神の杯 後編

夜になって、巡察を終えて一番隊が戻ってきたころには、中庭では大騒ぎになっていた。
杯だけでなく枡や湯呑まで持ち出してあちこちの酒樽の周りに人が集っていて、寒空だというのに赤々と火を炊いた屯所は西本願寺に参る人々からも呆れた目を向けられている。

「沖田先生ー!」

一番隊の面々を見かけた隊士達が大きく手を振る。巡察ですっかり冷え切った隊士たちもその騒ぎを見るといてもたってもいられないのか、急いで隊部屋に入り、大刀を置くと、すぐに出てきてその宴に加わった。

隊士達は先に行かせておいて、総司は土方のもとに報告に向かう。

「只今戻りました」
「総司か。ご苦労だったな」

幹部棟の縁側でも近藤と土方が小さな火鉢を傍において酒を飲んでいた。

「総司もやりなさいよ」
「ありがとうございます。向こうでいただきますね」

これもまだなので、と手にしたままの大刀を見せると、そろって頷きが返ってくる。だが、その場に腰を下ろした総司は遠くの方で忙しそうに酒を注いで回り、陽気に騒いでいるセイに目を向けた。

「あの人、素直に言うこと聞きました?」
「……本当はお前の仕事だからな」
「すみません」

殊勝に頭を下げた総司に、近藤がひょいと顔を見せてひらひらと手を振った。

「いいんだよ。総司に全部を任せているからついつい歳も安心してるってことさ。たまには、俺達にも出番がないとなぁ」
「そういっていただければ助かります。あの人も私たちがいるからついつい、気持ちがそのままなんでしょうから」

持ち上がりで変わっていく立場を意識しないとどうしてもいつまでも下っ端気分が抜けないというのもあるのだろう。
ふっと、笑みを浮かべた総司はそれでも、と付け加えた。

「あれで、変わってはいるんですよ?」
「あのバカ騒ぎがか?」

肩をすくめた土方にふふ、と笑った総司は、大刀を手にすると立ち上がった。

「じゃあ、私もあちらに」

足袋の先から冷え込みそうな床を歩いて隊部屋に戻った総司も大刀を置くと、庭先に下りた。

「沖田先生!」

顔を真っ赤にしたセイが駆け寄ってきて、総司にも酒を差し出した。

「ご苦労様です!お待ちしてました」
「はいはい。神谷さん、大活躍ですね」
「そんなことはありませんよ!」
「はは、そんな顔をして。飲みすぎるんじゃありませんよ」

はーい、と叫んだセイがすぐ酒樽のほうへとかけていくと、ちょこまかと動き回っては総司のもとに食べるものを運んできたセイがちょこん、と縁側の端に腰を下ろした。

「疲れたでしょう?」
「いえ。そうでもないです」

そういいながら、枡酒を口にしているセイに、お食べなさいとセイが集めてきた皿を押し出すと、ちゃんとあるんです、と懐から竹包みを取り出した。
小さな味噌を塗った握り飯がでてきて、総司にもそっと差し出す。

「沖田先生も召し上がりますか?」
「いいえ、それは神谷さんので……しょう」

セイの手を押し返したときに、近づいた瞬間、総司はとあることに気付いて一瞬間が空く。

「神谷さん、それを食べてからでいいので、私にももう少し酒をもらえます?」
「はい!すぐに」
「ああ。食べてからでいいのに!」

ぱっと立ち上がって駆けだしたセイに、呟きだけがむなしく残る。仕方なく、セイが座っていた場所に手を置いて、自分用にとセイがぶら下げていた白鳥に手を伸ばす。

くん、と鼻を動かした総司はやはり、と思う。

白鳥の中身はただの白湯が冷めたものだ。わずかに梅の香りがするのは梅干しの汁でも混ぜたのだろう。
セイだとて酒が飲めないわけではない。飲みすぎればオオトラになることもあるが、いつも楽しそうに混ざっているのに、酒を飲んでいない。

―― ほらね……

以前のセイなら酒を飲んでいただろう。だが今は飲んでいない。それに土方はああいっていたが、小者の中にも勘定方からの助け手の中にも、すでにセイの指示を受けて取りまとめる者はいるのだ。
彼らは彼らで、十分働きをみせるのだが、セイが自分の目でも見て歩くから実際には手を出していなくてもそう見えるのだろう。そして、小者たちや手伝ってくれる者たちが飯もそこそこに頑張ってくれているから、なかなか自分が飯をとる間をなくしてしまったといえる。

「お待たせしました!」
「どうもありがとう。神谷さんもどうぞ」

さりげなくセイの白鳥を手にした総司が枡に注いでやると、慌てたようにセイが枡を手元に引き寄せた。

「神谷さん。今年もご苦労様でした」
「はい。沖田先生も!」

にこり、と微笑みあっている間に、二人の間が近づく。酒や小皿をお互いの反対側に置いて、とん、と肩が触れた。

この距離が、いつか近づくことはなくても、離れることがないように。

目の前で酒を手に笑いあう顔が変わらずにあるように。

どうか、どうか、新しい一年も変わらずに過ごせるように。

–end

~~~新年あけましておめでとうございます。