、というと、総司は行燈の覆いを外して部屋の中を明るくした。
ぽつぽつとこの数日考えていたことを口にしたセイに、黙ってうなずいていた総司は最後まで聞くとしばらく黙って考え込んでいた。

「あの、どうしてもということじゃなくてどうかなと思ったので、もちろん総司様がお決めになったのが一番だと思っていますから」

総司が黙っているために、てっきり却下する理由を考えていると受け取ったセイが先回りしてそう言いだすと、はっと我に返った総司が片手をあげた。

「待ってください、先回りしすぎですよ。何も私は反対なんかしてません。それよりも……」

そう言うと、立ち上がって今は部屋の隅に片付けられているセイの文机のところから硯箱と紙を持ってくる。セイの傍にきて、さらさらと書き始めた総司は、次々とセイの膝の上に書いたものを広げた。

「どうでしょう?」
「はい。皆さんがいいと言ってくださればいいんですけど……」

にこりと微笑んだセイと共に総司はもう一度、書いたものを並べてみる。

「朝になったらもう一度きちんと書き直しますね」

頷いたセイが下書きになったそれを残しておいてほしいと言った。

「下書きも、全部、ですか?」
「ええ。こんなにもたくさん、皆さんが考えてくださったことを、いつか教えてあげたいんです」

沢山の人の力添えで一緒になることができて、たくさんの出来事を乗り越えて、皆に見守られて今がある。想いを生まれた子にも伝えていけるようにと心から思った。

 

 

そのまま小部屋に泊った総司は、一度隊部屋に戻ったものの、稽古まで済ませると小部屋にやってきた。ちょうどセイも身を清めて着替えたところで、今度は赤子の沐浴の最中だった。

おまさの手でさっぱりとした赤子は数日とはいえ、よく乳を飲み、よく寝るからか、大きくなった気がする。

「産まれたばかりの時は、こんな小さなと思ったんですけど違うものですねぇ」

身近に赤子がいたわけでもないので、驚く総司におまさが声を上げて笑った。男は皆同じことを言うのかとおかしくなったのだ。

「左之はんも同じようなこと言いましたえ?先生方、そんなところまで仲がよろしいんどすなぁ」

照れくさそうに頭を掻いた総司は、昨夜と同じように部屋の隅の文机に向かった。しばらくしてかき上げると、不安そうにセイの方を振り返る。

「どうでしょう。土方さんにまた字が汚いって怒られちゃいますかね」
「ふ、ふふっ。そこはわかりません。九つの頃からの兄上に聞いてみたらどうですか?」

全く素直ではない土方が、自分の名前からも一字とられていると知ったらどうするだろうか。

幼名、寿樹 総良
後名、勇三郎 喜保

お上のことを大樹公ともいうが、それだけではなく、この新撰組もこの子も樹木の様に枝葉を広げて大きく健やかに育つよう、寿を保つように。幼名の諱は総司の一字と、義父の松本から一字貰い受ける。
そして、近藤と土方から一字ずつ、そして慶喜と容保が互いに譲らなくて、話し合った結果、一字ずつ諱としていただくことにした。

その名を聞いた土方が予想通り驚いた顔をした挙句に、不機嫌そうな顔でそっぽを向いた。

「そんな偉そうな幼名あるか」
「ひさき、ですよ。駄目ですか?」
「駄目も何も恐れ多いってんだよ!」

大樹公を思わせる樹に眉を顰めてはいるが、悪いとは思っていないらしい。近藤も顔をそろえた松本もしばらく考え込んでいたが、頷いてくれた。

「総良はお前と読みが一緒なのか」
「ええ。本当は義父上の字を先にしたかったんですが、うまく組み合わせられずにすみません」
「いいや、構わねぇよ。逆に気を遣わせて悪かったな」

養父であるから自分のことはいいと言っていたのだが、やはり、セイを思えば総司がどうしてもと思ったのだ。

「いい名が決まったな。総司」

潤んだ目で近藤が目尻をぐいっと拭った。
流石に正月をやらないことになっていた屯所での祝い続きに遠慮したセイの願いもあり、七夜の祝いは控えめに幹部達のみで行われ、隊士達には夕餉の膳に小さな餅がついた。

いつどうなるかもわからない彼らだからこそ、共に祝う。その気持ちは皆同じだった。

 

– 終わり –