鬼の日 3

〜はじめの一言〜
温泉じゃなくても、この時代、今ほど簡単に風呂には入れませんでしたしねぇ

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奥の部屋から乱れ箱を持ってくると、そこには着替えの浴衣と手ぬぐいなどが揃えられた。黙って見ていたセイは、疑問でいっぱいになって総司と女中の顔を見比べた。

「あの……」
「どうぞ。こちらお使いくださいね。お風呂も今沸かしておりますから、ご用意ができましたらまたお知らせに上がります」
「いや、え、あの……」

なんで着替えがとか言いかけたセイの話は全く聞かずにてきぱきと部屋を整えた女中はさっさと部屋を出て行ってしまった。その後ろ姿を見送るとセイはくるっと総司の方へと向き直った。

「沖田先生?!これはいったい……」
「まあ、落ち着きなさいって」
「落ち着けって、なんなんですか?!」

腰を上げかけたセイを押しとどめた総司が笑いながら話し出した。

「いつも神谷さんが頑張ってくれているおかげで屯所の中がきれいになっているわけじゃないですか。今日も大掃除の取り仕切りに頑張ってくれているから、神谷さんを労ってほしいと皆さんに頼まれたんですよ」

かつてのセイならこの総司の説明に感動して泣いていたところだろうが、それを聞いてすぐ、セイの顔がうさん臭そうに歪んだ。伊達に古参になったわけではない。

「てことはあれですか?私を追い出して皆で適当に済ませようっていう……」
「な、何を言ってるんですか。そんなことはありませんよ。土方さんだって言ってたんですから」
「え~?鬼副長が言うことなんて、きっとまたお小言じゃないんですか?」

じろりと疑り深い顔で総司を見たセイに慌てた総司は、仕方なく内緒ですよ、と口を開いた。

「俺がいつも怒鳴らずに済むのは神谷が見ていてくれるおかげだって」
「えっ、あの副長がですか?」
「ええ。あの通りの人ですからね。神谷さんには黙っているように言われたんですけど」

ぎらぎらと疑っていた顔からゆっくりと解けていき、驚いた顔でセイがぽーっと総司を見た。にこっと笑った総司はつづけて、懐から寸志として預かってきた金を見せる。

「私は神谷さんの接待役を仰せつかったんです。これは皆さんからの気持ちですよ。土方さんのも入ってます」
「そんな……。私はただ、仕事をしただけで」
「仕事だけじゃない神谷さんの気配りに皆感謝してるんです。遠慮なく受けてください」

すっかり疑いの解けたセイの顔が今度はへの字に歪んだ。
いつも皆にうるさいと思われているのだろうと思っていたのに、こんな風に感謝されるなんて思ってもみなかった。

「だから、皆さん、残りの掃除は自分達がやるので、神谷さんをゆっくり休ませて欲しいって……、なんで泣くんですよぅ」
「うぇぇ……」

ぼろぼろと泣き出したセイの頭にぽんと手を乗せた総司は、よしよしとその頭を撫でてやった。
実際には、皆、半分追い出すような状況ではあったが、セイがやってくれるさまざまな雑用に感謝していることは確かだった。それでなければ、これだけ寸志も集まらなかっただろう。

「泣くところじゃないでしょう?貴女がしてくれていることはちゃんと皆わかってますから」

ぐしゃぐしゃの顔をセイが手で拭っていると、先ほどの女中が現れて湯が沸いたとつけた。総司はセイの分の着替えと手ぬぐいを差し出した。

「さ、こんなときくらい、埃も落としてゆっくりと入ってらっしゃい」
「で、でも」
「私も後でお風呂、いただかせてもらいますから。気にせず貴女はきれいなお湯でゆっくりしてらっしゃい」

いつも屯所の風呂を使うときは、総司に見張りをしてもらって入るわけだが、皆が入り終わった後の残り湯ばかりだった。それを一番湯に入ってゆっくりしてもらうというのも一つだった。

総司に押し出されてセイは離れの部屋に続いている風呂へと向かった。ごくたまに総司に連れられて湯を使うことがあったが、こうして連れてこられるとどうしていいかわからない。

妙に気恥ずかしい気がしたが、誰にも気兼ねせずに入れる風呂というのは、冬場だけに本当にありがたかった。手早く着替えをまとめると、湯けむりの立ち込める湯殿に入った。
頭から埃まみれだった全身を湯で洗い流すと、湯をかぶったセイは湯船には入らずに丹念に流しただけで湯殿をでた。後で総司が入ると言っていたので、自分が入った後に総司が入るということが申し訳なかったのだ。

