風天の嵐 25

〜はじめのつぶやき〜
改訂版です。

BGM:嵐 迷宮ラブソング
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長い話を終えて、総司は乾いた口に茶を流し込んだ。

しばらくは誰も何も言わなかったが、松蔵だけは何か言いたそうに身を捩った。部屋の中からは見えない様に廊下に控えていたが、本当なのか、そんなことがと言いかけたがどういっていいのかわからない。

足を組んだ膝の上に肘をついていた浮之介が頬杖をついたまま、じろりと土方を見る。

「土方」
「は」

浮之介の口調に土方は手をついた。遊び人の姿で、町人を装っていても、今の口調は人に命じる事を常とし、己の責務を背負った一橋慶喜の声だった。

「俺を呼び出したからには、確かなんだろうな?」
「もちろんです」

浮之介という人物ならば町人だとしても、それは仮の姿であり、建前であって、その実は慶喜本人だとわかっていて、呼び出した。本来ならあり得ないことだが、今は使える限りのつてを頼らなければならないなら、それを使うことを躊躇うことはなかった。
そして、浮之介もそれに応えたからこそ今、ここにいる。

「暮れもあと三日だ。明日も明後日も俺は登城しなければならん。当然、正月もな。ならばその場に奏者番がいてもおかしくはない」

城に鳴澤家当主彬光を呼び寄せるというのか。
土方と同じように手をついていた総司がちらりと伏せたまま土方へと視線を送る。腕を組んだ浮之介が、茶に手を伸ばしてごくりと飲み下す。

その気配に、土方が顔を上げた。尊大に見下ろす浮之介と目があった。

「明後日、登城と共に不審な者の出入りがあるという鳴澤家の捜索をしろ。俺の名前をだしていい」
「!!」

鳴澤家の当主を家から引っ張り出すということが可能であれば、なんとかセイ達、囚われた女達を救出する機会ができると思ったが、名前を出してもいいという。

「若、それは……」

慌てた松蔵が、膝を進めて割って入るが、そんなことはもとからわかっている。松蔵の顔を見てから、浮之介は土方へと視線を戻す。その眼には、土方の覚悟もすでに見抜いていた。

「もし踏み込んで何もなければ、その時はどうすればいいのか、こいつらはわかってる。そうだろう?土方」
「はっ」

頷いた土方を前にして、恐ろしいほどに素早く思考を巡らせた浮之介は、すでに鳴澤家当主を呼び出す口実も考えているらしい。
すうっと息を吸い込んだ浮之介は膝を一つ打つと、立ち上がった。

「沖田」
「はい」
「俺はもう清三郎への祝いを用意してある」

赤子が生まれたときの祝いを用意してあると言われて、総司はさらに深く顔を伏せた。その様を振り返った浮之介が、続けた。

「必ずあれを連れ戻せ。そして無事に生まれたって知らせ以外俺は聞く気がないからな?」
「承知しました」

最後の最後で顔を上げた総司は、浮之介を視線を合わせた。にやりと笑った浮之介に苦笑いで応えた。
そこから、すぐ小さな総司の家の玄関へと歩いていく浮之介に、松蔵が土方と総司に頭を下げて後を追う。総司と土方も見送りのために玄関へと向かった。

草履を整えた松蔵と共に、振り返りもせずに浮之介は家から出て行った。松蔵だけが振り返り深く挨拶をしてから、浮之介の後を追って帰って行った。

「明後日だな」

ぽつりと呟いた土方に、総司は黙ったまま浮之介が去った方を見つめていた。先に部屋に戻った土方は、総司の代わりに茶を下げて、火鉢の火を落とす。
たった今までそこに誰がいたのかなど、思い出す間もないほど彼らの時間は追い立てられていた。総司が遅れて部屋へ戻ると、座布団を部屋の隅へと寄せて家を出る支度をする。

「次に戻るときは、必ずセイと一緒に戻ります」

宣言をする総司に、土方がばしっとその背を叩いた。当り前のことが当り前ではなくなった時にこそ、あるべき姿を取り戻すために動くのだ。

「当り前なこと言ってんじゃねぇよ」
「ええ。当り前だから口に出してみたんです」

共に立ち上がって、刀を手にした土方と総司は互いに視線を交わすと部屋を出て玄関へと向かう。先程、浮之介を見送ったばかりなのに、今度は自分達が出ると、戸締りをして玄関を閉めた。

 

土方と共に屯所へ戻ると、それぞれに動き始めた。幹部達を集めて、鳴澤家の周囲と隊の配置を打ち合わせる。
朝からの登城であれば、かなり早い時間から動く事が可能になるはずだ。斉藤は黒谷の抑え込みに向かったきりだったが、幹部達には鳴澤家の家の規模からして 三隊を邸内の探索に、二隊を周辺の押さえに配置することにした。総勢、五隊を投入するという大捕り物に屯所の中はざわざわと落ち着かない。

「しっかし、こんなのよくやるよなぁ」
「まあ、土方さんらしい発想っていえるよねぇ」

今回は邸内の探索が中心になるため、槍ではなく、皆、刀の手入れだけで、身づくろいも隊服と決められた。相手の家中の者達とは極力斬りあいをしないということも皆には固く言いつけられていた。

「まして、今日ってのが俺達らしいっていうか」

明後日と言えば、晦日ではないか。
一年の最後に捕り物まがいの出役とは、新選組らしいというべきかもしれない。捕り物であれば鉢金や小手などの装備も整えるところだが、旗本の邸内に踏み込むには、それらは不要だということで、着物の内に鎖帷子を身に着ける者くらいで、支度らしい支度もない。

ただ、あるとすれば整えるべきは気力というところだろう。思いは同じなのだ。こんな思いのまま年を越してなるかと思っている。

一番隊の隊部屋で隊士達に指示を出した総司は、自分の隊服を整えた。いつも、セイが急に必要になっても困らない様にと、きちんとしてくれていたが、今は山口達が総司の分もきちんと整えていた。

「まかしてください。沖田先生に恥をかかせてられませんからね」
「そうですよ。神谷が戻った時に先生に何かあったら、あいつ、めちゃくちゃ落ち込みますから!」

皆、総司だけでなく、セイの事も気遣っているのはいつもと変わりなくて、その変わらなさが総司には、ありがたかった。結局のところ、張りつめていた気力を解いて、再び強いものへと変えたのは土方をはじめとして、総司とセイを見守る皆のおかげなのだ。

―― こんなことも気づいていなかったと言ったら、貴女は笑うか、私もですって言ってくれるでしょうね。セイ

巡察や隊務に追われる合間に、皆が刀の手入れを始めている。総司は稽古着に着替えて一人道場へと向かった。竹刀を握ると、久しぶりに型を使い始めた。目の前には次々と浮かんでは消える顔がやがて黒い影になり、そして総司自身の姿にも見えた。

自分の中の弱さを打ち破って、取り戻さなければならない。

気迫に満ちた一人稽古に集中した総司は日が暮れるまで竹刀を握り続けた。

 

 

– 続く –