寒月 31

〜はじめの一言〜
かっしーが協力してくれるのはやっぱりトシ様へ恩を売りたいからと思います。
BGM:May’n   ライオン
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飲み干した盃を近藤が万右衛門に差し出した。まさかに、用意した酒を近藤が飲むとは思っていなかったところに、自分にも盃を向けられて万右衛門は鼻白んだ。万右衛門にとって、近藤はこれまでに出会ったことのない類の武士で奇妙な感慨をもって近藤を見た。

―― このような武士ばかりであれば、今の世の中も少しはましであったろうに。

一瞬そんな考えが頭をよぎり、首を振って思いを払いのけた。そんなわけはない。人が身分の上下ではなく、生きられる世の中のほうがいいに決まっている。

「飲まれませんか」
「……頂戴いたします」

再び酒を勧められて、躊躇したものの結局万右衛門は盃を受け取った。注がれた酒を飲みながら、おかしな光景だと思った。
自分がこれから始末する相手となぜ正面から向き合って酒を酌み交わしているのだろう。

盃を開けると懐に入れた懐紙でさっと拭い、近藤に返した。

「こちらへ」

すらりと障子が開いて、原田、永倉、藤堂の三人が現れた。予想外の部屋の様子に三人は顔を見合わせた。敵方に身柄を預かったといわれて呼び出された先で、酒肴を囲んでいるとはまさかに思うまい。

「どういうことだ?」
「しかも、近藤さんまで……」

呆れたように永倉と藤堂がそれぞれ口を開きかけたところに、お才が障子を閉めて斉藤の傍に近寄った。一人、漂う甘い香りに苦しんでいた斉藤の肩に手を置いて、お才は囁いた。

「斉藤先生?お願いします」

ゆらりと斉藤が立ち上がった。先ほどまで引きずられる感覚に逆らおうとしていたが、斉藤にかけられた暗示は一つだけではなかった。

香炉から漂う匂いと、お才の言葉と、その場に近藤をはじめとするこの男達がいること。

お才が袂から縄を出して斉藤に渡すと、無言のままでそれを受け取った斉藤は近藤の背後に回り、無造作に縛り上げた。

「斉藤!」

土方がそれをやめさせようとして腰を上げかけると首元に喜助が匕首を向けながら、土方を縛り上げた。万右衛門が近藤達の目の前の膳を重ねて横に除ける。

「さあ、先生方もこちらへどうぞ?斉藤先生のお手を煩わせんようにお願いしますよ」
「斉藤!お前何やってる!!」

万右衛門の言葉に原田が叫んだ。しかし、斉藤の目は何も見えていないかのようで、お才によって操られるままに動かされている。
この場で、斉藤の弱点について話してしまえば、斉藤の立場がない。そう思った土方は、黙ったまま顎を引いて、従うように示した。必ず綻びが出てくるはずだ。
次々と原田、永倉、藤堂と縛り上げた斉藤は、お才に言われるがままに部屋の入り口の方へ座り込んだ。

 

土方と斉藤が離れに入ったところから、山崎は床下ですべてを聞いていた。そっと縁の下から抜け出すと、裏をつたって裏通りから屯所に向けて走り出した。
屯所に向けて駆け込むと薬屋の風体のまま、セイを呼んだ。門脇の隊士から呼ばれて出てきたセイは相手が山崎だとわかるとすぐに幹部棟へと案内した。
空いていた小部屋に山崎を通すと、座るのももどかしく山崎が花菱の状況を説明し始めた。

「神谷はん、今屯所にいる先生方は誰がおる?」
「伊東参謀に、松原先生、三木先生、井上先生でしょうか」
「あかん…。今、花菱には近藤局長、土方副長、斉藤先生に原田先生、永倉先生に藤堂先生までおる。沖田先生も途中ですれ違わんかったけど、呼び出されとるやろ。どないせぇっちゅうねん」

話を聞いたセイはしばらく考えた後、顔を上げた。

「山崎さん、伊東参謀のところへ一緒に行って下さいますか?」
「神谷はん、伊東参謀を信用するつもりですか?」

驚く山崎にセイは頷いた。伊東を信用するしないではない。ただ、今の状況で近藤や土方を見捨てるより伊東にとっては、協力して恩を売りたいはず、と思ったのだ。
それに、何もかも伊東の思い通りにするつもりもない。ただ、幹部からの承認を得るには仕方がない。

「ほんまに、腹が据わっとるちゅうか……。わかった。ほな一緒に伊東参謀のところへ行きましょ」

半ば呆れて、半分は感嘆のため息をついた山崎は、セイと供に伊東の元へ向かった。

「伊東参謀、申し訳ありません。よろしいでしょうか」
「清三郎かい?どうしたんだい?君のほうから私のところへ尋ねてくるだなんて」

室内から穏やかな声がして、セイは障子を開けた。何か書き物をしていたらしい伊東はにっこりと微笑んだ。

「おや?山崎君も一緒かい?」
「伊東参謀、ご相談があります!」

そういうと、セイは今の情況について説明を始めた。ところどころで山崎が補足のために口を挟む。伊東の顔は普段の柔和な笑みを浮かべていた表情から一変して真面目なものになっている。

「それで?清三郎。君はどうしたいんだ?」
「先生方を助けに行きます」

地図を手にしたセイは、その場に広げて山崎から聞き取った花菱の場所を示した。

「ここがその揚屋になります。周囲にも浪士が潜んでいる可能性が高いということなので、二番隊、八番隊、十番隊で三方からこのように夜陰にまぎれて囲みます」

細い路地とはいえ、角地にある花菱だけに、敵も逃げやすく、こちらも囲いやすい。

「それから一番隊と三番隊で表と裏から踏み込みます」
「ふむ。山崎君」

セイの案を聞きながら伊東は地図を睨んだ。

「皆、刀を取り上げられていると言ったね。中には他に人がいるのかい?」
「正確には副長と斉藤先生が脇差をお持ちのようですが、他の先生方は預けていらっしゃるようです。おそらく沖田先生もそうでしょう。使用人たちは皆、暇を出されて中にはいないようです。母屋の様子がよくわからないのですが」
「その離れは狭いのかい?」

母屋から渡り廊下で繋がれた離れは、思うよりは広いかも知れない。元々呼び出された彼らを一室に膳をおいて迎え入れても余裕があるほど の広さではあったわけだから、室内での立ち回りも可能といえば可能である。それに、壁をはさんで隣に一部屋、廊下をはさんで小さめの部屋が一部屋あった。

いつも手にしている白扇で口元を覆っていた伊東が顔を上げた。

「清三郎。僕は井上さん達と屯所の守りに徹するよ。その代わり、三木を連れて行くといい。周辺に配置する隊は三木に任せればいいよ。それから屋内へ突入する二隊は君が指揮を執るんだ」

こくり、と息を呑んだセイの顔が強張る。近藤達を奪還するにしても、山崎の話では斉藤が敵方の暗示にかかり操られているという。
そんな所に、一番隊と三番隊という、隊内でも精鋭中の精鋭といえる二隊を率いて伍長ではなく、自分がいけるだろうか。
その不安が顔に出たセイに、伊東がニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。

「大丈夫さ。僕が彼らを奪還する策を与えよう。さあ、時間がない。どうする?清三郎」

伊東の言う策がどんなものであれ、セイが思ったように伊東の協力を引き出したことはよい事だ。後はどうするか。

「神谷はん」

―― 何かあれば私が助力しますよって

山崎の声に後押しされてセイは頷いた。すでに外は暗くなり、灯りが灯される頃になっている。猶予はそんなには残されていない。

 

– 続く –