寒月 32

〜はじめの一言〜
千両って安いのかな、高いのかな。これだけの人たち相手だったら安いのかも。
BGM:May’n   ライオン
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伊東の指示で三木が呼ばれた。外を包囲する三隊に加えて三木の九番隊も連れて行くことになる。夜のこととはいえ、目立たないように身支度の済んだものたちから少人数に分かれて屯所から出て行く。
セイは、伊東の出した奇策のために身支度をするべく、一足先に一人屯所を走り出た。一番隊と三番隊にはすでに伝えるべきことは伝えてある。
途中までは山崎が先導してくれることになった。

床伝まで行くとセイはおみのに事情を手早く話した。そこからお里へも文を書き、伝六に使いを頼むと、時折、頼まれて芸子の女髪を結うこともあるおみのが馴染みの置屋へ一緒に頼みに行ってくれた。
どんなに急いでも支度に一刻はかかってしまう。セイが支度をしている間に、お里が来て置屋の女将に挨拶をすると一緒に支度をしてくれた。

「お里さんごめん!こんなこと手伝わせて……」
「ええんよ。神谷はん一人が変装して揚屋に行ったかて、その言い訳にはおかしいもんなぁ」
「でも、危ないんだよ?」

おみのに、髪を結ってもらい、着物や小物を借り受けたセイはお里に手伝ってもらいながら共に天神の姿に変装していた。

伊東の立てた奇策とはこうだ。
セイとお里で、天神の姿になり花菱へ向かう。そこで今夜新撰組の隊士が席を設けたいと言っているが馴染みの揚屋はいっぱいのようだから、こちらは空いてい ないかといって入り込むというものだ。もちろん、母屋に人がいなければすぐにお里だけは外に逃がし、セイが近藤達の刀を探し出して、捕らわれている離れに 届けるというものだった。

「何もこんな格好しなくったって……」

支度にかかる時間と、天神に変装するということの二つでセイは気が焦り、動揺していた。しかし、お里とおみのはいたって冷静に、手際よく支度をしていく。

「いいえ、神谷はんがいつもの姿で座敷は空いてないかと行ったら、鴨が葱背負ってきたと思われて捕まるだけやと思いますえ」
「ほんまに。神谷はんの変装やったら、まさかそれが新撰組の隊士やとは思われまへんしなぁ」

二人に畳み掛けるようにそう言われても、捕らわれている面子が面子でなかったら、これだけの緊急の際でなかったら、大勢の隊士の前に身をさらすことになるのに、女子姿への変装など気が進むわけがない。
焦る気持ちを抑えて、セイは頭の中で段取りを繰り返していた。

 

花菱には、遅れて最後に到着した総司が先に到着した者達と同じ目にあっていた。花菱にあがる際に刀を両方とも預けざるを得ず、それから離れに行くと、部屋に入った瞬間に斉藤に脇差を向けられた。

「……斉藤さん?」

向けられた刀に総司が問いかけても、斉藤はまったく反応を返さない。焦点の合っていない目が総司をみているようで見ていなかった。その隙に、喜助が総司を縛り上げた。

「これで皆さんお揃いですねぇ。元締め?」

お才が万右衛門に次の指示を求めて、視線を向けた。後ろ手に縛り上げられた男達を前に万右衛門は満足気に頷いた。

「ほな、斉藤先生にもお座りいただこか」

お才は頷いて斉藤から脇差を取り上げると、喜助がすぐに縛り上げた。斉藤と土方の脇差を彼らから離れた床の間に喜助が置いた。

「武士の面目もなにもあらしまへんなぁ。ええ格好ですわ」

楽しそうに笑う万右衛門をぎろりと男達が睨んだが、今の情況ではどうがんばっても不利である。呼び出された男達は皆、他言無用ということに、従って隊士達には漏らさずに来ている。総司も、相手がセイだけに迷ったが誤魔化して出てきてしまった。
セイだけでは、一人で無謀にも飛び込んできかねないと思ったのだ。

