霧に浮かぶ影 17

〜はじめのひとこと〜
まあ、悪気なくてもねぇ

BGM:帝国の逆襲のテーマ
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セイと総司が夕餉を終えて、局長室に床をとっていた頃。

正しく言えば、土方の面倒を見ると言っていたのだが、部屋の暖かさと疲労で舟をこぎ始めたセイを、隣の部屋に敷いた布団に総司が運んでいた。
熱が高い土方は何度か目を覚ましたが、そのたびに総司に薬湯を飲まされて再び眠りに落ちるのを繰り返していた。

しのぶと藤堂が休んでいたのは、隊士棟の一角にある小部屋だった。

暗闇の中でそうっと起き出した影は、静かに音をたてないように、隣の空き部屋だと言われている部屋の襖を静かにあけた。それから、さらに静かに、廊下に続く障子をあけると、セイや総司が向かっていった幹部棟と思われる方向へと歩き出した。

廊下の真ん中を歩けばきしむ音もしたかもしれないが、月明かりと足音を警戒した影の主は、濡れ縁の一番端側を身を低くして移動していく。

渡り廊下さえわたってしまえば、そこに部屋がある人物は限られている。

副長室の傍まで来た影の主、しのぶは部屋の様子をうかがってから廊下の端にしゃがみ込んだ。

「俺、何やってるのかなぁ……」

幹部棟に来たからと言って何があるわけでもない。
土方や近藤の部屋に押し入っても、そこに金があるわけでもないだろうし、しのぶではそのどちらがいても人質にとることなどできはしない。

廊下の手すりに寄りかかって、しのぶは雲に陰った月を見上げた。

「布団に戻っておやすみなさい。今なら何もなかったことにできます」

びくっと身構えたしのぶはどこから声が聞こえたのかわからなくて、怯えた小動物のようにあたりを見回した。
いくら、夜目に慣れていても、人影もなく声が聞こえてくれば驚く。

「……誰っ」

床に這うように身構えたしのぶが息をするのも忘れそうな位緊張していると、目の前の部屋の障子が静かに開いた。

「……布団にお戻りなさい。今なら見なかったことにできますよ」

そこから姿を見せた総司は、部屋から出ることなく、半身だけを覗かせてもう一度繰り返す。しのぶからみれば、そこに人影があることはわかっても、そ れが誰かまではわからない。まして、自分を助けた中にいた人物の声かどうかなども定かではないが、警戒されていることだけはわかった。

どっと全身から汗が噴き出す気がして、しのぶの喉がひゅーひゅーと鳴った。ごくりと唾を飲み込んだしのぶは、声がするほうに身構えながら震える声で言った。

「……厠、探してて……」
「なんだ。そうなんですね?なら、あなたが来たほうへと戻って、反対側の角を曲がったところに厠がありますよ」

決して、その影からは視線をそらさずに、じりじりと後ろに下がったしのぶは、開いた障子が見えなくなる場所まで来ると、ぱっと身を翻して廊下をかなう限り急いだ。
つい先ほど自分が抜け出した障子のところへと戻ると、再び部屋の中へ戻って、息を整えた。

誰もいない部屋の中で、深く息を吸い込むと、ようやく落ち着いてくる。それから布団のところへと戻って、抜け出した形のままだった床の中に潜りこんだ。

「……どうしたの。眠れないの?」

ふわぁという欠伸とともに、藤堂の声が暗い部屋の中から聞こえて、しのぶはまだ震える体を抱きしめながら布団の中で首を振った。決してその姿は藤堂には見えないのだが、それでもよかった。

「違うよ。厠だよ。迷っちゃって」
「そっか。じゃあ、大丈夫だよ」
「うん」

そういって、しばらくすると再び藤堂の寝息が聞こえ始めた。
ようやく、ほっと息をついたしのぶは、布団の中で膝を抱えるようにして目を閉じた。

―― 大丈夫!あの声は何も見なかったことにしてくれるって言ってたし!

がたがたと震えながらきつく目を閉じたしのぶは深く後悔していた。これが夢なら、覚めてほしい。
そう長くはない夜が過ぎていく間に、いつの間にかしのぶは眠りに落ちていた。

 

 

 

すぐ間近で聞こえる、聞きなれた寝息にセイは重い瞼を押し上げて、薄目を開けた。

「っ?!」

本当に、目の前に総司の喉元があって、驚いたセイが飛び起きて離れようとすると、がつっと何かに頭をぶつけた。

「いたぁ……」
「痛いです……」

耳元に近いところから聞こえた声に、再びセイが飛び上がるほど驚いた。

「ひっ?!」
「……ひっ、て……・。頭突きで人を起こした挙句にひどいじゃないですか」

これが起き上がっていたなら、飛び起きて離れるところだが、今は横になっていて、肩口まですっぽりと布団にくるまれていればそうもいかない。ぱくぱくと口だけを動かしたセイに、ごき、と目の前の人が動いた拍子に、関節がなった。

「沖田せん……。ひぇぇっ!!すみませんっ!!」

今度こそ跳ね起きたセイが、布団の上に手をついて深々と頭を下げた。
すっかり眠っていて気付かなかったが、いつの間にか総司の腕を枕にして眠っていたのだ。セイに腕を提供した総司が一晩中腕と肩を動かさなかったために、すっかりと凝ってしまっていたらしい。

「神谷さん、初めは枕してたんですよ。でも、いくら直してもすぐにごろごろ転がっていっちゃって、寒いのに布団も蹴飛ばすから大変だったんですよ」

普段もセイは隊部屋でよく、布団を蹴飛ばすことが多い。だが、今日は夢の中で日中あったことを反芻したのか、ずっと動き回っていて、これでは寝ていても休まらないのではないかと心配になるくらいだった。

「……申し訳ございません」
「いいですけどね。土方さんの具合も薬湯を飲ませ続けたので、大分いいみたいですし?」
「……返す言葉も……」

土方の面倒を見ると言っていたのに、いつ眠ってしまったのかも覚えていないくらいぐっすり眠りこけるとはなんとい鵜ことだろう。代わりに一晩総司が 土方の、面倒を見て、セイを寝かしつけていたのかと思うと、穴があったら入りたい、なかったら掘ってでも入りたいくらいだった。

布団の上に胡坐をかいた総司は、ごきごきと盛大な音をさせて首を回しながら目をこすった。

「いいんですよ。ちょっと首と肩が凝ったくらいですから」
「……」
「でも本当にあんなに無防備に寝てるなんて神谷さんも緊張感のかけらもないというか、大物ですよねぇ」

ちくちくと大分嫌味の効いた総司の言葉をセイは、布団に額をこすりつけて聞いていた。

 

– 続く –