阿修羅の手 10

〜はじめのつぶやき〜
大人になった先生ってみたいですか?

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

 

「そん……っ!……沖田先生は私に仕事を辞めろとおっしゃるんですか」

ひどく傷ついた顔をしたセイの顔をまっすぐに見た総司は、少しだけ首を傾げた。

「私は、寿樹だけでなく、お里さんや正坊を守る覚悟がないならやめるべきだといっただけですよ」
「だから」
「あなたが稽古を始めようとしたのは、自分が隊士達に舐められるからでしょう」

違う。

そう言いたかった。だが、やはりどう言い訳をしてもきかっけになったことは変わりがない。セイは何も言えなくなって、悲しそうな顔で俯いてしまった。

黙って二人のやり取りを見ていた斉藤は、刀をつかむと立ち上がる。

「沖田さん。そろそろ俺は屯所に戻る」
「ああ。そうでしたね。ありがとうございました。斉藤さん」

斉藤を送るために総司は立ち上がったが、セイはその場で畳に手をついて頭を下げただけで、いつもなら玄関先まで見送りに出るところだったが、動かなかった。

玄関まで斉藤を送って出た総司に向かって、草履に足を乗せた斉藤が咎めるような目を向ける。

「わかっていて責めるのは少し酷だと思うが」
「そうかもしれませんが……、あの人は……」

総司の話を聞いた斉藤は、沖田家を後にして歩き出すと、つくづくセイが可哀そうだと思った。

―― まあ、自覚がある前からとんだ相手に見込まれたってことがそもそもの……

思うところはあったが、斉藤も変わらず、セイの稽古を見てやるつもりではある。斉藤が帰った後の沖田家の様子を考えることはやめにして、屯所に戻る足を早めた。

 

 

総司が部屋に戻ると、セイが斉藤と総司の膳を片付けていた。お里の家で十分に食べていた寿樹は、目覚める気配がない。

総司と視線を合わせようとしないセイにあえて声をかけずに、総司は部屋に戻ると、寿樹の見える場所に腰を下ろした。

しばらく、台所で片づけをしていた音が聞こえていたが、それも静かになると総司は腰を上げて、台所を覗き込む。部屋に上がる手前の踏み板のところに腰を下ろしたセイが、じっと何かを考え込んでいた。

総司は、置いてある草履を履くと台所に下りる。セイがまだ夕餉をとっていないことはわかっている。客の斉藤が来ていて総司が帰る前に先に食べることはないだろうし、斉藤が食べ終える前に総司が帰ってきていた。

お櫃に残っていた飯を見ると、手を洗って塩を取り出す。皿を手にすると、ささっと残った飯を二つの握り飯にする。

ぼんやりしていたセイが、あっと顔を上げると背後から声をかけた。

「総司様?夕餉が足りませんでしたか?何か甘いものがよろしかったら、今日は少しですが買ってきたものがありますので……」

てっきり、斉藤がいたためにおかわりもしなかった総司の腹がまだ足りていないのかと、あわてて鍋をかけようとしたセイには構わずに、握り飯を作り終えた総司は、熱い茶を入れた。その二つをお盆の上に乗せるとすたすたと部屋へ戻っていく。

セイは、それだけでは不足だろうと、買ってきた塩大福を皿に乗せて、部屋へと運んだ。

総司が部屋の真ん中にお盆を置いて、障子をあけると庭側の雨戸を閉める。障子を戻して振り返った総司は、大福をお盆の傍に置いたセイの向かいに腰を下ろした。

「ちゃんと食事はしなさい。夕餉がまだでしょう?」

握り飯の横にはいつの間にか、小梅がいくつか香の物代わりに乗せられている。驚いたセイが握り飯と総司の顔を見比べていると、もう一度繰り返した。

「斉藤さんがいらしていたし、そこに私も帰ってきたから食べ損ねているでしょう?考え事よりも先に、まずは食べなくちゃ」
「……なら、そういってくださればよかったのに。自分の分くらい……」

自分でやると言いかけて、しりすぼみになる。ぼんやりしていたセイは、もう夕餉などどうでもよかったのをまるで見抜かれていたようだ。

目の前で総司の膝の上に置かれた手を見ると、握り飯を握ったあとの小さな米粒が指の先についていた。すっと大きめの白い飯の塊に手を伸ばしたセイは、ぱくっと口に入れる。

少し塩気が強いが具のない握り飯だけに、するすると腹に落ちていく。一つ目を食べ終えると、小梅に手を伸ばす。かりりといい音がして、小さな種だけを除けるともう一つの握り飯を手に取った。

隊士時代ならもっと食べていたが、あまり食べなくなった今でも女子にしてはよく食べる。

セイが食べているのを見ながら、総司は柔らかな塩大福を手にする。餅粉が振ってあるためにすべすべした感触が手の上に乗った。

最後までセイが飯を食べてから茶を飲むのを待って、総司は懐から出した手拭いで、手についた粉を拭う。

「ちゃんと食べましたね。よしよし」
「ありがとうございました」

セイが握り飯の礼をいうと、小さく総司が笑った。

「何を言ってるんです。当たり前でしょう?それよりも、この大福おいしいですねぇ」
「兄上がお持ちくださったほうはまたあとでお出ししますね」
「斉藤さんが?わぁ、なんでしょうね」

嬉しそうに笑った総司の顔を見たセイの目からぽろっと涙が零れ落ちる。

「どうして泣くんですか」
「えっ?あっ!」

自分の涙に気づいてなかったセイは、あわてて顔を拭う。一瞬、優しい顔になった総司はもう一度立ち上がると、今度は二人分の茶を入れて戻ってくる。

「そんなに悔しいですか?」

セイが泣いた理由を尋ねた総司にセイは首を横に振った。
悔しかったかと聞かれれば確かに悔しい。自分が新人隊士を相手に舐められることを嫌ったくせに、それを言い訳にしようとしたことが悔しかった。

いつの間にか、大事にされることに慣れて甘えてしまっていた自分が、悔しくて情けなかったのだ。
一度流れてしまうと、次々と涙が流れてくる。

「少し、頭を冷やしなさい。何も考えずに頭を空にして寝るんです」
「……はい」

俯いたセイは、お盆を手にすると、立ち上がって台所に運んだ。何度も流れる涙をぬぐって、セイは奥の部屋に布団を敷きに向かった。

 

– 続く –