青い雨 13
〜はじめのつぶやき〜
大丈夫です。前回冷たくした人、反省してますから!!
スライディング土下座しそうな勢いで・・・・。
BGM:青い雨
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「おはようございます」
「おはよう」
セイの目が赤かったことには触れずにいつも通りの朝を迎えた。
先に起きだして朝の支度を済ませたセイも余計なことは言わず、膳を運ぶ。
二人きりでいることもよくあるというのに、なぜだかこの朝は妙に静かに感じられた。
「そういえば」
「はい」
「私は今日はゆっくりなんですよ。あなたはいつも通りに?」
「はい」
セイはほとんど変わらないが、総司の仕事は日によって予定が変わることもある。こうした朝の時間にお互いの時間をすり合わせるのはよくあることだ。
「それでは、今日は私がお先に出ますね」
「ええ。帰りはどうなるかわからないので、また屯所で」
「はい。承知しました」
頷いたセイの様子をじっと見つめたが、思うところは口にしない。
何もかもを口にすればいいわけではないからだ。
「はぁ。朝のお茶はやっぱりおいしいですねぇ」
軽口をたたく総司に微笑みを浮かべたセイは、二人分の膳を下げて支度を急いだ。
セイを送り出した後、総司はすぐに羽織を身に着けて、家を後にする。
確かに今日はゆっくり出ればよかったのだが、セイにはあえて言わなかった。
足を向けたのは屯所ではない。
髪結いどころである。
「おはようございます。いますかね?」
「おや。朝からお珍しい」
伝六に促されて奥に入った総司を、朝餉を終えて一服していた山崎が見上げた。
「おや。男前の沖田先生も髪をあたりに来なさったかい?」
「はぁ……。いじめないでくださいよ。山崎さん」
へなへなと情けない有様で腰を下ろした総司を見ながら、山崎は煙草入れに火を落として脇へと押しやった。
「そうはいっても、朝っぱらからわざわざ乗り込んでくるなんて……。ははーん。ついに神谷はんに知られましたか」
しばらく前から流れ始めた噂は、とうの昔に総司の耳に入っていた。
流れ始めてすぐは、すぐに収まるかと思っていたが、どうやら尾ひれがつくだけでなく、どんどん話が大きくなっていく有様に初めは小者たちが、そして山崎が余計なことだが、と教えてくれたのだ。
「もう、どうしたもんでしょうねぇ……」
「あかんなぁ。沖田先生、神谷はんを泣かせたんやろ?そこは、旦那として、お前が気にすることやないとかなんとか言って誤魔化してしまえばよかったでしょうに」
「そんなこと……」
総司も初めはそう思った。
そう思っていたのだが、途中で少し矛先が変わったがゆえに、苛立ちのまま突き放してしまったのだ。
「ありゃ。沖田先生ともあろうお人がなんでまた?いや。いやいや、当ててみまひょか」
「ああ、待ってください。いいんです。自分から話しますよ。あの人が珍しくその……」
ただ自分がひどいことを言われて悲しい。
そういわれれば、総司も気にすることはない、と言って宥めて済ませてしまっただろう。
だが、セイは総司の面目や、教えてもらえなかったことで、隊の面目まで持ち出してきそうな勢いだった。
確かに、総司の立場もあれば隊としてみっともない話ではある。
だが、あくまで噂は噂。
毅然として、否定していれば根拠のない噂などそのうち消えるものだ。
「噂の根源や噂を流した人たちを怒るならまだしも、その話のすり替えは狡いものでしょう」
だから、つい、苛立ってしまった。
言われたセイが泣くだろうことも、落ち込むだろうこともわかっていたのに、腹を立てた総司もやはり同じようにどこか腹を立てていたのかもしれない。
「はぁ……。そりゃ、先生らしくもないことで」
「……言わないでください。これでも落ち込んでいるんですから」
「男を甘やかす趣味はあいにく持ち合わせてませんや。その様子じゃ、神谷はんに今日も慰めるとか謝るとかなんもなしやろうし?」
「……だからわかってますってば」
しょぼくれた総司に山崎は容赦なく畳みかけた。女子のセイをかばってやりもせず追い込んだのだからこのくらい甘いくらいだと言わんばかりだ。
「ねぇ、山崎さん」
「なんでしょ」
「……どうにか、なりませんかね」
「します?」
あっさりと返された言葉に頷けばよいのだろうが、なかなか首を振ることができない総司に山崎は鼻を鳴らして、火鉢の傍の急須に手を伸ばした。
湯を注いで渋茶を差し出す。
「だから初めにいうたはずでっせ?性質が悪いから気をつけなあかんて」
「……」
小者たちは、日頃の立ち回り先からして噂の初めからおおよその出所に察しがついていた。
そして、山崎はもう少し踏み込んで、そのあたりを付けてくれていた。
「お柏は、面倒な妓ですわ。常に不満だらけで、常に敵がおらんと生きていかれへん。それでも男は自分の価値を認めてくれる、自分の敵にはならん。矛先は、周りやお柏が知る女子になる。そんな妓の前で、神谷はんのことを惚気るなんて、沖田先生もずいぶん気を抜いてはったのとちゃいます?」
「わかってますけど……。私たちと女子とでは違うじゃありませんか」
総司や山崎、おそらく永倉や原田も同じだろうが、お柏など少し面倒な妓だとしか思っていない。
その素行を知っても、見苦しい真似をする女と思う程度で、それ以上でもそれ以下でもない。
だが、セイは違う。
「あの人とは根本的に違いすぎるんですよ。違うからこそ、なんていうか、こう……本能的に受け付けないというか」
「まあ……。それはそうやろなぁ」
「だから困るんですよ。私なんかはそんな事気になりませんし、直接面と向かって言われたわけでもない。そんな相手に向かっていくなんて、相手の土俵の上にわざわざ乗ってやるようなもので、そんな面倒御免ですよ。でも……ねぇ?」
セイはおそらく違うだろう。
あまりに相容れない相手だけに、真正面から腹を立て、お柏のことを知れば乗り込んでいきかねない。
それで、また新しい噂が広がるかもしれないことより、許せないことの方が先に立つだろう。
「だから……、知られなければそのままそうっとしておきたかったんですよ……」
「そら、甘いわ。今じゃすっかり奥方然としてはりますけど、あの神谷はんですぜ?」
「……すみません。こんなことを言ってはいけないとわかってはいるんですが……、面倒くさい」
あっはっは、と膝を打って山崎は笑い声をあげた。
こんな風にいってはいるが、総司は確かにお柏に怒っていたのだ。セイのことをあることない事、悪く仕立てて話をうまく広めたことは許しがたい。
そんな真似をできない様、信濃屋に抑えさせることも考えたし、それどころかこの街から追い出すこともできなくはないと考えていたくらいだ。
たかが噂でそんなことまでと、思い直し、様子を見ることにしたのが裏目に出てしまったことも含めて、総司は己の至らなさにどっぷりと落ち込んでいた。