寒月 24

〜はじめの一言〜
そりゃ、ないだろう、斎藤さんよ・・・
BGM:FUNKY MONKEY BABYS   ちっぽけな勇気
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「……っ!!」

ぐらりと倒れた斎藤の体がセイの上に圧し掛かって、セイはぎゅっと目を瞑った。しかし、怯えたまま身を竦めていると動かなくなった斎藤にセイは、そっと目を開けた。

「……?」

腕も押さえ込まれた体も先ほどとは全然違っていて、セイは斎藤の体の下からぐいっと腕を突っ張ってなんとか抜け出した。目尻から流れた涙を拭って、ぎゅっと手を握り締めると、セイは床の上にうつぶせに倒れ込んだ斎藤の顔を覗き込む。

「嘘……寝てる?」

正確には意識を無くしているわけだが、それにしても突然の斎藤の行動に訳が分からない。ぐすぐすと泣きながらも怒りだしたセイは、立ち上がって着物を直す。ぽろぽろと頬を涙が流れるのもそのままに、怒りが口をついて出る。

「なんっなのっ。もうっ!こんなのっ」

ほとんど意味をなさない文句を続けて、ぐいぐいと力任せに頬を拭う。口付けられて怖くて、どきどきして、訳がわからないまま、抑え込まれた体が怯えた。
そんなことをしておいて、まるで糸が切れたように倒れ込んでしまった。

ふと、何か異常が?!と思い浮かんで、急いで顔を上げたセイは斎藤の体を転がして仰向けにさせた。顔色や脈に異常はない。ほうっと安堵して、転がした体をきちんと床の上に寝かせる。

布団を掛けて、セイは少し離れた所にぺたりと座りこんだ。そうして、深く重ねられた感触の残る唇を拭った。

 

こん。

 

小さな音を耳が捉えたのに、それがなんなのか気がつくまでに時間がかかった。この深夜にどこからそんな音が、と頭がようやく思い至って、ぱっと立ちあがったセイは蔵の入口の引き戸のところまで静かに近づいた。戸口の壁の方に寄り掛かっている姿に息をのむ。

「……うっ」

壁際にしゃがみこむように座っていた総司の姿に、再び涙が零れた。
ずっと心配して一緒にいてもらったのに、どんなことをされても何とかできると思い上がっていたと、身にしみてわかる。大丈夫だと言ったのは、もちろん総司のことを心配もしていたのだが、結局、先ほど斎藤に抑え込まれて何もできなかった。

きしっ。

静かに、なるべく音をたてないように外から引き戸が僅かばかり開けられて、長身の影がセイの目の前に滑り込んだ。先ほどまでその人が立っていた裏側にあたる影に引き込まれる。
総司が羽織の中にセイを抱えた。

「本当は……土方さんに、蔵には行くなと止められたので私はここにいてはいけないんです」

密やかに耳元に声が届く。震える背中を宥めるように撫でながら、総司は目の前の柔らかい髪にセイに気づかれないようにそっと口付けた。

「……何でもないんです」

胸に抱えた頭からくぐもった声が聞こえた。顔を見せないで一生懸命、なんでもないことのようにしようとするセイが切なくて、抱えた腕に力が入る。

「今の斎藤先生は、いつもの斎藤先生じゃないから……」

どこから総司が見ていたのかもわからないために言葉を切ったセイの肩に総司の頭が乗せられた。

「……私がこうしているのも嫌ですか?」
「……いいえ。前にも云いましたけど、沖田先生は嫌じゃありません」

―― じゃあ、私が口付けたらどうですか?

