小さな背中 7

〜はじめの一言〜
拍手お礼文より。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

「よ」
「……中村!」

暮れかかった屯所に戻ったセイを大階段の前で蹲っていた中村が待っていた。片手をあげて声をかけた中村が、抱えていた膝を離して立ち上がった。

引き受けていた役を途中で放り出してしまったことが気がかりではあったので、セイはどうなったかと問いかけた。

「ごめん!あの……あんな風に放り出して……」

俯いて詫びたセイに、思いのほかすっきりとした顔で中村が手を振った。

「謝るなよ。いいんだって。母ちゃんにはとっくにばれてた。馬鹿だって怒られたよ」
「そうなのか?!」

自分があんな風にいなくなったせいでばれたのではないかと、申し訳なくて顔を上げたセイに、にっと笑って見せる。こうして、いくら自分の事をやいのやいのと言って、殴ったり蹴ったりしていても、中村の事も、中村の母の事も心配してしまう。

―― そんなお前だから、やっぱり俺は好きなんだぜ

こんな場所でそんなことを言えばまたセイを怒らせると胸の内で呟いた中村は、腰に手を当てて胸を思い切り張って見せた。

「そりゃ、こんな俺の事をずっと見てた親だぜ。でも、頑張れって言ってもらったからいいんだ」
「頑張れって……。そうか」

何に頑張れと言われたのかはわからなくとも、中村が久しぶりに会った母と、結果的にいい時間を過ごせたならそれでいい。ほっと力が抜けたセイの口元に笑みが浮かんだ。

「よかったな」
「ああ。お前もありがとうな。俺のためじゃなくても、嬉しかった!」

―― お前の女子姿がみられてさ

ここではもっと言えない言葉を胸に刻んで晴れ晴れとした中村が笑う。いつまでも、あの姿を胸に焼き付けておきたいと思う。そして、もっとあんな姿でなくとも、自分に向けて笑ってくれるように。

「沖田先生にも話してきたからさ。お前は気にしなくていいからな」
「えっ?!だって、沖田先生、怒って……」
「もう怒ってないさ。だからお前は気にせずに戻れよ」

セイがそのわけを聞くよりも先に、じゃ、と言って中村は階段を上がっていってしまった。総司と話をしたという中村の言葉が気になって、セイも階段を上がると隊部屋へと向かった。

「おかえりなさい。神谷さん」

いつもの穏やかな顔で迎えられたセイは、かえって戸惑いを感じて視線を逸らしながら応じた。すでに夕餉の支度で皆が行燈を運んだり、動いていたので とりあえず持ち帰った羽織は行李にしまって、セイも動き始める。慌ただしい支度の後、いつもと変わりない夕餉を済ませるとセイは総司に近づいた。

「沖田先生。少しよろしいでしょうか」
「……いいですよ。ちょっと出ましょうか」

気を使って、人気の無い奥の蔵の方へと向かった総司は薄明りの中で振り返った。

「さ。どうしました?」
「あの、これを……」
「ああ」

行李から持ってきた総司の羽織を返したセイに、総司が手を伸ばした。受け取った手の上で広がった羽織からふわりと嗅ぎ慣れた香りが漂う。その香りに総司が一瞬、目を見張る。

セイが戻ってくる前の中村とのやり取りを思い出した総司の顔に柔らかな笑みが浮かんだ。

「沖田先生。ちょっといいですか」

屯所に戻った総司を中村が待っていた。お里のところで足止めされていたから総司よりも、早く戻っていたらしい。
ぴりぴりとした空気を纏った総司に臆することなく中村は総司を中庭の方へと誘い出した。総司を目の前にして、中村がばっと頭を下げた。

「申し訳ありませんでした!」
「中村さん……。あなたが謝ることなんか」
「いいえっ!俺が余計な見栄を張って、それを神谷に頼んだりしなかったら神谷だって、無理してあんな真似しなかったと思うし」

ふい、と顔を背けた総司の顔には真顔の中に不快さが混じっていて、それが悋気だとようやく自覚したばかりの総司に向かって、中村がもう一度頭を下げた。

「申し訳ありませんでした!」
「もう……、いいんですよ」

面倒臭そうにそっぽを向いた総司の腕をぐいっと中村が掴んだ。

「なにがいいんだよ!」

本気で掴まれた腕に苛立ちのまま反応した総司が、腕を振り上げてくるりと袖巻返しの逆をいくように中村を投げ飛ばした。
地面に這いつくばった中村がぐいっと頬についた土を拭うと起き上がった。

「いい加減にわかれよ!!……わかってくれよ。それだけ神谷の事が大事なら、ちゃんと自分が神谷に惚れてるって。どうか、頼みます!俺、それだけは……。全然、神谷を諦めるなんてできないけど、でもあんたがそれを自覚してくれるなら、正々堂々と戦いますから!!」

土のついた着物をはらうこともせずに、中村が途中から深く頭を下げた。

「先生?」

手渡された羽織を手に微笑んでいた総司に向かってセイが問いかけた。
はっと我に返った総司がセイの月代をそっと撫でた。

「ちゃんと、言ってあげてませんでしたね。神谷さんの女子姿、かわいらしかったですよ」
「え……」
「もっとちゃんと見てあげたかったのに。つい、むきになって貴女に当たり散らしてしまった。ごめんなさい、神谷さん」

驚いたセイが目を丸くしていると、総司がセイの前髪をかき上げた。昼間、額を出して女髪に結い上げた姿を思い出す。

「先生が謝ることなんて……」

自分が言ったことと全く同じことを口にしたセイに、ぷっと吹き出した。
素直になってみれば、こんなにも自分は日の当たるところで太陽を求めていたのだ。

「これ、神谷さんの香りがしますね」
「あ、はい。お里さんがお借りしたものをお返しするのにそのまま返すのはっていうので。私と同じじゃお嫌かもしれませんけど……」

不安そうな顔を向けたセイにふわりと笑うと、羽織を胸にぎゅっと抱きしめた。

「嬉しいですよ。神谷さんが傍にいてくれるみたいです」

どきっとするくらいの笑顔を向けられたセイが、なんだかよくわからないまま、真っ赤になった。総司の急な変化についていけなくて、どぎまぎした胸を押さえる。

「急に、どうされたんですか?」
「いいえ。中村さんに教えられただけです。だから少し素直になることにしたんですよ」
「素直?」

目を丸くして何が何だかわからずにいるセイに悪戯心を起こした総司が手にしていた羽織を着せ掛けた。

「え?ちょ、先生?!」
「神谷さん、大好きですよ」
「えっ?えっ?!あのっ?」

慌てふためいたセイがすっかり動転してしまっているのに構わず、ぎゅっとセイを抱きしめる。
腕の中で震えているセイがこんなにも愛おしいと思っていた自分に驚く。閉じていた目を開けばこんなにも世界が広がる気がする。

「沖田先生?」
「この香、すごく幸せですよ」

満足そうに一人納得している総司がわからなかったが、今は総司が怒っていないことだけでセイには十分だった。

―― お里さん、やっぱり先生と話してみてよかったよ

どちらも、考えていることは違っていても、その想いは同じで、同じように幸せを噛み締めていた。

– 終わり –