迷い路 39

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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少し早い時間に総司は蔵にセイの夕餉を運びに現れた。
内戸を引いて現れた総司に端座していたセイは少し驚いて顔を上げる。

「神谷さん。少し早いですが、夕餉を置いていきます」
「はい。あの、何か……?」
「いえ……。私はこれから少し出かけますので、何かあれば今のうちに」

どこに出かけるのか問いかけたかったが、総司の態度はそれを許す気配ではなかった。先に厠に寄らせてもらったセイは、ついでに顔を洗うと再び蔵に戻る。
セイが中に入ると、総司は内戸を閉めて表から錠をおろした。

「戻ったらまた来ますね」

セイに声をかけると総司は隊部屋に戻ってもう一度着替えを済ませると、廊下に出た。

「用意できたか」
「いやだなぁ。見張ってたんですか?」
「たまたまだ。支度ができたからお前を呼びに来たんだ」

肩を竦めた総司を伴って土方は屯所を出た。
二人の足は思う以上に重かった。総司だけではなく土方まで重いのは、総司でなければわからなかっただろう。

「土方さんらしいですね」
「あ?」
「気にしてるんでしょう?」

きゅっと胸元の合わせをつまんだ土方は、しばらく間をおいてからぽつりと言った。

「……お前じゃあるまいし」

耳元に届いた言葉に総司は、小さく息をついた。
セイに夕餉の支度を届ける前に、山崎からの急ぎの文が届いたのだ。

紅糸が、置屋の若い衆の隙をついて腰紐で首を吊ったと書かれていた。土方は総司を呼ぶと、なんでもないふりを装ってその文を見せてから今日も出かけると告げた。

「後悔してるんじゃありませんか」
「俺が?冗談だろ」
「いいえ。土方さんは優しいからなぁ。一目あってやればよかったと思ってるんじゃありませんか」

総司のからかうような物言いに、ふん、と鼻を鳴らす。土方が答えたくない時にする癖だ。

紅糸が首を吊ったというならなぜわざわざまた立花屋に向かうのか、総司には二つのことが頭にあった。だてに九つの時からの兄分ではない。

だからこそ、立花屋に向かう土方の足が重いのはそのせいなのだ。

 

土方と総司に店につくと、奥から女将が飛び出してきた。泣きはらした目ではあったが、しっかりと化粧をして着物も取り乱していないところがさすがである。

「土方副長はん、沖田先生、うちの妓がとんだご迷惑を……」

店先ではあったが、とにかく詫びを入れなければと深々、手を付いた女将に頷いた土方は低い声で手を合わせられるかと告げた。

「もったいないことを……。わけは山崎先生からお伺いしとります。どうぞこちらへ」

それぞれに刀を預けると、女将のあとについて一番奥まった、布団部屋の脇の小さな小部屋に向かった。部屋に近づいたあたりから、微かに線香の匂いがしている。

すす、っと襖を開くと、先に土方と総司を促す。三畳ほどの狭い部屋の真ん中に布団が敷かれていて、そこには白い布をかけられた紅糸が寝かされていた。
枕元にはろうそくと線香が立ててあり、入れ替わり立ち代わり、妓達が線香をあげたようだった。

「ほんに阿呆な妓や……。もともと禿からここにおった子やから、客に惚れたらあかんことも十分にわかってたはずやのに、なんでこないな大それたことをしでかしたんかわからしまへん」

山崎が戻った時には、すでに大騒ぎの中で紅糸をおろし、部屋を用意するのなんのと店の中は慌ただしくなっていた。急ぎ、土方に文を出した山崎は町方に話を通す前だったこともあって、内々に処理ができる様に取り計らってやったのだ。土方の返事を待たないうちの行動だったが、土方から否といわれることはなかった。

おかげで、こうして小さいとはいえ部屋に寝かされ、供養してもらえているのは、紅糸にとっても店にとっても幸運だった。

「副長はん。それで町方の方へは……」

店の妓が、という言い訳が通用する時代ではない。店自体が潰されてもおかしくはないのだが、とにかく供養が先だと部屋を整える手筈をした山崎はとうに店からでていて、土方の指示に従うようにと言い置いてあった。

「こんな妓一人が何を言っても、所詮は寝物語。仮にも新撰組の隊士が、そんな戯言を本気にするわけがないだろう。ただ、俺は声をかけていた妓が亡くなったと聞いて、立ち寄ったまでだ」
「……ありがとうございます!」

開けたままの廊下に座っていた女将は、板の間に深々と頭を下げた。借りを作りたくない相手ではあるが、この場合は何よりありがたい。大きな借りを受けた女将は、廊下の方から妓が来たと知らせを受けて二人を促した。

何度か来た時とは違う、少し手狭な部屋に案内した女将は、すぐに酒を運んでくるといって下がっていく。

「入っていいぞ」

女将が襖を閉めて行ったにもかかわらず、上座に腰を下ろした土方が唐突にそう言うと、横に座った総司はまっすぐに前を向いた。決して部屋の入り口は見ないように。

しばらくして、ふいに襖が開いて女将よりも先に艶やかな着物の桜香が姿を見せた。

「お膳もまだやのにすんまへんなぁ」
「いや。いいさ。今日ばかりはそんなに長居をする気にはなれんからな」

どう見ても不機嫌そうには見えない土方の傍へ堂々と桜香は腰を下ろした。胸の前で結んだ帯を整えて、にこりと微笑んだ。総司の真正面にあたる場所に腰を下ろしていて、土方の両脇を固める格好になる。そこに膳が運ばれてきて、桜香は膝をついてにじり寄ると、土方に酌をした。

「今日はえらいお二人ともご機嫌さんどすなぁ」
「さっき下で線香をあげてきたからな。これは清めだ。お前も飲め、総司」

盃を軽く上げた土方をみて腰を上げかけた桜香に総司が初めて顔を向けた。片手をあげて制止すると、自分で酒を注いだ。

同じ店の妓が死んだというのに、そしてその妓のために線香をあげてきたという土方と総司を前に、桜香は平然と微笑みを浮かべる。総司にはそれがとても不快でならなかった。

さすがに土方も向こうを張るほど平然と盃を傾ける。

「顔色も変えないとはお前さんも大した妓だな」
「いやぁ。そう言わはっても、うちはきれいな夢を売る妓どす。悲しい顔をして、どうして夢が売れまひょか?」

たん、と音を立てて盃を置いた土方は、懐から白扇を取り出すと、しばらく、開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していたが、ぱちっと扇を閉じる。その白扇で桜香の顔をくいっと自分の方へと向けた。

– 続く –