記憶鮮明 24

〜はじめの一言〜
狐と狸かな?

BGM:SMAP not alone
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「申し訳ないのだけれど、今宵は湯を使わせていただけるかしら?」

夕餉を終えてから雅がゆったりとした時間を過ごしてから、そんなことを口にした。身を清めたいという雅の願いは当然のことだ。

清三郎が頷いて、湯の支度をしに部屋を出ていく。斉藤と総司はもちろん構わないと伝えて、セイが支度を終えるのを待った。今夜の警護は斉藤の番だったが、その分だけ時間をずらすということにして、総司は一足先に離れへと戻る。

「沖田先生。こっちのお風呂もお湯をわかしてますので、どうぞお入りになってください」

手際よく両方の離れの湯に火をつけたセイが戻ってくる。あえて総司は何も言わずにセイとすれ違った。声をかければ、問いただしてしまうかもしれないが、今はただ見守るだけだ。

離れでは、雅が斉藤を前にくすくすと笑っていた。

「斉藤殿は、誤解されることよりもご自分の矜持を重んじていらっしゃるようね」

部屋で待っていても構わないと言い出した雅に、斉藤がわずかに動揺した。見慣れた者でなければその表情の変化には気づかなかったかもしれない が、しっかりとその動揺を読み取った雅が笑い出したのだった。すぐに気取られたことを恥じた斉藤に、雅は少しばかり淋しそうな笑みを見せる。

「……武士でございますので」

低く答えた斉藤に、雅はふう、と息を吐いた。
これまで何人も斉藤のような若者を見てきている。いっそ、まっすぐな総司の方が生きやすいのかもしれないと思えなくもない。斉藤のような者は、いざとなれば自分の大事なことも冷静に切り捨ててしまえる。そんなことを幾度目にしただろうか。

武士というには、狡猾で要領よく生きていくことばかりに意識の向いた者たちが多くいる中で、総司にしても斉藤にしても、今の世の中は生き辛いのではないだろうか。
彼らのような武士が生きるには辛い時代を迎えようとしている。

「貴方のような頭のよい方は、ご自分の辛い時も冷静に判断されてしまうでしょうね。私にはそれが憐れに見えますよ」
「そうでしょうか。ならば、切れ者だとお褒めいただいたと思っておきます」
「困った方ねぇ。私から一つ言わせて下さるならば、時には愚か者におなりなさい。一つや二つ、愚か者になっても貴方のような方にはちょうどいいというものよ」
「……お言葉、ありがたく頂戴しておきます」

淡々と頷く斉藤が、雅の言葉を芯からは聞いていないことはよくわかっている。仕方がないと、ため息をついた処にセイが戻ってきた。

「雅様、お待たせいたしました。お湯が良い加減になったようなので、お支度をさせていただきます」
「ありがとう。よろしくね」

セイが雅の着替え等を整えて、離れの入口から湯殿の奥へと雅を案内する。離れの母屋側へ寄せかけたような作りの小さな湯殿へ案内すると、手前の 脱衣所のところに雅の着替えを置き、セイは風呂の外側へ回った。火はまだ完全には落としておらず、冷めてくればまた火を起こせるようにしてある。

しばらくして雅が湯に浸かっている気配がしてきた。

「いかがでしょうか?」
「ふう、とてもいいお湯よ。ありがとう。清三郎」
「よろしゅうございました。どうぞゆっくりなさってください」
「雅様」

雅を助けたい。

残された時間はそうたくさんあるわけではないが、もしいざその場になって、雅が拒否したら。
雅の真意が知りたい。
暗くなった庭を背にして、セイが低く囁いた。

「私の……以前、お世話になった庵主様に教えていただいたことがあります」
「……」
「出家とは、生きながら死ぬ事なり……って」

聡い雅のことだ。これだけでセイが何を言おうとしているのかはわかるだろう。雅の答えをじっと待った。
しばらくは、当人がいるかどうかも分からないくらいしずかだったが、それから湯を肩にかける水音が響く。

「清三郎は、そう思っているの?」

静かに語りかけてくる雅に、はっとしてセイは見えるはずのない湯殿の方へと目を向ける。問いかけられたせいには、その声音が何を意味しているのか分からなかった。
雅にとっては潔いことが正しいことなのかもしれない。

セイがそう迷い始めた頃、ばしゃっと大きな水音がして雅が湯をでたらしい。

慌てたセイが、火の始末をつけてから離れの入口側へと回る。
着替えを終えて出てきた雅が、部屋の中へと戻っていく。小部屋の方へと移動していた斉藤が頭を下げて雅が奥へと入るのを待ってから、離れを出ていった。

雅の髪に乾いた手拭を当てて、乾かすのを手伝っていると、雅が不意に手を止めた。

「清三郎」
「はい」
「もし、沖田殿が明日、途中で貴女に帰りなさいと言ったらどうします?」

ぐっと言葉に詰まったセイは、先ほどとは逆に今度はセイの方がじっと黙り込んだ。明日、もし途中で屯所に帰れと言われたらどうすればいいか。
雅の髪からは手を離さずに息を吸い込んだ。

「言いつけどおり屯所に帰ります」

悩むだけ悩んだ挙句、口にしたセイは目を伏せた雅をみて、すぐに続ける。

「でも、一度屯所へ戻ったら清風様へお世話になったご報告に参りたいと思います!」

勢い込んだセイに、ぷっと雅が笑い出した。
ぱらりとほどけてきた雅の髪に櫛を通し始めたセイは、雅が何をどう考えているのかわからなくて不安になった頃、雅がぽつりと言った。

「清三郎のお世話になった庵主殿のお言葉、私もそう思いますよ」
「……!はいっ!」
「私にはまだ、すべきことが残っておりますからね」

静かに答えた雅に、セイはこくこくと頷いた。

―― 必ず助ける

短期間しか一緒にいなかったけれど、セイにはこんな良い方を、立場だけでそのお命を奪うなんてできはしない。
心を固めている頃、総司と斉藤は交代で湯を浴びながら、いくつかの可能性を語らっていた。

「やはり、失礼のないように木立の中というわけにはいくまい」
「そうですね。尼僧院があるのでしたら、そちらを少しお借りできればいいですね」
「尼僧院の場合は、男子禁制だろう?」
「ですが、庵であれば可能じゃありません?」

互いに、セイが、もし、ということを頭に置いていながらそれを口にはせずに会話する。口に出してしまえば、セイを疑っていることにもなり、本当だった場合は、セイを罰してでも止めなければならなくなる。
心情的には、斉藤や総司も何とかしたいと思っていた。

だが、立場を考えれば近藤達が表立っては動けないということも理解している。総司達がその立場で動けば、近藤達も知っていて許可したと言われても仕方がない。

「斉藤さん。そろそろ時間ですね」
「ああ。じゃあ、後は頼む」
「私が変わりましょうか?」

張り番を交代するか、と聞かれて斉藤は首を振った。

「雅様に言わせると俺は少し、愚か者になるべきらしい。愚か者なら、ここであんたに代わってもらうところだろうが、俺は愚か者にはなりきれないからな」

立ち上がって振り返り様にそういった斉藤は、すたすたと離れの部屋を出て行った。総司はセイが戻った時のために、風呂の火を掻き起すため、斉藤に続いて離れからでた。

 

 

 

– 続き –