「え……っ」

目を見開いたままのセイの唇に柔らかくて温かいものが触れた。そっと離れた温もりが現実のものとは思えなくてセイは呆然として総司を見つめた。

「……あっ!やっぱり嫌ですよね。好きでもない男にこんな……っ、すみません!」

慌てて総司がセイから手を放そうとして、より近くなった温もりに驚いた。セイは、総司が手を離して離れようとした総司の体にぎゅっとしがみついた。

「か、神谷さん……?」
「……だから、沖田先生は嫌じゃないって……っ」

きっと、二人とも、夜目でなければはっきりと真っ赤になったお互いの姿にますます、赤くなっていたことだろう。しがみついてきたセイを 抱き締めていると、総司はばくばくと飛び出しそうなくらいの心臓に苦しくて、抱き締めた温もりが甘く柔らかくどうしていいかわからなくなる。

お互いに、自分から離れることができなくて、戸惑ったまま寄り添っていたところに、かさっと吹きこんできた風に飛び上がるようにして、ぱっと離れた。

「あ、あ、あの……」
「いやっ、その、すみません」

慌てて離れた勢いで、つい声を落とすのを忘れてしまった二人の会話に、倒れ込んでいた斎藤が目を覚ました。

「あんたら、そこでなにをやっている」
「さ、斎藤さんっ」

斎藤の声に再び心臓が飛び出しそうなくらい驚いた二人は、斎藤の元に近づいた。

「大丈夫ですか?斎藤さん」
「アンタは隊務に戻ったんじゃないのか」

どこかぼんやりとした斎藤に、なんとか平静を取り戻した総司が答えた。

「斎藤さんの様子を見に来たんですよ」
「そうか……なにやら、……いや……」

斎藤は自分の中の変化を感じてそれが何かをつかみ取ろうとしていた。先ほど、セイを無理やり押さえ込んだあと、見上げてきたセイの顔をみて何かが崩れ去ったのは確かなようだ。驚くほどすっきりしている。

―― そうか。それほどまでに自分の中で大事に思っているのか

斎藤は何か自分でひどく納得していた。あれほどまでにセイを求めて、惑乱したのもそれだけセイを思ってのことで、そしてセイの泣き顔をみて思い知った。自分は、こんな顔をさせたいわけではない。
憎まれたいわけではない。叶うことならば自分にあの笑顔を向けてほしい。それが自分のためでなくても、セイが笑って、幸せであればいい。それこそが自分が最も望むことなのだ。

「いや、様子を見に来てもらって助かった。先ほど、何やらあまりに苦しくて人事不省の有様でな。清三郎にも迷惑をかけたやもしれんが、まったく覚えがないほどだ」
「そ、そうなんですか?!兄上!」
「ああ。身に覚えがないとはいえ、迷惑をかけていたらすまんな。清三郎」

は、と息をついて座り込んだセイに、淡々とした言葉をかけた斎藤は、自ら土瓶の中の薬湯を湯のみに注ぎ飲み干した。
ふ、と笑った総司が土瓶の中身をさらに湯のみにあけながら、セイを振り返った。

「斎藤さんはもう大丈夫ですよ。神谷さんも上に上がってお休みなさい」
「うむ。そうしたほうがいい。明日、また南部医師の診立て次第では俺も隊務にもどれるかもしれん。その時にあんたが寝不足で使いものにならんのでは俺も後味が悪い」

二人にそう言われて、セイも気が抜けたのか素直に中二階へ上がった。その姿を見ながら、総司が笑った。

「このままなら後味は悪くないですよね?斎藤さんてば……」
「……アンタもさっさと行ったらどうだ」

小声でささやかれた言葉に、斎藤のこめかみに青筋が立った。含み笑いを残したまま、総司は立ちあがった。

「信じてますよ。やっぱり斎藤さん格好イイ」

ぎらりと睨みつけられたものの、総司はにっこりと笑って引き戸の隙間から外へ出た。今は引き戸を閉めてもなんとも思わない。もう、斎藤はセイに何かをすることはないだろう。それに比べて、とわが身を自嘲気味に思い返す。

もう少しだけこの夜が続けばいい。闇の中になら自分の想いも隠して見えなくできるだろうから。

庭下駄を脱いで廊下にあがった総司は、何かに誘われるように蔵を振り返った。

 

– 続く –

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