記憶鮮明 14

〜はじめの一言〜
夢のような時間は、いろんな時間に代わりますね。

BGM:SMAP not alone
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

先に呉服屋を出た斎藤は、駕籠の手配は越前屋に任せて一足先に姿を変えて店を出た。羽織は風呂敷に包み、セイに荷物を預けて遊び人風に姿を崩した斎藤は、店からの帰り道、通りにいる者達に目を配る。
監察方の者らしい人影は見かけたが、あえて近づいてこなかったので斎藤からも特に近づかなかった。

松月へと戻った斎藤は、ひと足先に離れへと戻り、何度目かになる周囲の確認を繰り返した。雅の滞在する部屋の中、周囲から庭、そして隠し部屋へと一通り見て歩いた斎藤は、朝に確認した足跡が庭先から消えているのを確かめた。

松月の下男がきれいにならした白砂は、不審者の痕跡を消してくれており、この後に再び誰かが現れたらわかるだろう。

斎藤が一通り見て歩き終えた頃に、駕籠に乗って戻って来た雅達一行が現れた。出かけたのは裏手からだったが、戻りは表からである。女中の案内で離れへと戻って来た一行は、セイが先に立って、周囲へと目を配りながら歩いてくる。

「早い戻りだな」

密かにセイに離しかけた斎藤に、セイが頷いた。
斎藤が頷きを返したのを確認してから、セイは女中の案内を断って離れへと先に入る。念のため、セイも室内を確認してから雅を中へと導いた。
当り前のことのように離れの部屋の前で待っていた雅は、部屋へと落ち着くと満足そうに微笑む。

「楽しかったことね。どうかしら?清三郎」

確かに早い戻りではあったがちゃっかりと雅は新しい帯どめを買い求めていて、手の上に乗せられたそれはとても見事な細工物だった。
斎藤と総司はそれぞれ、自分達の離れへと一礼して戻って行ったが、セイは雅の道行や着替えの用意にと慌ただしい。

「とても素敵だと思います。雅様はお買いものされるのにあまり迷われないんですね」
「ほほ。気に入ったらすぐに手に入れなければもう手に入らないものと思うことにしているんですよ。ですから、どうしても心惹かれた物はすぐに手にしないと気がすまないのね」

これも年かしらね、と付け加えた雅に、セイは苦笑いして雅の着替えを整えた。乱れ箱に小物一切を揃えておいたが、替えの着物は先程雅が手にした物に似合うよう、薄鼠色の帯を選んである。
脇息に寄り掛かった雅がセイの姿を眺めながら問いかけた。

「清三郎は迷うのかしら?」
「そうですね。甘味なら迷いませんけど、やはり私などは値の張る物などなかなか手にできませんから迷う方だと思います」
「そう。それも若いうちですよ。私のようにお祖母ちゃんになってからでは迷う暇さえありませんからね」

整えられた着物をみて、頷いた雅が屏風の向こうへと回り、着替えを済ませる。その間にセイは、茶の支度を済ませた。武家や公家のしきたりなどには詳しいわけでもないが、この辺りは小姓をしているときの経験が役に立つ。

着替えの途中で雅が顔を覗かせた。

「清三郎?明日は町娘にしましょうか」

いかにも楽しげな雅に逆らうわけにもいかず、セイは自分の姿を振り返る。

「あのう、それまでもしかしてこの格好……」
「ええ。私の大事な孫の嫁ですからね。きちんとしていてくださいな」

先程店に戻った時も、女中や主人さえセイの事が分からなかったくらいの変装である。
ぎこちない歩き方や所作もなんとか恰好だけはついてきたというのに、明日は町娘と言われてがっくりとセイは肩を落とした。

「この格好のままですか……」
「あらあら。清三郎は、素敵な自分の姿を見せたい方などいないのかしら?」
「素敵なって私は武士ですから女装は違うと思いますが。その、町屋に親しい女性はいますが、きっとこんな姿をしたと話したら笑われますよ」
「でも、組長のお二人は複雑そうな顔をなさっていたわねぇ。そういうの、衆道というのだったわね。うふふふ」

楽しげに笑う雅が怖くなってセイは天井を仰いだ。
この姿ではどうにもこうにも、身動きができないと願い出て総司や斎藤に着換えなくてもいいように許可をもらうつもりでいたのに。
結局のところ、セイは夕餉の膳を前にして、孫の嫁と膳を囲む姿だと押し切られて、交代の時間までは着替えることができなかった。

 