どうするか。

男達の脳裏に、様々な策が浮かんだ。

「さぁて。まずは依頼主に報告せななりまへんなぁ」

万右衛門がそういうと、隣の部屋に面した壁を押した。どうやら隠し扉になっているらしく、かたん、と観音開きに開いた隣の部屋には覆面の武士が座っていた。
どうやら、酒肴を前にしてこの情況が出来上がるのを待っていたらしい。

「伊勢屋。さすがだな。新撰組の腕利きの幹部達をこのように捕らえるとは」
「お褒めに預かりまして。さて、残りの半金をいただきましょうか」
「わかった」

覆面の男は懐から紫の袱紗に包まれた重そうな塊を取り出した。万右衛門が差し出した三方の上に袱紗が置かれる。
手元に三方ごと引き寄せた万右衛門が袱紗を除けると、切り餅が重なっている。その額、しめて五百両である。結局、福永を押し切って万右衛門は仕掛けの代金を千両にすることに成功していたらしい。

「……なんだよ、アイツは」

ぼそりと黙っていられなくなった原田が呟いた。確かに覆面の男が何者なのか気になるところである。縛り上げられた状態で文句を言ってもどうなるものでもないのだが、ただ黙っていても仕方がない。

「つうことはなんだ?俺達で千両ってことか?」
「一人百両ずつとして近藤さんと土方さんに百五十両の上乗せって感じ?」
「高いんだか安いんだかわかんねぇな」

ぼそぼそと話し続ける原田と永倉と藤堂に喜助が呆れた顔を見せた。縛り上げられたこの状況で呑気にそんな会話ができる神経がわからない。

お才がまだ斎藤の傍についているのをみて、土方が斎藤の暗示を解け、と言った。

「俺達を捕まえてもう用は済んだだろう?」
「ほ……まさか。この後も斎藤先生には働いてもらわんと困ります。なにせ、皆様、腕の方が立つ方々ばかりでいらっしゃいますから。それに……」
「それに?」
「暗示を解くには掛けたのと同じにしないとなりまへん。ここで誰の代わりに何をどうしたのか、わかってしまったら斎藤先生のお立場はありまへんけど、よろしいおすか?」

それが何を指すのかを分かったのはこの場では土方と総司だけだ。ぐっと黙った土方をお才は笑った。

「武士の情けどすなぁ?」

ぎり、と歯噛みしたくなる揶揄に総司は視線を逸らした。蔵の中での斎藤が頭に浮かんで、誰に、といえない怒りが込み上げてくる。
セイの姿を真似て斎藤に仕掛けたのはこの女だということはこの状況を見ればすぐわかる。こんな女をセイを重ねた斎藤を怒っているのか、それともそんな真似をした女を怒っているのか。

中身は分からずとも、武士としての面目を汚すことになることだけは理解した他の者達も一様に顔を顰めた。堕ちた斎藤を責める気には到底なれはしない。原田もおまさのことを思えば、自分がいつその立場になってもおかしくないことを十分に弁えている。

楽しそうに笑ったお才が、近藤の傍に近づいた。

「局長はん?」

正面から近藤の険しい顔を受け止めたお才は、嫣然とほほ笑んだ。

「思い惑うのに武士も町人もあらしませんけど、普段これほど武士らしくしてはる斎藤先生や副長はんが崩れる様をご覧になっていかがです?」
「……貴女が私に何を言わせたいのかはわからないが、惑う弱さも含めてここにいる者達は皆、武士として己自身と常に闘い続けている武士達だ」

かっとなったお才は立ち上がった。
万右衛門にしても、お才にしても、福永のような男が武士であり、剣術馬鹿と言えるのは横山のような浪人者で、それが二本差しであると思ってきた。
目の前にいるような、誠につくし、己自身と戦うような野暮ともいえるような武士など、とうにいなくなったものだと思っている。

強く、お才を見据える近藤の目の強さに、女子の身でありながら万右衛門の配下の中でも認められ、仕事をこなしてきたというのに、後ずさりしてしまった。

万右衛門でなくても、思ってしまう。このような男たちが武士であったならば、幕府だろうと朝廷だろうと、いずれにしても日本という国を守るだろうに、今のこの京の町のように荒んでしまったのは福永のような輩が多いからだ。
依頼主である福永だが、万右衛門はおたからさえ手に入れば、使い捨てるつもりでいた。

 

– 続く –