種子のごとき 10

〜はじめの一言〜
一度こじれたものはなかなか修復できなくなるものなのです

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一度、芽吹いてしまった芽を摘むことは容易ではない。それは彼らの日々の仕事である不逞浪士達を取り締まることと同じようなものだ。
たとえ、心に掲げるものが同じだとしても、怒りや妬み、嫉みという感情を刈り取る作業は簡単ではないのだ。

「くそっ」

大概のものは器用にこなす浅羽だったが、洗いあがった総司の着物に火熨斗を当てようとして四苦八苦していた。長着はただまっすぐにあてればよいのだが、袴は折り目があり、それがうまくいかないのだった。

基本的には自分のことは自分でするのが当然の隊部屋では誰も手を貸すことはない。自分も同じ立場なのだ。

「あの……、お手伝いしましょうか」

苛立った浅羽が汗だくになって火熨斗を放り出しそうになっていると、おずおずとセイが声をかけてきた。近頃では浅羽に気を遣ってなるべく用がなくても隊部屋にいないようにしてきたセイだが、廊下を通りかかって見かねたらしい。

セイに声をかけられたという事だけでも苛立ちを感じたのだが、それを表に出すほど大人気なくはない。軽く下を向いているうちに舌打ちをしたものの、穏やかに顔を上げた。

「神谷さん。ありがとうございます。どうにも私はこれが苦手だ」

浅羽が普通に応じたことにほっとしたセイがすぐ浅羽の目の前に膝をついた。火熨斗を受け取ると袴の折り目を整えて、きれいにあてていく。

「どうしてもうまくいかないときは、固く絞った手拭いを当てるといいですよ」
「きちんとやっているつもりなんだがな」

ただ、セイは話しづらいと勝手に身構えてしまっていた浅羽が普通に応じてくれたのが嬉しかったために、浮かれていたのかもしれない。良かれと思って コツを伝えようとしたセイのいちいちが浅羽の目から見ると、こんなこともできないのかという嫌味に感じられて徐々にその声音が固くなっていく。

「初めにこの折りを整えたら一息にあててしまうといいんですよ」
「……」

―― そんなことくらい俺にだってわかっている

じりじりとした苛立ちが浅羽を襲う。いちいちが癇に障るのだ。浅羽にしてみれば何を先輩風を吹かせて、えらそうに指導しているつもりになっているのだと思う。
当のセイからすれば、話ができたと浮かれて良かれと思ってのことなのだが、ねじれた水路を流れていくように、話は予想しない方向へ流れて行ってしまう。

「初めに折りを整えているようには見えませんか。この程度のことにうまい下手もないとは思うが」

売り言葉に買い言葉ではないが、浅羽が突っかかるような物言いを始めればセイもあまり面白くはない。せっかく教えているのにという気持ちにもなる。 セイも、こんなつまらないことでと思ってはいるのであまり態度には出ないように気を付けるがどうしても手先も荒々しくなってしまう。

「うまくいかないのは得手不得手というのではないでしょうか。まあ、大丈夫ですよ。人間、何でも完璧にこなす人なんていませんから」

浅羽の態度と物言いにむっとはしたものの、セイとしてはそれは互いに補えればよいのだと言いたかっただけだった。だが、その一言が浅羽には決定的な一打になる。

「それは申し訳ない。俺は不完全な人間だからな」
「えっ?あっ、そういう事ではなくてですね」
「以後、気を付ける。不完全な者が迷惑をかけぬようにな」

浅羽の口調に違うものを感じたセイがはっと顔を上げると、まなじりを上げてぎらぎらとした視線を向けている浅羽に慌てた。
誤解だと言おうとしたセイを遮って、浅羽はセイの手から火熨斗をもぎ取るように奪い取った。その際、セイの右手の親指の付け根あたりに火熨斗が触れて、慌ててセイが手を引いたのをさらに浅羽が誤解をしてしまう。
まるで、受け渡すのが嫌で放り出したと勘違いしたのだ。

「俺が気に入らんなら手助けなど無用。さっさと行ってくれ」

目の前で一つの着物に向かって双方から屈み込んでいる格好になっていたセイを片手で突き飛ばすと、再び火熨斗をかけ始める。浅羽に肩のあたりを突かれて後ろに倒れかけたセイは、呆然としてから這うようにその場を離れた。

―― なんで??私、今何を言ったんだろう?

