風天の嵐 32

〜はじめのつぶやき〜
とーちゃんがいっぱいだっていわれちゃったよ。

BGM:嵐 迷宮ラブソング
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夕餉の時間になると、手伝いの女達の膳は診療所へと運ばれた。まだ陣痛の間隔もあることだし、診療所の小部屋を産室に整えて、セイの着替えや髪を解いて首元で結うところまで済ませたところで引き上げることになった。
女達と入れ替わりに南部が駆けつけてきて、残った女手はお里とおまさ、八木家のお雅のみになる。

夕刻を過ぎると、白湯以外口にしなくなった総司に合わせて近藤も夕餉には手をつけなかった。下げられてきた膳を見て土方が苦笑いを浮かべると自分の分も運んできた隊士に下げさせた。

大晦日で除夜の鐘をつくために集まった門徒達のざわめきとは対照的に、屯所内は異様な緊張感に満たされていた。

夜半を過ぎたあたりで、巡察の隊がでていき、西本願寺との間を参拝の門徒に紛れてくる者がないように警備にあたる隊以外は就寝時間なのだが、皆、床を敷いていてもほとんどの者が眠れずにいた。離れた先で煌々と灯っている診療所の灯りをみては落ち着かない気持ちになる。

わざわざ、副長室との間の襖ではなく、廊下を回って土方が局長室に現れた。

「もうすぐ除夜の鐘だな」
「お……。もうそんな時間か」

開いた障子の向こうに灯った診療所の灯りを目にして総司は胸が絞られるような気持ちになる。診療所の小者達も随分前に部屋から追い出されたらしい。
近藤の隣に土方がどかっと腰を下ろした。

「歳?」
「さっき小者が火鉢の炭が足りなくなったってんで少し差し入れたらしい。ここのも足してもらうか?」

開けたままの障子の向こうを見ながら土方がそういうと近藤が立ち上がった。土方の部屋から火鉢を引きずってくると、そこに在った炭と元々の火鉢でおこっていた炭を入れ替えてにやりと笑った。

「これでいいだろう?」
「確かに」

ふっと笑みを交し合った二人のやり取りには全く気付かずに総司は一心に診療所の方を向いて手を合わせていた。

どうか無事に。

もうそれしか頭の中には浮かんでこない。
どこかで除夜の鐘が鳴り始めているのも聞こえていたがそれが何時だということもなかった。ただあの灯りが消えるまではその場を動くこともできずにただ手を合わせるしかない。

どれほど時間が経っただろうか。

除夜の鐘が静かになり、夜通し続く参拝の声と寒さを凌ぐために配られる甘酒に賑わう人々とは裏腹に、堪らなくなった隊士達が、一人、また一人と幹部棟の方へと歩いてきた。

「お前らもか」

原田と共に永倉と藤堂が局長室の前の廊下に綿入れにくるまって座り込んでいた。永倉の声に土方が障子を大きく開けると廊下に座っているのは三人だけではなく、正座する者、集まって屈みこんでいる者など、師走らしい寒さに震えながらも皆が診療所の方へと視線を向けていた。

土方が頷くと原田達が局長室と副長室の障子をすべて開け放って皆を部屋に入れた。これで廊下の冷え切った床の上よりはまだましである。だがそれでも当然入りきるような人数ではない。

入りきらない人数はすべて廊下に溢れだし、小者達は草履をはいて中庭に集まり始めた。当然、薄暗い中に誰いうことなく、篝火を焚き見守り始めた。

その人の数にため息をついた土方が賄の小者を掴まえて、皆に熱くした酒を振る舞うように指示すると、珍しいことに小者達が集まってきて断固拒否を告げた。

「副長。お気持ちはわかります。ですが、酒は、せめて夜が明けるまでは待たせてください」
「お前ら……」
「きっと先生方や皆だってそうだと思います。祝い酒にしたいんです」

初めは一人だけだったが、すぐに他の小者達も集まってきて、一斉に頭を下げた。その姿を見て、舌打ちをした土方が、仕方ねぇと呟いた。

「お前ら、馬鹿ばっかりだな」
「そりゃあもちろん!親玉は局長と副長ですから!!」

破顔したその顔が並ぶのを見て、ちっともう一度舌打ちをした土方は再び局長室へと戻る。ちょうど丑三つを過ぎる頃、にわかに診療所の中が慌ただしくなった気がした。

小部屋は幹部棟からは離れた奥側になっていたが、薬棚もすべて移動されて今は、つい立てを置いたほぼ一部屋の状態になっているはずだ。

 

「おセイちゃん!しっかり!!ほら、あと少し!」

痛みの感覚が短くなり、徐々にセイの腹のふくらみが傍目に見ていても移動してきたのがわかる。初めは胃のあたりから背中のあたりが痛んでいたものが、今はもうどこが痛いのかわからないくらい、腰から下腹部が絶えず痛みの波に襲われていた。

「はいよ!おセイさん!!いよいよですわ。こっからがきばりどころや!!」

産婆がセイの足の方へと回り、様子を見ていると胎内から温い液体が大量に溢れてきて、ついに破水したことがわかる。
細い竹を噛み締めて、意地でも悲鳴を上げたくないと思っていたセイだが、体中を絞られるような痛みに徐々にくぐもったうめき声をあげるようになってきた。

「おセイさん。かまわへんから痛いて言うて大丈夫!」

もう一つ、セイがいきみやすいようにと本来は天井から吊るすところだが、ここではそれができないために竹の棒を手拭で縛った物をお里とおまさが両方から引っ張っていた。
そして、額に浮かぶ汗をお雅が時折拭ってやっている。暑すぎず、寒すぎない様に火鉢を加減してはいたが、痛みとそれによって自然に力んでしまうために、もうセイは汗だくになっていた。
そして、時々、強い痛みに引きずられて呼吸を止めてしまい、意識を失いそうになると南部か松本がセイの顔を叩き、意識を呼び戻す。

「よーし、よし。さあ、ややがきはりますえ!もう好きなだけ、いきんでええよ!!」
「おセイちゃん!ひっかいてもええよ!あと少し!」

もう、セイには誰が何を言っているのかはわからなかったが必死に言われるまま、痛みの波に乗せていきみ始めた。今までは痛みと自然に力んでしまうのを逃がすのが難しかったが、もう痛みの波に合わせればいい。
不思議なことだが、月昇るのに合わせて徐々に痛みは強くなり、朝が近づくにつれて終わりが近づいてきた。

「ふぅぅぅっっっ!!」
「そーれっ!!!」

セイが力むのに合わせて、産婆が補助していると赤子の頭が徐々に見えてきた。。

痛い。痛い。

もうセイの頭の中にはそれしか浮かばなかった。セイの体からすべてを引き受けるように、月が沈み始めていく。

徐々に白々と空が明るくなり始めた頃、ばたばたとおまさとお里が小部屋から飛び出した。賄にたくさん沸かされている湯を取りに行くと、再び駆け戻っていく。

「……っ!!」

その様子に座っていた皆が中腰になって診療所の方を覗き込む。総司はその気配にぎゅっと目を閉じて強く、手を合わせた。

 

– 続く –