着替えを済ませて部屋に戻ると、総司が羽織を脱いで寛いでいた。茶と茶菓子が運ばれてきていて、着替えを手に戻ったセイを見て、にこっと総司が笑った。

「もっとゆっくり入ってきてよかったんですよ?」
「とんでもないです!お先に頂かせていただきました。先生も入られるんですよね」
「ええ。じゃあ、私もお風呂いただいてこようかな」

セイのために湯冷ましを差し出した総司は、手拭を持って立ち上がった。
恐縮している間に、さっさと袴を脱いで湯殿へと総司が向かった。いたたまれなくて、セイは自分の着替えだけでなく総司の袴もきちんとたたんで、部屋の隅に座って見たり、上座に座って見たり、どうにも落ち着かない。

ため息をついてセイは初めに自分が座らせられた場所の近くにちょこんと座って待つことにした。

脱衣所で着物を脱いだ総司は何気なく、当り前に湯殿に入ってからそこにほのかに漂う甘い空気にどきっとする。そういえば、総司が先に入ることはあってもセイが先に入るということは今までなかったのだ。

セイが入っていたかと思うと、下手な春画を想像するよりも照れくさい。勝手に頭の中に浮かんでしまう妄想に頭を振った総司は、ざばっと勢いよく湯を被った。
急いで湯船に入ったが、どうにも頭から離れなくなってしまって、頭のてっぺんまで湯に浸かってから耐えられずに、ざばっと上がった。

濡れ髪のままで部屋に戻ってきた総司は、ちょこんと座っていたセイを見て、かぁっと赤くなった。

「い、いいお湯でしたね」
「はいっ」

妙な気恥ずかしさが漂って、総司は乱れ箱にばさっと放り投げると先ほど座った場所へと座りなおした。
総司が風呂に入っている間に襟元で髪をまとめたセイは、立ち上がると総司の後ろに回った。手拭で濡れた髪を拭うのを手伝う。

「あ、いいですよ。神谷さんは今日は接待される方ですから」
「このくらいさせてください。櫛を入れても?」
「すみません。お願いします」

何もしないよりはかえってその方がまだ落ち着く。セイは懐から小さな櫛を取り出すと、総司の髪を梳いて同じように襟元で一つに結んだ。

そして、総司が放り出した長着を畳み始める。

「神谷さん~、それじゃあ私の立場がないじゃないですか」

接待するはずの総司が接待されているようで落ち着かないという総司に、セイは平然と言い返した。

「十分、ゆっくりさせていただいてます。このくらいしてないと本当に落ち着かないんです」
「そうはいっても……。あ、ご飯!夕ご飯、楽しみにしてくださいね。おいしいものをお願いしておきましたから」
「はい。お菓子もおいしかったですよ」

品のいい練り切りは、先ほど先に総司も口にしていた。長着を畳み終えると上座ではなく、総司の左手に腰を下ろす。
上座にと言いかけたが、この方が差し向かいで座るよりも、なんだか近しい気がして、そのまま黙った。

「なんだか、屯所にいたらこんな時間にぼうっとしていることなんてないですよねぇ」
「ははっ、確かに神谷さんはいつもなにか働いてますよね」
「だって……。もう入ってからずっとそうだったので今更、動かないでいるのは落ち着かないんですよ」

困った顔のセイに総司は、手を伸ばして頬に後れ毛を流してやった。

「働きすぎなんですよ。たまにはこういう時間も必要でしょう?」
「そんな先生方に比べたら私なんか全然ですよ」
「そんなことはありませんよ」

頬に触れた総司の手に動揺したセイが顔を伏せると、しみじみとその横顔を眺めた。近頃では、すっかり変わってしまったその横顔にじっくり眺める時間などなかった。

―― 綺麗になった

セイと共にこんな風にゆっくりする時間が持てるなんて考えたこともなかっただけに、なんだか不思議な気がしてぼうっと眺めてしまった。

「……なにかついてますか?」
「え?ああ、いや、神谷さんも大人になったなぁと思って」
「そりゃ、私だって歳とりましたもん」

ぷん、とセイが横を向いたところに女中がやってきた。

「少し早いですけど、始めさせていただきます」
「お願いします」

懐石風にゆっくりと進む食事を楽しむと、セイも総司もあまり酒は飲まなかった。料理を楽しむ方がよかったからだ。

– 続く –