セイにとっては浅羽の胸の内に積もり積もった苛立ちなどわからない。ましてや、浅羽にとってはこれだけ浅羽からは行き届かない点が目につくセイが総 司の愛弟子である立場さえ腹が立ってくることなど、セイには全く関係のないような話ではあるのだが、人がこじれるときなどはこんなものだ。
一見、理不尽に見えても片方からすれば非常に納得のいく状態なのだろう。

つい先だって、総司から呼ばれてセイと浅羽が互いに何を対応してどれをどちらなのかきちんと住み分けをして、相手先にもきちんと挨拶をするようにと言われたばかりだった。

それだけに、こんなことを総司に話しても、愚痴にしかならないような気がしてセイは幹部棟の小部屋へと逃げ込んだ。
仕事なのか、それとも単なる個人的なことなのかも境界線が分からなくなる。

頭を抱えたセイは、部屋の中で小さく蹲った。自分など誰にも見つからなければいいと思う。
決して浅羽が陰湿だとは思わないにしても、こんな諍いともいえないようなことはセイにとって、今までになかったことで、自分の中でも迷子になってしまったかのようだ。

愚にもつかないとはいえ、セイにとってはどうしようもなくやりきれない時間を過ごした後、太鼓の音を耳にしてセイは立ち上がった。土方に茶を入れるのは仕事ということではなくセイのせめての砦のようなものだった。

賄いで茶を入れて、茶菓子と共に副長室へ運んだセイは、廊下から声をかける前に部屋の前にしばらく座って様子を窺った。
立て込んでいるか、用談中ではないか、声をかけるにしてもその前に少し気配を窺うのと窺わないのとでは違う。

「神谷、構わんぞ。入れ」

時たまこうして先に気配を読まれて先に声をかけられることもある。いつもなら油断も隙もない鬼副長と思うところだが、今はなぜかほっとしてセイは部屋に入る。

茶と菓子を差し出したセイは、土方の文机の周りが何時になく散らかっているのを目にした。

「お忙しいところお邪魔したでしょうか?」
「いや、調べ物をしていてな。すまんが、ちょっと片付けてもらえるか?」
「承知しました。このあたりはもうお済みなのでしょうか?」
「ああ。奥に積み上げておいてくれればいい」

運んできた盆を置いて、すぐ土方の傍の書類の山を片付け始める。何気なくあてにされ仕事を言いつけられたことがうれしかったが、実はそうではなかった。土方がわざわざセイが来る前につみあがった書棚から適当に資料を持ってきてあたりに散らかしておいたのだ。

資料を重ねている間に、同じような資料がまとまってあることにセイも気づいたが、探し物が関連するどこかにあったのだと自分に言い聞かせて、無心に動いた。

 

幹部棟にいた総司は、セイが小部屋に逃げ込んだことも、その後副長室へ茶を運んで行ってなかなか出てこないことも見届けていた。
何度も手を伸ばしそうになって、唇を噛み締めて堪えるのを繰り返す。

セイが逃げ場を求めて数少ない、平隊士ではなかなか容易に出入りできない幹部棟へと向かうことも想像はできた。本当ならその前に自分がセイを誘って、話を聞いてやればよかったのかもしれないとも思う。

だが、総司も途中から迷いが出始めたのだ。初めは、浅羽がセイを気に入らないだろうことも想像がついたし、セイと浅羽はきっと相容れないだろうということも予測はついた。
だが、セイにはそういう相手もいるのだと知ってほしいところでもあったので、わかっていて浅羽を呼んだ。

そして予想通りの展開になって初めて総司にも迷いが生まれた。どちらも隊士としてよく働いてくれている。過不足は当然あったとしても、セイも浅羽も隊士としては十分なくらいの働きをしている。

しかし、今総司の心境としては、セイを庇いたくなる。慰めたくなる。

これが明らかな私情であれば、むしろ良かったのかもしれない。互いにやっていることは間違ってはいない分、余計に何と言っていいのかわからなくなる。

「神谷さん……」

 

– 続く –