五つ半になって隠し部屋からこん、と斎藤が合図を送ってよこした時にはセイはあからさまにほうっと嬉しそうなため息をついた。

「それではまた明日の朝に。おやすみなさいませ」

セイは、離れを辞すると昨夜と同じように隠し部屋のあたりを外側から窺って、扉の前らしきところで声をかけた。

「斎藤先生。それでは休ませていただきます」

すぐにかたんと、隠し部屋の入り口が中から開いて斎藤が顔を覗かせた。

「ご苦労だったな。ゆっくり休むといい。その姿で気を使うならば、小部屋で休むのも手だぞ」
「ありがとうございます。これを……」

昨夜とは間逆の事を口にした斎藤にセイが濡らした手拭いを差した出した。昨夜は慌ただしく気が回らなかったが、隠し部屋に一晩いるのでは、蒸して気分が悪いこともあるだろう。離れの湯を用意するところで、冷えた水に手拭を浸してきたのだった。

「部屋の中は暑いかもしれませんので。昨夜は気がきかず用意できなかったんですけど」
「ああ。すまんな。助かる。お前もゆっくり休むといい」

斎藤が受け取った手拭からは微かに、女子姿のセイから漂う髪油と同じ匂いがした。
それだけで十分な気がしたが、今宵一晩はそのセイを総司と二人きりにするかと思うだけで眉間に皺が寄ってしまう。

「ありがとうございます。大変ですが、頑張ってください」

斎藤の様子に気づくことなく、セイは素直に頭を下げて自分達の離れへと戻って行った。
慣れぬ女子姿で疲れ切ったセイは、ようやくその姿から解放されると思うと嬉しくて仕方がない。部屋の前で静かに声をかけた。

「失礼します。斎藤先生と交代してまいりました」
「ご苦労様。今日は早い時間に夕餉が食べられて良かったですね」

昨日と違って、今日は昼間の続きということでセイも雅達と同席し、同時に夕餉を囲んでいた。そのため昨夜のようにこれから夕餉にありつくということにはならずにすんでいる。

「はい。ほんとにくたびれましたぁ」

思わず本音が出て、部屋の真ん中へとぺったり座り込んだセイに総司が苦笑いを浮かべた。
目の前にいる姿は可愛らしくて、女子の着物もよく似合っておりどこから見ても武家の若妻にしか見えない。しかし、当人にしてみれば気が張る特命の任務とい うことで余計に疲れたのだろう。つい、セイを女子扱いしてしまいそうになる自分にいくらか呆れながら総司はセイを休ませようと立ち上がった。
少しでも助けになればと、離れの部屋にはすでに床の支度が済ませてある。

「さ、着替えて貴女はゆっくりとお休みなさい。私は離れの周りを一回りしてきますから」
「あっ、申し訳ありません。つい。私もお供いたします」
「何を言ってるんです?貴女までついてきたら明日の仕事が辛くなるだけでしょう?きちんとお休みなさい」
「でも、沖田先生だって、昨夜はお休みになっていらっしゃらない」

自分が仕事に対してうっかりと愚痴を漏らしてしまったことを恥じたセイは、座りなおして夜の見回りに自分もついて行くと食い下がった。
確かに、昨夜は隠し部屋の担当だったためにずっと起きていたが、今日はこの後一回りすれば仮眠くらいはとれる。
それにここで総司まで眠ってしまったら、何かあったときに反応が遅れてしまう。

「いいから。貴女はさっさと着替えて休みなさい。明日の仕事に障りますよ?」
「でもっ、この頭だけは変えられないし、あのっ」
「神谷さん!」

確かに女髪を解いてしまうわけにはいかない。食い下がったセイに総司がぴしゃりと跳ね返した。にじり寄って来たセイの肩に手を置いた総司が、片膝を突いた状態で鋭い目を向けた。

「それとも、若妻らしく寝かしつけられてみますか」
「えっ」

自分の声が飛び出したのを、まるで誰かが話していることを聞いているような感覚で総司は聞いていた。
うっかりと口から飛び出した言葉に、セイが目を丸くして自分を見返しているのを見て、一気に赤くなった総司は冗談にきまってるじゃないですかっ!といい置いて離れを飛び出して行った。

離れの部屋に残されたセイは、ポツリと呟く。

「……新婚って、旦那様に寝かしつけられるもの、なんだっけ?」

総司がうっかり口走った冗談の意味が分からなくて、セイは慌てて離れから飛び出して行った総司の後ろ姿を見送った。
どこまでいっても野暮天は野暮天。

 

– 続き –